49.その感情は
数日が経過し、闘技大会まであと十日となった。
よく晴れた日の午後、メガラは下級市民区画の通りを歩いていた。
このあたりの気候は温暖だが、湿気が多い。
肌に纏わりつく潮風がやや不快だが、それにはもう慣れたものだ。
この都市で数日過ごし、かなりこの都市のことが分かってきた。
下級市民区画はその名の通り、下級市民が暮らす地区だ。
ここで暮らすのは貧しい者たちであるが、みな貧乏を撥ねつけるように活力を漲らせていた。
そこかしこで賑やかな声が聞こえる。
その中に、商魂たくましい露店主の声が響いていた。
「今朝上がった新鮮なタコだよ! 食っていってくれ!」
と声を張り上げてるのは、禿げ上がった頭をした店主だった。
メガラは露店の方へ近づき声を掛けた。
「御仁、一つ頂こう」
「まいどあり! って……お嬢ちゃん、ルグは持っているんだろうなあ?」
「無論だ」
と言って、メガラは銅貨を一枚差し出した。
「おっと、これは悪かった。スラムのガキ共に店を荒らされてからというもの、警戒してたんだ。だけど……そうだな、お嬢ちゃんは身なりも綺麗だし、あのガキ共とは違うわな」
「ほう、スラムのガキ共とな」
「ああ、そうだ。お嬢ちゃんも気を付けな。隙を見せたら、奴らに色々と奪われちまう」
「ふむ、気を付けよう」
メガラは銅貨一枚を払い、店主からタコの串焼きを受け取った。
串には焼いたタコの脚が数本刺さっており、なにやら甘いタレで覆われていた。
メガラは歩きながらタコの脚を齧った。
「うむ、なかなかいけるな」
噛み応えのある食感と、濃いタレの味。
タコは初めて口にしたが、悪くはない、と思った。
そのまま歩きつつ、通りを行く者たちを観察する。
通りを行く者の大半は人族だが、中には獣人やエルフが混じっていた。
流石は大都市。世界中からこの都市に人々が集まっているらしい。
メガラは狭い路地に足を踏み入れた。
そして、足を止める。
後ろを振り返り、声を投げ掛けた。
「余に何か用か?」
慌てて息を漏らしたような、そんな声が聞こえた。
振り返ると、そこには小さな子供が二人いた。
男児と女児。汚れた髪と肌。あちこち穴の空いた服。
一目見て分かった。無産者と呼ばれる者たち。
その中でも特に非力な存在。子供の無産者だった。
男児は、子供に似つかわしくない険しい表情でメガラに言った。
「おい! そいつをよこせ!」
「こいつか?」
メガラは串を掲げてそう尋ねた。
「そうだ!」
「ふむ……」
メガラはしばらく考えて答えを出した。
「よかろう。受け取れ」
「い、いいのか?」
「よい。さあ、早く受け取れ。余の気が変わらぬうちにな」
男児は慌てて駆け寄り、メガラから串をひったくった。
そして、その場で男児と女児はタコに齧りつく。
メガラは尋ねた。
「旨いか?」
「う、うまい……」
「それはよかった」
と言って、メガラは歩き出した。
メガラとて分かってる。
この行いは偽善。今日、施しを与えたとて、この子供たちの運命が大きく変わることはないだろう。
真に子供たちを思うのならば、自己満足で終わっては駄目なのだ。
しかし、今更この都市の仕組みを変えるなど、土台無理な話だ。
メガラは全て分かった上で施しを与えた。
メガラにとって、偽善であるかどうかは関係がなかった。
全ては自分の気分次第。
腹が減れば食う、眠ければ寝る。それと同じように、したいことをしただけ。
だからメガラは、子供たちを必要以上に憐れむこともないし、貶すこともない。
子供たちから遠ざかるメガラ。
背後から女児の大声が聞こえた。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
そのあとに続いて、男児の声。
「あ、ありがとう!」
メガラは、振り返らずに小さな声で言った。
「達者でな」
その声は、子供たちに聞こえなかったかもしれない。
だが、別にいいと思った。
子供たちがどう思うかは重要ではなかった。
ただ、したいことをして、言いたいことを言った。
それだけだった。
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メガラが宿に戻った時、すでにアルゴが部屋に居た。
といっても、アルゴは眠っていた。
ベッドで丸くなり眠る姿は、小動物のようだった。
きっと、チェルシーとの訓練で疲れたのだろう。
メガラは静かに動き、アルゴの傍に腰を下ろした。
寝息を立てるアルゴを見つめる。
不思議な感覚だった。
湧き上がるこの感情は、どこかに置き忘れてきたものだ。
友情ではなく、恋慕でもない。
臣下に対する征服欲では決してなく、憧憬や礼賛であるはずがない。
これは、そう。
「愛情……か」
今まで向き合うことを避けていたが、今この瞬間、その感情と相対した。
アルゴは我が騎士だ。騎士に預けるべきは、己の命運と命。
時には騎士を見捨てでも、余は生き抜かなければならん。
しかし、その選択をアルゴに対して取れるか?
「困った奴だな……」
それはアルゴに対してか、自分自身に対してか、台詞を吐いた本人にも不確かだった。
メガラは、アルゴの髪を梳くようにして優しく撫でた。




