42.出場理由
剣闘士。
闘技場にて命を懸けて戦う者たち。
剣闘士たちは、鍛え上げた肉体と磨き上げた技で戦い、相手を殺す。
しかし勝ち続けることは難しく、大抵の者は早々に命を落とす。
運よく生き残った者たちも、痛みと苦しみに苛まれながらやがて死んでいく。
王都バファレタリアには闘技場が存在し、かつてはそこで剣闘士たちの死闘が繰り広げられていた。
しかし、五代前の王パリストラスが過激で血生臭い決闘を嫌い、闘技場は閉鎖された。
それから時は流れ、二代前の王テアファルトムの時世に闘技場が解放されることになる。
現在でも闘技場は開かれており、剣闘士が戦いを繰り広げているが、一つだけ制限が設けられていた。
それは、パリストラス王の威光がまだ生きているためか、あるいは後世で闘技場が閉鎖されることのないようにか、原則として相手の生命を絶つことを禁じられている。
剣闘士たちが振るう武器は、主に刃を潰した剣である。
とはいえ剣闘士たちにとっては真剣勝負であり、時として相手を殺してしまう者たちもいた。
その場合、殺しを為した者へ罰を与えるか否かは、女神アンジェラの採択に任されることになる。
女神アンジェラの代理人は、王都ではブルファレース王家の血族、ということになっている。
つまり、王家の者たちの気持ち一つで、殺しをした剣闘士の命運が決まる、ということだ。
そういった博打的な要素が絡み、闘技場にて催される闘技は、王都バファレタリアで大きな興行となっていた。
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宿屋兼食事処アレッテの大部屋。
広々とした室内には、アルゴ、メガラ、リューディアが居た。
まずリューディアが口を開いた。
「チェルシー嬢が提示した案。それは、闘技大会に出場すること。一月後に開催される闘技大会に出場し、そこで優勝すれば莫大なルグを得ることができる。その資金を得れば、当面の間は悪さをせずにスラムの子供たちを食べさせていける。そういうことでいいのよね?」
メガラは頷いて返事をした。
「そうだ。今回行われる大会は二人組での出場となっている。チェルシーは、アルゴとならば優勝できると思っている。ということだ」
「ええ。だから、チェルシー嬢の意向に従い、出場するか否かを議論しなければならないわね。それで、メガラ嬢の考えは?」
「ふむ。まずは、情報を整理しよう。一月後となると、我々の旅に遅れが生じてしまうな。闘技大会に出場すれば、目的地までの到達がそれだけ遅れる。闘技大会に出場しなかった場合、我々が被るデメリットはなんだ? 特にない、と言わざるを得ないだろうな。あえて言えば、良心が痛むことぐらいか」
メガラは淡々と続きを述べる。
「では、闘技大会に出場した場合のメリットを考えよう。仮に優勝した場合、莫大なルグが得られるが、その賞金の殆どはチェルシーたちに渡さなければならない。賞金を我々が独占しようなどど、がめつい真似はせんさ。それが義というものだからだ。ならば我々は、といよりアルゴは、わずかな分け前のために闘技大会に出場するべきか? 答えは否だ。殺しはないといっても、危険な大会であることには変わりはない。それに、今の我らはルグに困っていない。これはリューディアのお陰でもあるな」
「ええ。団長からそれなりの資金を持たされているものね」
「そうだ。さて、まとめよう。闘技大会に出場した場合のメリットは殆どなく、リスクとリターンが見合っていない。そして出場しなかった場合のデメリットは特にない。うむ。出場する理由が思いつかんな」
「でも、出場しなければ結局、フエルコ商人はルグを脅し取られ続け、マルリーノ商人の依頼を達成できないわ」
「そうだな。しかし、ここまで話が大きくなっては、その依頼そのものについて一考せねばならん。マルリーノの依頼はゴロツキどもをこらしめること。その点においては、我々はそれを達成したといえる」
「ええ……そうかもしれないわね」
「さて、いよいよもって出場する理由が見当たらんな。以上を踏まえた上でアルゴよ、お前の意見を聞かせろ」
「え、俺? 俺の意見はいいよ……。メガラが決めてよ」
「アルゴよ、意見を言わぬことは何の美徳でもないぞ。いつも言っているだろう? お前はもう奴隷ではない。自由人ならば、自由に己の意思を発言せよ」
「わ、分かったよ。俺は……出場してもいいかなって思う……」
「その心は?」
「それは……」
それは何故だろう。しっかりと自分に問い掛けてみる。
頭に浮かぶのは、スラムの子供たちの姿。
ボロを纏い、痩せ細った子供たち。
それでも、まだ瞳の奥に生きる意志を宿していた。
それは、俺にはなかったものだ。
俺は奴隷に落ちた時、生きる意志を失った。
毎日毎日、早くこの生が終わらないかと、そればかりを考えていた。
あの子たちはまだ、生きることを諦めていない。
あの子たちには俺のようになって欲しくない。
生きる希望を持っていて欲しい。あの瞳の輝きを消させたくはない。
その気持ちをメガラとリューディアに伝えた。
メガラは紫の瞳でアルゴを見据えたあと、意見を述べた。
「余はな、決して名君ではなかった。余の強引なやり方に異を唱える者たちはいたし、時として非情と誹られたこともある。しかしな、それが余を形作る全てではない。誰しもが複数の性質を持っている。我々は流れる流体であるし、硬い岩石でもある。情に流されることもあるし、強固な意志を貫くこともある。それらの性質が合わさり、我らは我らたり得るのだ。ゆえに、理屈を通り越し、正論をはねつけ、理から外れることもある」
「え、えっと……つまりどういうこと?」
不可解な面持ちのアルゴに対し、リューディアは朗らかに笑った。
「フフッ。つまりね、メガラ嬢はこう言っているんじゃないかしら? アルゴ少年の意思を尊重し、闘技大会への参加を認める、と」
「そうなの?」
メガラは、たっぷり間を置いて返事をした。
「忘れていたが、荒波のせいで船はしばらく出航できないのだったな。どのみち待ちぼうけならば、その時間は何か意味のあることに使った方がよかろう。だから、まあ……そういうことだ」




