25.獣と少女の嘘
サルディバル領サン・デ・バルトローラ。宿屋サンデルにて。
メガラは薄く目を開けた。
窓から差し込む日射しが目に入り、更に目を細める。
このまま横になって惰眠を貪りたい。
そう誘惑に負けそうになるが、己を奮い立たせた。
上体を起こし、シーツをよけてベッドから降りた。
窓を開け、部屋の空気を入れ替える。
窓から見えるのは、広い路地と道を行く人々。
路地の脇に並ぶ露店、宿屋、雑貨屋、などなど。
「ふむ。寝すぎてしまったな」
外の明るさと活気から予想するに、正午まであと寸刻といったところか。
朝に弱いのは元来の体質だが、それにも増してこの体はよく眠れる。
これが若さというやつだろう。
そう思った時、今更になって自覚した。
「すまない。余にはこの体が必要なのだ……」
それは、この体の元の主への謝罪だった。
名も知らぬ、幼き魔族の子供の体。
悪意を持ってそうしたわけではないが、強制的に意識を乗っ取ってしまった。
この体の主からしてみれば、こちらの事情など知ったことではないだろう。
「お前には余を断罪する権利がある。しかし、余にはどうしてもお前が必要なのだ。だからどうか……余と共に生きてくれ」
目を閉じて胸に手を当てる。
名もなき少女へ祈りを捧げた。
数秒間そうしたのち、ゆっくりと目を開けた。
「さて、情報を集めねばな」
アルゴがキュクロプス退治に赴いたのは昨日の早朝。
あれから一日が経過している。
その間、メガラも自分に出来ることを進めていた。
それは、情報収集。大陸中央部の情勢について。
とりわけルタレントゥムについての情報を集めていた。
地道な聞き込み。それが情報収集の方法だった。
ルタレントゥムについては禁忌と考えている者が多く、渋い顔で口をふさぐ者が殆どだったが、中には口を滑らす者もいた。
ルグを支払えば舌が滑らかになる。そういった手合いは、どこにでもいるものだ。
しかし、この都市で集めた情報は既に知っていることが大半だった。
ルタレントゥム魔族連合は解体され、現在はアルテメデス帝国ルタレントゥム領となっていること。
ルタレントゥム領では多くの魔族が奴隷とされ、アルテメデス帝国の者たちに虐げられていること。
ルタレントゥム魔族連合の残党が、大陸西端に位置するイオニア連邦に集結しつつあるということ。
これらの情報は、アルテメデス帝国の地方都市ラコニスで冒険者共から聞いた通りの情報だった。
そう考えていた時、腹の虫が鳴った。
「食事にするか」
腹を擦ってそう呟いた時、背後から声が聞こえた。
「いいねー。ボクも何か食べたいなー」
「―――なッ!?」
突然聞こえた背後からの声に、メガラの心臓は大きく跳ねた。
それでも、メガラは素早く動いた。
机の上に置いてある短剣を手に取り、切っ先を相手に向けた。
「待って待って! 驚かせてごめんね。キミに危害を加えるつもりはないんだ」
慌ててそう答えたのは、黒い毛並みの狼の獣人だった。
歳は若い。口元を大きく吊り上げ、赤い双眸を細めて笑っている。
身嗜みはそれなりに整っている。
質の良さそうな赤色の衣服を纏い、首から輝く水晶のペンダントをぶら下げている。
メガラは警戒を解かず、短剣の先を向けたまま尋ねた。
「お前は何者だ?」
「ボクはヴァルナー・ルウ。見ての通り獣人さ。よろしくね」
「……まともに意思疎通はできるようだな。しかしヴァルナーよ、礼儀がなっていないな。窓からうら若き乙女の寝室に忍び込むなど、道義にもとる下劣な行いよ」
「キャハハッ! なにキミ、すごく面白いねえ! うん、いいよキミ。やっぱり面白い!」
「やっぱり? 余のことを知っているのか?」
「ああ、ごめんね、説明不足で。キミとは今日が初対面だよ。でもボクはキミを追いかけてきたんだ」
「どういうことだ?」
「キミ……というかキミたち、かな。リコル村に立ち寄ったでしょ? ボクはリコル村に残ったキミたちの臭いを辿ってここまでやってきたんだ。キミたちに会いたくてね」
「何故だ? 何故そうまでして?」
「何故って、会いたかったからって言ってるじゃないか。キミたちさ、魔物を食べたんだよね? 驚いたよ。そんなことするのボクだけだと思ってたから、どんな子たちなのか気になったんだ」
「ふむ……。お前の心理を理解することはできんが、把握はした。ならばもうよいだろう。こうして会って言葉を交わしたんだ。用は済んだはずだ。とっとと出て行くがよい」
「そんなこと言わずにさ、もう少し話そうよ。ね、魔物を食べた感想は?」
「嘘だな」
「嘘?」
「お前は嘘をついている。殆ど真実を語っていないといってもいい」
「うん? 何でそう思うのかな?」
「余はな、その者の顔を見ればだいたい分かるのだ。その者がどういった存在なのか。何を思い、何を感じ、何をしようとしているのか」
「へー。それで?」
「ゆえに分かる。お前は、余に危害を加えるつもりはないと言った。それは嘘だ。分かるぞ、今にでもその牙を余に突き立てたいのであろう?」
ヴァルナーが反論する前に、メガラは続けて言う。
「それにその首飾り、余には見覚えがある。確か、商人カラマンドが所持していた物だ。あ奴がそれを手放すとは思えん。お前、カラマンドを殺して奪ったな?」
「待って待って、沢山しゃべりすぎだよ。それに、カラマンドなんて商人は知らない。これはね、ホアキンさんから買った物だよ。すごく高かったんだけど、どうしても欲しくてね。あ、そうだ、お近づきの印として、これをキミにプレゼントしようか? ね、それでボクが危険な存在じゃないって認めてくれないかな?」
「お前は、また嘘をついた」
「んん?」
「その首飾りはな、確かにホアキンが所持していた物だ。だが、ホアキンはこうも言った。この首飾りは、師匠から貰った大切な品で売り物ではない、と。ホアキンがそれを売るはずがない。お前は噓つきだ」
「―――キヒッ」
笑い声を一つ漏らし、ヴァルナーは大口を開けた。
「キャハハハハハハハッ! キミやるねー! そうだよ、これはルグで買った物じゃない。貰ったんだ! そして、キミに危害を加えるつもりがないと言ったのも嘘だ。ボクはこれでもすごく我慢してるんだ。キミのことを早く食べたくてしょうがない。でもそれじゃあ味気ないから、こうして会話してるんじゃないか。ねえ、食事こそ相手のことを理解する最大の行為だと思わないかい? ボクはね、他人の気持ちを理解することが苦手なんだ。だからさ、食べるんだ。食べれば全部理解できる。肉の硬さや、内臓の味、血液のとろみ。どんな人生を送ってきたのか、まるっと分かる! これほど素晴らしいことはないじゃないか!」
「……悪趣味な奴だな」
「そうかい? ああ、そろそろ限界。もう少しお話したかったけど、もう待てない。最後に謝っておこうかな。嘘をついてごめんね」
「気にするな。嘘はお互いさまだ。余は相手の顔を見ればどういった存在なのか分かると言ったが、あれは嘘だ」
「え、そうなの?」
「そうだ。何故ならそれは、余には不要なものだからだ。誰に何を思われようと、何を言われようと、余は余の道を征く。他人の顔色を窺っている暇は、余にはない!」
そう言い張るメガラへのヴァルナー返答は、大きな拍手だった。
ヴァルナーは、力一杯拍手をした。
「すごいすごい! キミ、すごくいいよ! ほんと―――に、美味しそうだね!」
「そうか、それは良かった。―――ところで」
「ん?」
「余を食う前に、まず先にこいつを味わっておけ。ああ、火傷には注意しろよ」
息を吸い込み、メガラは唱えた。
「フレイムボール!」




