239.少女の目覚め
目を開けた時、母の顔が見えた。
綺麗でいて儚げで、優しい顔だった。
「―――レイネシア!?」
母は驚いた様子で声を上げた。
そんな母を安心させようと、わたしは母へ手を伸ばした。
「お母さ……」
あれ? うまく声が出せない。
思うように腕が動かない。
「ああ……神様。よかった、貴方が無事で……本当に、よかった……」
そう言って涙を流す母。
わたしはもう一度手を伸ばそうと挑戦するが、やはりうまく動かなかった。
「大丈夫。大丈夫よ、レイネシア。あなたはずっと眠りっぱなしだったの。今は体力が落ちてるだけ。そのうち動けるようになるわ」
「そうなん……だ」
「ええ、ええ……だから安心して」
母はそう言ってわたしの手を握った。
わたしは、わずかに笑って周囲を見回す。
わたしは今、ベッドで横になっている。
そしてここは、清掃が行き届いた個室だった。
ここが何処なのかは分かっている。
自分の置かれた状況も、なんとなくだが理解している。
「レイネシア、お水よ。飲める?」
わたしがそれに頷くと、母は水が入った器をわたしの口元に近付けた。
わたしは少しだけ状態を起こして水を飲む。
美味しい。水ってこんなに美味しかったんだ。
「そうだ……盟主様に報告しないといけないわね。レイネシア、少し外すけどすぐに戻ってくるわね」
わたしは頷く。
母は笑みを浮かべて立ち上がり、部屋から退出した。
一人になり、私はベッドの上でぼうっと天井を見つめる。
ここはエウクレイア家の館だ。
何故わかるのかと問われれば、見ていたからと答えるだろう。
わたしは見ていたのだ。
盟主様と盟主の騎士の旅と冒険を。
他ならぬこの目で見ていた。
でもそれはどこかぼんやりとしていて、現実の出来事ではないような気がしていた。
まるで夢を見ているかのような感覚だった。
「夢……じゃ……なかったんだ」
そう呟いた時、この部屋の扉が開いた。
扉を開けて部屋に入ってきたのは、綺麗な女の人だった。
艶やかな黒い髪に、透き通るような白い肌。
頭からツノが生えた魔族の女性。
「盟主……さま……」
「喋らなくてよい、レイネシア」
「すみませ……」
盟主様は首を振って、困ったような顔をした。
「謝るのは余の方だ。今まですまなかった。そして、ありがとう。余が此処にあるのは、お前が体を貸してくれたからだ。といっても、お前には何のことだかわからぬだろうが……」
「わかり……ます。見ていました……から」
「なんだと? それは……まことか……?」
「はい……」
「なんということだ。であれば、余はことさら詫びなければならん。余の行動は、お前の意思に背くものばかりだっただろう。さぞかし辛い思いをしただろう。すまない……本当に……すまなかった」
「いいえ、そんなこ……」
「すまないレイネシア、喋らせてしまったな。それ以上はもうよい。余は一目お前の様子を見に来ただけなのだ。あとは母とゆっくりしていろ」
盟主様は、そう言って母に視線を向けた。
それでもわたしは、口を動かした。
「い、言わせて……ください。わたしは、盟主様を恨んでない……です」
驚く盟主様に対し、わたしは続ける。
「わたしは……怖かったのです。奴隷になって……この先どうなるんだろうって……。だから……祈りました。助けて……くださいって。その祈りが……届いたんだと……思います」
わたしは必至に声を絞りだした。
ちゃんと伝えたいことだったから。
「盟主様が……わたしを助けてくださいました。あのまま、わたしがわたしだったのなら……わたしは何もできずに震えているだけ……でした。ですから、わたしは盟主様に感謝を……しています。盟主様、わたしを……ここまで導いてくださって……ありがとうございます」
ポタポタと水滴が床に落ちていた。
それは、盟主様が流された涙だった。
「レイネシア、余こそお前に感謝する。我が旅は確かに、辛く険しいものであったが、同時に得難いものが得られた旅でもあった。あの旅があったからこそ、今の余があるのだ。だから余は敢えて、あの旅のことをこう評しよう。楽しかった。お前との旅は、まことに楽しいものだった」
それを聞いてわたしは嬉しく思った。
自然と口元が緩んだ。
それと同時に、強い眠気に襲われる。
緊張と安堵。その間に揺られて、抵抗し難い睡魔が迫ってくる。
そんなわたしに、優しい声が掛けられた。
「眠りなさい、レイネシア。大丈夫。貴方には時間がある。これからは、楽しいことがたくさん待ってるわ。だから今は、お休み―――」
「うん……」
そう返事した途端、瞼が落ちるのを感じ、わたしはまた眠りについた。




