228.盟主と皇帝
ほどなくして戦争は終わった。
それは、あまりにも呆気ない終幕だった。
アルテメデス帝国皇帝、マグヌス・アストライアが降伏を宣言したのだ。
突然の宣言に大連合軍の者たちは大いに驚いたが、無駄に血を流すことをよしとする者は殆どいなかった。
大連合軍はその降伏を受け入れ、戦争は終結。
アルテメデス帝国の全領土は、大連合軍が暫定統治することとなった。
戦争終結から二月後。ルタレントゥム魔族連合領土、とある場所にて。
薄暗い地下に足音が反響する。
石の床。石の壁。
ここは静かで薄暗い場所。
メガラは階段を下ると、右側へ進んだ。
しばらく進むと、そこで足を止める。
目の前には鉄の格子。それは罪人を閉じ込める檻。
紛れもなくこの場所は、地下牢だった。
地下牢には複数の兵士たちが居る。
牢屋内に居る罪人を監視するためだ。
兵士たちはメガラの姿を確認すると、姿勢を正して胸に拳を当てた。
「よい、楽にしろ」
とメガラが言うと、兵士たちは腕を下ろした。
ここは牢獄。牢屋の中には当然、罪人が居る。
メガラはその罪人へと視線を向け、口を開いた。
「こうして顔を合わせるのは三度目か? それとも四度目だったかな? アルテメデス帝国皇帝、マグヌス・アストライアよ」
牢屋の中に居る人物は、皇帝マグヌスだった。
マグヌスは応えた。
「いいや、初めてだな。その顔に見覚えはない。魔族の……美しい少女よ」
「ほう、これは驚いた。冗談を言う気力がまだ残っていたか」
「冗談ではない。貴殿は本当にメガラ・エウクレイアなのか? 生憎、私にはそれを確かめる術がないのでな」
「なるほど、それは道理だ。確かに余は、それを証明するものを持ち合わせていない。魂の色が見えぬお前には、信じようがないということか。だがまあ、それならそれでいい。いずれにしろお前は、暇を持て余しているのだろう? ちょうど喋り相手が欲しかった頃合いではないか?」
「……それは、認めざるを得ないだろうな。いいだろう、その口車に乗るとしようか」
「ならば答えよ、世界に混乱と破壊を巻き散らした大罪人マグヌス・アストライアよ。お前は今、何を思う?」
「何を思う……か。それは私にとっては難しい質問だ。もう知っているだろう。私にはおよそ感情というものがない。これは誇張でも何かの例えでもない。私は心を……神ロノヴェに差し出したのだから」
「ああ。それは知っているよ。それでも聞いてみたかったのだ。余はお前という人間のことを、まったくと言っていいほど理解できない。お前はあらゆるものを捨て、あらゆるものを差し出した。お前の為したかったことは、それほど価値のあるものだったのか?」
「ある。私にとってはそれが全てだった。現代を生きる貴殿には理解できぬだろうがな。神々によって統治された世界……楽園。それは……それこそが人類の目指すべき場所だ」
「マグヌスよ、方法は違うが、それは余の目指す場所と同じだ。余もまた人類の幸福を願う者の一人なのだから。ならば、ならばだ……余に力を貸せ、マグヌス・アストライア」
「私にどうしろと?」
「お前の古の知識は、計り知れないほどの価値がある。それを有益に使え。いや、使わせろ。余と共に、人類を新たなステージへ導け」
「それは取引のつもりか? だとすれば無駄だ。私はもう死を受け入れている。この首が落ちるまで……もう何もするつもりはない」
「いいや、これは取引ではない。何か勘違いしているようだが、お前の処刑は執行されない。処刑は余の権限で阻止させてもらった。お前がここで何を言おうと、これはすでに確定事項だ」
「なんだと?」
「感謝するのだな。余の騎士アルゴ・エウクレイアと、大将軍ガブリエル・フリーニに。この二人の上申がなければ、余はお前の処刑を認めるところだった」
「……」
「これを踏まえた上でもう一度言おう。余に力を貸せ、マグヌス・アストライア」
「……断る」
「何故だ?」
「私は夢破れた亡霊だ。亡霊には……何もできんさ」
「腑抜けたか。お前のために戦った者たちの顔が浮かばれんな」
「挑発しても無駄だ。ロノヴェとの契約は解かれ、私は定命の存在となった。その影響で、今まで差し出して来た代償が、ここに来て私を蝕んでいる。私の命はもう長くない。そうだな、あと一年か二年か……長くても三年程度だろう。死罪にならないというのなら、せめて残り短い余生は己との対話に使いたいのだ」
「己との対話……か。随分と人間臭いことを言う。感情のない者が発する言葉だとは思えんな」
「感情はない。だが、記憶はある。私の中にある記憶が、私に言うのだ。長き戦いに終止符が打たれた。私は私のことを縛りから解放してやらねばならん。まあ、つまりだ……疲れた、ということだよ」
「そうか……残念だよ、マグヌス。お前の処遇をどうするか……難しいところだが、終身刑か流刑か。いずれにしてもそんなところだ」
「……承知した」
「では、余は行く」
「ああ」
メガラは身を翻して足を進める。
そのメガラの背後からマグヌスの声。
「ガブリエルは……息災か?」
その問いに、メガラは足を止めて答えた。
「どうだろうな。ただ、牢獄の中で毎日祈りを捧げていると聞く。何を祈っているのかは、言うまでもないと思うがな」
それだけ言うと、また歩き出した。




