23.真の怪物
キュクロプスの拳がアルゴに目掛けて振るわれる。
その拳は大岩の如く。
凄まじい衝撃と共に、拳が地面にめり込む。
まともに当たれば即死。
しかし、アルゴには当たらない。
アルゴはキュクロプスの拳を躱し、素早く剣先を走らせた。
剣でキュクロプスの左足の腱を切断。
肉を断つ感触。血が飛び散り、木々が赤く染まる。
剣は間違いなくキュクロプスの腱を切った。
だが、キュクロプスは動じない。
傷ついたはずの左足を持ち上げ、アルゴを踏みつけようとする。
アルゴは後ろに跳んで踏みつけを躱した。
地面が激しく揺れ、アルゴはバランスを崩してしまう。
「―――とッ」
次はキュクロプスの右脚。
右脚による踏みつけ。アルゴは体勢を立て直し、前へと飛び退いた。
右脚を避け、剣を振る。アルゴの回転斬り。キュクロプスの右脚を斬りつけた。
その後、アルゴは素早く動いた。追撃をせず後ろに跳ぶ。
キュクロプスの右脚が稼働。右脚による蹴り。
轟音。突風。蹴りが空を切った。
アルゴは蹴りの範囲から逃れていた。
そしてアルゴは、距離を詰めずに息を整えた。
息を整えながら考える。
リューディアの言葉を思い出した。
キュクロプスは生命力の怪物。
それをいま実感した。
人間ならば、脚の腱を切られてまともに立っていられるはずがない。
だが、魔物にはその常識は通用しない。
キュクロプスは常識の埒外。
キュクロプスは、両脚の傷を物ともせず暴れ回っている。
おそらく首を刎ね飛ばせば殺せるだろうが、あの太い首を斬り落とすのは難しいだろう。
キュクロプスを倒すには、強烈な一撃が必要。
しかし、アルゴにそれはない。
アルゴに出来るのは剣で斬りつけることだけ。
ではどうする? なにか策はないか?
「まあ、いっか」
アルゴは思考を放棄し、そう呟いた。
「斬り続ければ、そのうち死ぬよね」
鋼の刀身がアルゴの顔を映した。
金色の瞳が微かに光る。
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リューディア・セデルフェルトの生まれ故郷は、此処より遠く離れた地にある。
故郷は此処とは別の大陸に存在する。
リューディアは海を越え、この大陸にやってきた。
リューディアは小さな集落で生まれ育った。
森の奥にあるエルフたちの集落だ。
リューディアはその集落では異質だった。
他のエルフとは違い、弓や魔術には興味を示さず、自然と共に生きることを尊ぶ心も持ち合わせていなかった。
リューディアの心を惹きつけたのは、物語の登場人物たちだった。
勇猛果敢に魔物と戦う騎士。強大な怪物を屠る戦士。邪悪を打ち滅ぼす勇者。
そういった、伝説と謳われる者達に強烈に惹かれたのだ。
だからリューディアは槍を取った。
毎日毎日、槍の修練を続けた。
槍を初めて手にしてから五十年が経った頃、リューディアは気付いた。
村で一番と言われていた戦士を軽くあしらった時、気付いてしまった。
この場所は狭すぎる。こんな小さな世界に居たのでは、自分は何者にもなれない。
だからリューディアは村を飛び出し、海を越えた。
上陸した大陸でリューディアを待っていたのは、非情な現実だった。
五十年鍛え上げた槍術が通用しない。
人族はエルフより遥かに短命だというのに、その極短い時間でエルフの五十年を追い抜いていく。
心が折れそうになった。自分の五十年は何だったのか。
リューディアは、その時に世界の広さを知ったのだ。
しかし、リューディアはギリギリのところで持ちこたえた。
幸運だった。善き出会いがリューディアを助けた。善き師匠と巡り会えたのだ。
リューディアは師匠に教えを乞い、一から鍛え直した。
それから七年が経過した。
リューディアの槍術は、極限まで磨き上げられた。
リューディアを負かすことが出来る者は、殆どいなくなった。
敵なしとなったリューディアだが、一人だけ絶対に勝てない者が居た。
それは師匠だった。
師匠に対してだけは、勝てるイメージが湧かなかった。
人族の寿命は短い。師匠は先に逝ってしまった。
師匠が亡くなって数年経ったが、今でも師匠に勝てる気がしない。
リューディアは追い求めていた。師匠の究極とも言える槍術を。
そんな折に、また出会いがあった。
傭兵団黎明の剣との出会いだ。
傭兵とは、己の武力を差し出す見返りに、報酬を得る者たちだ。
その生業を否定することはしないが、夢に見た伝説の勇者の姿とはかけ離れて見えた。
それゆえに、傭兵のことをどこか毛嫌いしていたのかもしれない。
しかし、傭兵団黎明の剣は何か違った。
ただの傭兵団ではなかった。
なりよりその理念に共感した。
だから、黎明の剣に加わり、己の技を振るった。
そうして、小さな村出身のエルフは、黎明の剣でその人ありと謳われる存在になったのだ。
リューディアの中で師匠は絶対的な存在だ。
あの師匠を凌ぐ存在には、未だかつて出会ったことがなかった。
だが、絶対的な師匠の存在が揺らぎつつある。
リューディアは森を抜け、キュクロプスの元まで辿り着いた。
目に飛び込んできたのは、全身から血を流す巨体の姿。
リューディアは何も言えず、ただ見ていた。
キュクロプスの両膝が崩れた。
大きな振動が発生した直後、キュクロプスは顔面と腹を地面に打ち付けた。
また強い揺れが発生し、赤い血が飛び散った。
キュクロプスは、それ以上動かなかった。
「ああ……リューディアさん。終わりました」
リューディアは、その声の方に顔を向けた。
自分の目で見たことが信じられなかった。
体中を返り血で赤く染めたアルゴの姿がそこにあった。
アルゴは、たった一人でキュクロプスを倒して見せた。
キュクロプスの生命力を上回る手数で、キュクロプスの生命を断ち切ったのだ。
「き、君は……何者なの?」
「え? 何者って、どういう意味でしょう?」
リューディアは、アルゴの質問には答えなかった。
訊いてみたはいいが、答えは分かっていたから。
化け物。
キュクロプスが可愛く見えるほどの、真の怪物が目の前にいた。




