217.三人の絆
「坊ちゃま! なんで行っちゃうっすんかー!」
「そうですわよ、坊ちゃま。ワタクシは嫌ですわ!」
「うん、わたしも嫌」
侍女のクラーラ、ドロテー、ユッタ。
彼女らの声が食堂に響いていた。
「皆さん……」
アルゴは言葉を詰まらせた。
侍女たちの優しさに触れ、胸が熱くなる。
「心配してくれてありがとうございます。俺は本当に幸せ者です。俺は……皆さんのことが大好きです」
その言葉に侍女三人は固まってしまった。
だが、やがて川が決壊するかの如く、感情が噴出した。
「坊ちゃま! ワタシもっす! ワタシも坊ちゃまのことが大好きっす!」
「勿論、ワタクシもですわ! いいえ、愛してると言ってもいい!」
「わたしも同じく」
侍女三人はそう言いながらアルゴにしがみついている。
涙や鼻水で彼女らの顔面は液体まみれだった。
美女三人に抱き着かれ、勿論悪い気はしない。
だが、どうすればよいのか戸惑う。
一歩も動けない。動いてはいけない気がした。
アルゴは、自分が樹木か何かになったような気分だった。
その時だった。
ドタバタと足音が聞こえた。
その直後、食堂の扉が開け放たれた。
「アルくん!」
大声を上げて食堂に入ってきたのは、小柄な獣人族の女。
童顔で灰色の髪。頭から生えた猫耳が特徴。
「クロエさん!?」
どうしてここに?
とアルゴが尋ねる前に、クロエは怒りの声を上げた。
「ニャー! ニャンだキミたちは! クロエのアルくんに抱き着くんじゃニャい! アルくんに抱き着いていいのはクロエだけニャ!」
声を怒らせながら、クロエは侍女たちを剥がしていく。
「な、なにをするのですか!?」
「やめるっす! というか、貴方を招いた覚えはないんすけど!?」
「それはそうニャ! クロエが勝手に押し掛けたんだから!」
「ふ、不法侵入ですわ!?」
「クロエはいいの! いつ来てもいいって、メガちゃんから許可をもらってるんだから!」
「言うだけなら誰でも言えますわ!」
「ニャニャ!? クロエとメガちゃんの仲の良さを知らないのニャ!?」
「知りませんわ!」
そこでアルゴはすかさず声を上げた。
「み、皆さん! 落ち着いてください! とりあえず、喧嘩はやめましょう!」
それを聞いてクロエと侍女たちは少し冷静になる。
「そ、そうだニャ。クロエは別に喧嘩しにきたわけじゃないのニャ」
「ええ……ワタクシも争いをしたいわけではなくて……」
感情を抑えるクロエとドロテーの様子に、アルゴは胸を撫でおろす。
「それでクロエさん、本当にどうしたんですか? 何かあったんですか?」
「何かあったのはアルくんの方でしょ。聞いたニャ、戦場にいくんだって?」
「もしかして……俺を止めに?」
「いいや、違うニャ。そりゃあ、いって欲しくはないニャ。けど、もう決めたんでしょ?」
「はい、決めました」
「まったく……可愛い顔して、意外と頑固だニャ」
「でしょうか?」
「そうだニャ。で……メガちゃんはどこに?」
「はい、今日は疲れたからもう休むって……部屋に」
「やっぱり来てよかったニャ」
「え?」
「友達は大事、って話」
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真っ暗な室内。
広い部屋。大きなベッド。
メガラはベッドの上でシーツにくるまってじっとしていた。
疲れているのに眠れない。
体の震えが止まらない。
寒いからではない。
震えの原因は不安、恐怖。
アルゴを失ってしまうかもしれない。
その恐怖が心を覆いつくしている。
これは報いだ。
大切な者を奪ったのだから、お前もまた奪われるべきだ。
誰かにそう言われた気がした。
「ああ、そうだ。余はレイネシアを奪った。だから、これはその罰だ。その罰を受けなればならない……」
そんな風に悪いように考えてしまう。
このままではいけない。
そう思い、頭を振って邪念を追い出す。
「分かってるさ。これは言い訳。罰などではない。余がアルゴと契約を結んだ時から、こうなる定めだったのだ。これは必然。これは余が始めたこと。これは……今までの帰結。それと向き合うことが怖くて、目を背けているだけだ」
己に活を入れる。
現実と向き合えと。
だがそれでも、体の震えが止まらない。
こんな惨めな姿、誰にも見られたくなかった。
だから部屋に鍵をかけた。
たとえ部屋の外から誰かに呼ばれても、今日は無視するつもりだった。
「メガちゃーん! 開けてー!」
外から声が聞こえた。
「クロエ……?」
「クロエが来たよー! 開けてニャー!」
何故クロエがここに?
その理由は分からない。
だが、今日に限っては応じるわけにはいかない。
メガラは返事をしなかった。
ベッドの上で小さくなって震え続けた。
それから約十秒。
部屋の外が静かになった。
諦めて帰ってくれたか。
そう思ったが、すぐに思い知らされる。
クロエという女は、常識の枠から外れた存在だったことを。
「ドーン!」
部屋の扉が吹き飛んだ。
破裂音と衝撃。
クロエは扉を破壊して部屋に入ってきた。
「なッ……なッ……」
目を丸くするメガラを見つけ、クロエはベッドに飛び込んだ。
「開けてくれないから壊しちゃったニャ! メガちゃんのせいだからニャ!」
「ふ、ふざけるな! お、お前! あまりにも非常識だ―――」
言葉を言い終わる前に、クロエに抱きしめられた。
「非常識でもなんでもいいニャ。こうして傍に居られるのなら」
「クロエ……」
「分かるよ。辛いよね。苦しいよね。だから、今日はクロエが傍に居るニャ」
必要ない。
そんなもの不要だ。
と撥ねつけようとした。
だが出来なかった。
クロエの温もりに包まれて力が抜けた。
「……助かる」
「うん」
その後、クロエは囁くように言う。
「アルくんなら大丈夫。あの子は強い。メガちゃんとクロエが今ここに居られるのは、あの子が居たから。そうでしょ?」
「ああ……その通りだ」
「だから大丈夫。そうでしょ、アルくん?」
クロエに呼ばれ、部屋の外にいたアルゴは返事をする。
「はい。俺はもう、誰にも負けません」
「アルゴ……」
アルゴの顔を見つめ、メガラは言う。
「アルゴ、お前もこっちへ……来てくれ」
「うん」
と頷いてアルゴはベッドに上がった。
そして三人はベッドの上で抱きしめ合った。
「懐かしいニャ。この三人でいると、出会った時のことを思い出すニャ」
「お前と出会った場所は、プラタイトだったな。そうだな。確かに……懐かしい」
「最初にメガちゃんとアルくんを見た時、なんだこの子供たちは? 本当に大丈夫か? ってなったニャ。だからクロエがしっかりしなきゃって思ったんだニャ」
「フフッ。それをお前が言うか。その台詞、そのまま返そう」
「ニャニャ!?」
「正直なところ、俺もメガラと思ってることと同じでした」
「アルくんまで!?」
「フフッ」
「ハハッ」
「改めて言うけど、クロエは二人が大好きだニャ。だから二人のことが大切だニャ。喜びや幸福を分かち合いたいニャ。辛いことも、悲しみも、苦しみも、クロエに分けて欲しいニャ」
「ならば三人で分け合おう。三人で支え合おう。こうして三人で支え合っていれば、倒れることは決してない。だが逆に言えば、ひとりも欠けてはならないということだ。一人でも欠けてしまえば、我らは崩れてしまう」
「うん、そうだね。だから……俺は帰ってくるよ。二人のためにも」
「頼んだニャ、アルくん」
「そうしてくれ。お前が居なければ余は倒れてしまう。だから、頼むぞ」
「うん……任せてくれ」
そしてメガラは気付く。
震えが消え去っていることに。




