215.大人の努め
アルゴは庭園の端で木剣を振る。
鋭く、速く、頭に描く敵に対して木剣を振る。
目の前に現れたのは、白い毛の狼人。
マティアス・アルヴェーン。
マティアスと打ち合う。
しばらくすると、マティアスは消えた。
その後、また敵が現れた。
大将軍クリストハルト・ベルクマン。
アルゴが木剣を振ると、クリストハルトの体が裂けた。
クリストハルトが消え、また新手が現れる。
大将軍アレキサンダー・ローグレイウッド。
続けて、大将軍キリル・レグナート。
それらの強者をアルゴは打ち負かす。
敵が消え、アルゴは呼吸を落ち着けた。
「はぁ……はぁ……」
と肩で息をして、改めて思う。
現れたのは、いずれも類まれなる強者たちだった。
だがその者たちは、もうこの世にはいない。
それは何故なのか。
当然、死んだからだ。
では、何故死んだのか。
闘いに負けたからだ。
命を懸けた勝負に敗北したからだ。
では、何故命を懸けたのか。
「それは、お互いに退けないものがあったからだ」
では、お前は何をしている?
その強者たちに勝ったお前は、ここで何をしている?
戦はまだ続いている。
なのにお前は、ここで茫洋と過ごし、日々を無駄にしている。
「無駄なんかじゃない。これはこれで大切なことなんだ。剣を振るばかりが戦いじゃない」
はたして、死んでいった者たちがそれで納得するだろうか?
あの者たちは、お前がここで暢気に過ごすために死んでいったのか?
あの者たちは何のために死んだのだ?
その意味は。お前の行動があの者たちの死を意味付ける。
それを理解し―――
「うるさい!」
と声を上げて、アルゴは地面に腰を落とした。
そして、自虐的に笑った。
「俺は何をしてるんだ。自分と会話して、自分に苛立って……心を乱して……馬鹿か俺は……」
これは勉強のしすぎなのかもしれない。
下手に知識をつけて、考えることが小賢しくなっている。
「いや、違うな。あれは俺だ。間違いなく俺の心だ。分かってるよ……この生活だって大切なんだ。それを自ら捨て去るのは、頭のおかしい奴のやることだ。それに、戦場にいくということは人を殺すということだ。俺は人殺しが好きなのか? 違う……好きじゃない。でも……それでも俺は……」
「坊ちゃま」
と後ろから声を掛けられた。
驚いた。
ここまで接近されていたことに気が付かなかった。
それほど心を乱していたということか。
アルゴは声の方へ振り向いた。
そしてまた驚いた。
「カーミラさん……」
そこにはカーミラが居た。
カーミラから声を掛けられるのは珍しいことだ。
いや、もしかするとこれが初めてなのかもしれない。
カーミラは軽く頭を下げて、清潔な布をアルゴに差し出した。
「坊ちゃま、これをお使いください」
「あ、ありがとうございます」
アルゴは布を受け取り、首や額の汗を拭った。
不快な感覚が消え、ほんのわずかだが気分が回復した。
再び礼を言おうとカーミラの方へ目をやる。
アルゴには分かった。
カーミラは無表情を取り繕っているが、その表情からわずかに不安が覗いていた。
「あの、カーミラさん、ここの生活には慣れましたか?」
カーミラの不安を和らげようと、アルゴは優しく尋ねた。
「……はい。皆さんには本当によくして頂いております。盟主様と坊ちゃまにも、深く感謝しております」
「それはよかったです。あの、俺にそんなに畏まる必要はないです。俺は庶民の生まれで元奴隷です。それに俺は人族ですし……」
人族と聞いて、カーミラは息を呑んだ。
この聡い少年には気付かれている。
私が人族を恐れていることを。
「申し訳ありません、坊ちゃま。坊ちゃまが悪いわけではないのです。これは……私の問題……なのです……」
「はい。分かってます。なので謝る必要はありません。それと、無理に俺に近付く必要もありません。あなたはもう、十分傷ついた。だから、これからは心穏やかに過ごしてください」
アルゴがそう言うと、爽やかな風が庭園を通り抜けた。
風にカーミラの髪がなびき、カーミラは一瞬だけ視界を奪われた。
髪を払いのけて再び少年の姿を見た時、不思議に思った。
恐怖心が和らいでいる。
目の前に居るのは、怪物や悪魔なんかじゃない。
そこに居るのは、人の良さそうな笑顔を浮かべた少年だった。
初めてまともに顔を見たような気がする。
「意外と……可愛らしい顔をしているのですね」
「……え?」
「フフッ」
と柔らかく笑って、カーミラはアルゴに近付いた。
近くで見るとよく分かる。
体は細いが、筋肉はよく引き締まっている。
顔はどちらかと言えば中性的で、男らしさはあまりない。
だがこれはこれで異性を惹きつけるものがある。
その顔と体は、まだ少年のものだ。
だが確実に、大人へと変化しつつある。
あと二年か三年もすれば、また違って見えるのだろう。
子供はその僅かな時間でいくらでも成長する。
子供とはそういうものだ。
「私は子供が好きです。子供は守るべき者です。愛おしむ者です。ですから私は、もう坊ちゃまのことを恐れません。坊ちゃま……何か悩みがおありなのでしょう?私でよければですが、その悩み聞かせて頂けませんか?」
「それは……」
アルゴは少し悩むも、やがて口を開いた。
「俺は……この手で敵を殺しました。敵を切り刻み、首を刎ね飛ばしました。その人たちの顔を俺はよく覚えています。その人たちが時折、夢に出てくるんです。その人たちは何も言いません。ただ、俺のことを見ている。俺は見られている。俺のこれからの行動を。自分たちは何のために殺されたのか。その意味は、俺のこれからの行動にかかっているから。だから俺は、あの人たちの死に意味を持たせないといけない。俺にできる唯一のことは……戦うことだけです。だから俺は……戦いに征きたいんです。でも……」
「それを……盟主様に反対されたのですね?」
「……はい」
「それは……当然でしょう。子供を戦争にいかせる親がどこにいましょう」
「……」
「私は戦争が嫌いです。心の底から憎んでおります。私も盟主様と同意見です。坊ちゃまは戦争に征くべきではない。たとえ坊ちゃまが、どれほど強くても」
「……」
「これを……二律背反というのでしょうか?」
「……はい?」
「戦争は一刻も早く終わって欲しい。 そして坊ちゃまは、戦争終結を早めるお力を持っておられる。でも、坊ちゃまを戦争に征かせたくはない。きっと、どちらが正解というものでもないのでしょう。ですから結局は、坊ちゃまの御意思と盟主様の御判断しだい……ということになります」
「その通りです。でもメガラの意思は固い。メガラの意思を無視して戦争に征くなんてことはできない……」
暗く沈むアルゴの表情を見て、カーミラは深く息を吐いた。
「坊ちゃま、私は今から自分の意思を曲げて発言いたします。私が……私が盟主様に口添えしてみましょう。坊ちゃまが戦争に征けるように……」
「え? 本当……ですか?」
「私は間違っているのでしょう。子供が戦争に征くことを後押しするなど、正気の沙汰ではありません。ですが……坊ちゃまは深く悩まれておられる。それは深い苦しみ。その苦しみに今後何十年も苛まれるのだとしたら……それは辛すぎることです。ですから私は、私ができる範囲で坊ちゃまをお助けします。子供に手を差し伸べるのは……大人の努めですから……」
「あ、ありがとうございます! カーミラさんの話なら、メガラも耳を貸すはずです! 助かります! 本当に!」
「ですが、約束してください。戦争を少しでも早く終わらせること。そして、必ず帰ってくること。それをここに誓ってください」
「はい、誓います」
それを聞いて、カーミラは跪いた。
「では、私は私のできる限りを以って、坊ちゃまをお助けします。どうか、その身を犠牲にして、私たちの英雄となってください」




