208.白い世界で
白い霧に包まれた世界。
どこまでも続く果てのない世界。
この世界に物質は存在しない。
『すまなかった……アルゴ』
ベリアルの声が聞こえた。
だが、ベリアルの姿はどこにもない。
当然だ。ベリアルは自分の中に居るのだから。
『ベリアル……ここは……どこ? もしかして……俺は死んだの?』
『いいや、死んじゃいねえ。……まだな。ここは生と死の狭間。現実と夢の境界線』
『それは……もうすぐ死ぬってことなのかな?』
『オレっちの存在力を使って、オマエの命を何とか繋ぎ止めてはいる。けど……俺っちは所詮、残りカス以下の霞のような存在。今のオレっちの力じゃあ……オマエを救ってやることはできねえ。すまねえ、完全にオレっちのミスだ』
『教えてくれ、ベリアル。神ロノヴェの正体と、ベリアルとの関係を』
『アイツは……ロノヴェは親友だったんだ。オレっちとロノヴェとアンジェラは昔馴染ってやつ……だな』
『だったら、なんでその親友と敵対してるの?』
『前にも言ったが、オレっちは自分の一部をダンジョンに隠すことで、天界への帰還を回避したんだ。裏技ってやつだな。だが驚いたことに、裏技を使ったのはオレっちだけじゃなかった。ロノヴェもオレっちと同じやり方で地上に留まっていた』
『それは……驚いた……』
『ロノヴェはオレっちの目の前に現れた。驚いたが嬉しかったぜ。親友と地上でまた楽しくやれるって考えちまった。けど、アイツは既にアイツじゃなかった』
『どういうこと?』
『ルキフェルの奴だ。男神、あるいは魔神ルキフェル。ルキフェルがロノヴェの体を乗っ取ってやがった。どうやら、ルキフェルには野望があったらしい。ルキフェルはロノヴェに寄生することで、天界への帰還を免れた』
『魔神ルキフェル……。なるほど、真の敵は魔神だったのか』
『ああ。アイツが何をしたいのかは、オレっちにも分からねえ。分からねえが、アイツはオレっちに戦いを挑んできやがった。親友を返して欲しければ我と戦え、ってな。オレっちは戦いに応じた。親友を奪い返すためだ。当たり前だろう? アイツも残りカスだが、アイツは女神アンジェラと肩を並べるほどの大きな力を持った神だ。オレっちは……アイツに勝てなかった。オレっちは負けてダンジョンに閉じ込められ、アイツの命令に従う下僕となっちまった』
『戦いに負けたら相手の言う事を聞く、っていう契約を交わしたんだね?』
『そうだ。戦いに挑んだこと自体は今でも後悔してねえ。と今の今まで思っていた。だが……その結果がこれだとしたら……オレっちは……』
『ベリアル、まだ聞きたいことがある。神ロノヴェ……いや、ルキフェルが最後に仕掛けて来たあの攻撃、あの突然現れた刃は一体なに?』
『ハハッ……アルゴ、オマエってやつはすげえな。あの刃は多分、ダンジョンで造られた物だ。ダンジョン内の素材を使って造られた、ダンジョン生まれの武器。ダンジョン武器なら神の身でも人に危害を加えることができる』
『ダンジョン武器? そうか、ベリアルのダンジョン内に居た砂人形や動く石像もダンジョン武器、なんだね?』
『その通りだ。ダンジョンは神にとっても未知の領域。神の法則から外れた領域だ。つーことで、直接的にも間接的にも神は人を傷つけることができないが、ダンジョン武器ならそれが可能だ。まあもっとも、神と人の間で決闘契約を結んだ場合は、通常の武器でも傷つけることが可能だがな』
『そんな武器があるなら、なんでルキフェルはあの場の人たちを皆殺しにしなかったの? あの場には偉い人たちが集まっていた。考えたくないけど……メガラだって……』
『それは、オレっちとオマエを欺くだめだろう。ダンジョン武器の存在はオレっちも知っていた。オレっちもその武器を造ってるんだから当然だな。だが、それをダンジョンの外へ召喚する方法は知らなかった。アイツは、ダンジョン武器を召喚する術を生み出しやがった。無機物を召喚することはできないはずなんだ。召喚ってのは、その存在と契約して初めて可能となるものだ。意思のない物とは契約できない。と思っていたんだがな……』
『ルキフェルは、ダンジョン武器を召喚する術を隠していた。隠すことで、俺とベリアルの意表を突いた。俺に勝つために。俺を殺すために。あの瞬間に、ルキフェルは全てを賭けたんだ。なるほど、俺たちは賭けに負けたんだね……』
『すまねえ、アルゴ。オレっちじゃなくオマエなら、初見でもあの刃を躱すことができただろう。オレっちじゃあ、あれは躱せなかった』
『済んだことはもういい』
『けどよう……けど、言わなきゃならねえ。いまオレっちの存在力を使って、オマエの命を繋いでいるって言っただろう? 当たり前だが、存在力は無限じゃねえ。このままじゃ、いずれ存在力が尽きる。そうなればオレっちは消え、オマエの命も消える』
『大丈夫』
『大丈夫? 何がだ?』
『オレは知ってる。俺の主の凄さを。メガラが何とかしてくれるさ』
『おいおい、何とかって何だよ』
『さあ、それは知らない』
『さあって……ったく、オマエは……』
『ベリアル、今の内に言っておくよ。今までありがとう。短い間だったけど、ベリアルには世話になった』
『ハハッ、なんだそりゃあ。さっきの自信はどうしたんだよ? それは死ぬ奴の台詞だろう?』
『隠さなくていいよ。たとえ俺が息を吹き返したとしても、ベリアルとはこれが最期……でしょ?』
『ハハッ。流石だな、アルゴ。ああ、そうだな。オレっちはもう存在力を使いすぎた。ここまで使っちまったら、もう回復は無理だ。あとは消えるのみよ』
『寂しく……なるね』
『そう……だな』
『なにか……なにか俺に言い残すことはある?』
『ないな……と言いたいところだが、一つだけ……ある』
『言ってくれ』
『ロノヴェを……オレっちの親友を開放してやってくれ』
『それは……それはつまり……』
『ロノヴェを死なせてやってくれ。ルキフェルを斬って、もうアイツを楽にさせてやってくれ』
『いいんだね?』
『ああ。頼む』
『分かった』
『恩にきる』
『って言っても、ここから出られたらの話だけどね。まあ、俺はメガラを信じてるけど……』
『……こいつは』
『ん? どうしたの?』
『ハハッ。オマエの言った通りだ。オマエの主はすげえ』
『え?』
『なに、オマエもすぐに分かる』
その瞬間、確かにアルゴにも分かった。
この白い世界から拒絶される感覚。
空へ落ちるような奇妙な感覚。
感覚で理解する。
これは、意識が浮上しようとする感覚。
『メガラだ……メガラが俺を呼んでいる』
『アルゴ……どうやら、お別れのようだな』
『ベリアル……』
『ハハッ。しけたツラすんな。ここは喜ぶべきだろ』
『……うん』
『ああ、それとな、さっき言ったロノヴェのことだがよ、べつに気負わなくていい。無理なら無理でいい。やりたくないならやらなくていい。これは意地になって言ってるわけじゃねえぞ? オマエがやりたいようにやればいい。それだけだ』
『ベリアル、俺は初めてベリアルに会った時、ぜったい仲良くできないと思ったよ』
『はあ? おいおい、このタイミングで言うことかよ!?』
『アハハッ、そうだね。でも、今は違う。ベリアルと出会えてよかった、と今はそう思ってる。だから―――俺に任せろ』
『ハハッ……ハハハハハッ! アルゴ、オマエってやつは―――さいこーだっぜ!』
『アハハッ』
『ハハハッ』
『じゃあ、そろそろ……いくね』
『ああ……いってこい! 相棒!』




