207.博打
「なんということだ……分かってはいたことだが……これは……」
ロノヴェは、肩で息をしてアルゴを見据えた。
ロノヴェの姿は黒球から人型に戻っている。
もう姿を変化させることはできない。
傷を治すこともできない。
存在力を使いすぎたのだ。
改めて思い知らされる。盟主の騎士の恐ろしさを。
分かってはいたことだが……強い。
手も足も出ない。
残りカスだとは言え、自分は仮にも神だ。
こうも一方的な戦いになるとは思わなかった。
「驚きですよ……貴方のような人材が奴隷に落ちていたとはね。もっと早く貴方を見つけることができていたならば……貴方を我が陣営に取り込むことができていたならば……それを思うと、悔やんでも悔やみきれませんな」
「それはどうでしょうか。俺が今こうしてここに立っているのは、俺だけの力じゃありません。俺はたくさんの人に助けられました。その人たちのお陰で今があります。仮に俺がアルテメデス帝国の兵士だったとしたら、俺はもう死んでるかもしれない。俺は運がよかった。ただそれだけです」
「ホホホッ。強い上に慎ましい。これは敵いませんな」
アルゴは魔剣を上段に構えた。
ロノヴェは地面に膝をつけた状態。
ロノヴェはもう動けない。
「なにか言い残すことはありますか?」
「そう……ですな。では、その御厚意に甘えさせて頂きましょう」
そう言ってロノヴェは続ける。
「ベリアル、聞こえてますかな?」
「聞こえています」
ベリアルの代わりにアルゴが返事をした。
「吾輩は混じっている。ですからロノヴェの思いがよく分かるのです。ロノヴェは、貴方とアンジェラのことを本当に大切に思っていた。ロノヴェとして一つ言いましょう。いい加減、アンジェラに思いを伝えなさい」
ロノヴェの言葉を聞いて、アルゴは疑問を浮かべた。
「ベリアル、この人は何を言っているんだ? 混じっている? どういうこと?」
「アルゴ、ちょっとだけ時間をくれねえか」
「時間? どういうこと?」
「コイツを殺すのは……ちょっと待って欲しい。頼む、ちょっとだけでいい」
「ちょっとって……具体的にはどれぐらい?」
「ちょっとだ」
「悪いけど、無理だ。相手は神だ。甘く考えてると痛い目を見る。殺せる時に殺さないと駄目だ。ベリアルも言ってたじゃないか、油断できない相手だって」
アルゴは魔剣を握りしめる力を強めた。
軽く息を吐き、魔剣を振り下ろそうとする。
「待て。待ってくれ」
「駄目だ」
そう言って、アルゴは魔剣を振り下ろした。
魔剣が煌めき、ロノヴェの頭部へと迫る。
その瞬間、ベリアルの声が聞こえた。
「代われ」
べリアルの言葉が頭に響いた瞬間、アルゴの体は止まった。
魔剣はロノヴェの頭部直上で静止。
これはアルゴとベリアルの間で交わされた契約。
アルゴは、一度だけベリアルに体の制御を渡さなければならない。
「代われ」というベリアルの命令は絶対。
それがアルゴに定められた絶対の縛り。
「悪いな、アルゴ。親友なんだ」
アルゴの口を使い、ベリアルがそう言った。
それから少し間を置いて続ける。
「ロノヴェ、聞こえてるか? 聞こえてるよな? だったらよ、いつまでこのクソ野郎の好きにさせてやがる。いつまでルキフェルのいいようにさせてやがる。おい! ロノヴェ! そこに居るんだろう!? とっとと戻って来い! オマエの意地を見せてみろ!」
熱がこもったベリアルの叫び。
その叫びを受け、ロノヴェに異変。
ロノヴェの体が小刻みに震え出した。
「くッ……なんだと……これは……」
右手で顔を覆い、ロノヴェは苦し気な顔をする。
「ロノヴェ……なのか……? 馬鹿な……制御は我にあるはず……」
そのロノヴェの異変を見て、ベリアルは再び叫んだ。
「ロノヴェ! その調子だ! 気合を見せやがれ!」
「うッ……うッ……ベリアル……そこに……いるのですか……?」
「あ、ああ! ここに居る! オレっちはここに居るぞ! オマエの親友、ベリアル様はここに居る!」
「ホ……ホホッ。懐かしい……ですな……ベリアル」
「ああ! 会いたかったぜ! ロノヴェ!」
「……ベリアル、一つ……よいですかな?」
「ああ! 勿論だ!」
ロノヴェは顔を上げた。
その顔は、ベリアルの記憶にはないものだった。
それは、この世の悪意を塗り固めたような、ひどく邪悪なものだった。
「その少年の強さの秘密は、器ではなく中身なのです」
「なに……?」
「つまり、貴方では吾輩には勝てない」
その瞬間、ベリアルは痛みを感じた。
「うぐッ……」
口から血液がこぼれた。
自分の腹を見れば、複数の刃が突き刺さっていた。
突然虚空から現れた刃。
その刃に腹を貫かれている。
ベリアルは、堪らず崩れ落ちた。
「ち、ちくしょう……ルキフェル……テメエ……」
「ホホホッ。致命傷、というやつですな。貴方は死ぬ。間違いなく」
ロノヴェは天を仰いだ。
「勝った。吾輩は賭けに勝った! ホホッ……ホホホッ……ホホホホホホッ!」
「ルキフェル……テメエ……こうなることを……読んでいたってのか?」
「読んでいた? 何を言ってるのです? 勝ち負けが分からないのが博打というものでしょう? 吾輩はね、己の命を賭けたのですよ。神ベリアル、貴方は読めないところがありますからな。貴方がどのように行動するのかは、吾輩にも読み切れなかった。だから、これは賭け。貴方が吾輩を殺害すことよりも、友の救出を優先することに吾輩は賭けた。結果は―――吾輩の勝ち、ですな」
「その喋り方を……やめろ。ロノヴェの真似を……するんじゃ……」
その時、ベリアルの口からまた血が溢れた。
ベリアルは、もうまともに喋れる状態ではなかった。
「ホホホッ。苦しそうですなあ。なあに、今とどめを―――」
底冷えするような強い殺気。
その殺気を感じ、ロノヴェは言葉を止めた。
金色の瞳がこちらを見ていた。
それは、強者の眼差し。
圧倒的上位者から向けられる強烈な殺気。
ロノヴェはそのように感じた。
今、アルゴの体の主導権はアルゴに戻された。
アルゴは、射殺すように目の前の神を睨みつけた。
ロノヴェは後ずさる。
「わ、吾輩は……神……だぞ。なんだこれは……これは……」
恐怖。
怖かった。目の前の死にかけの少年が、ただ怖かった。
「ま、まあいいでしょう……。貴方は時期に死ぬ。吾輩がわざわざトドメを刺す必要は……ない」
そう発言した直後、ロノヴェの体が黒い霧と化していく。
そして黒い霧は、空を漂いこの場から離れていった。
「い、痛い……なぁ……」
アルゴは地面に倒れ込んだ。
血が止まらない。
体が冷えていくのが分かる。
これはちょっと……まずいかも。
その瞬間、地面を駆ける足音と、誰かの叫び声が聞こえた。
「―――アルゴ! アルゴ! 嘘だろう! 嘘だと言ってくれ!」
薄れゆく意識の中、その叫びを聞いた。
目を開けていることも難しくなり、視界が闇に閉ざされる。
ごめん……メガラ……。




