205.黒い球体
大勢の兵士に見守られる中、アルゴは前に出た。
地面を踏みしめて少し進み、足を止めた。
「アルゴ……」
と心配そうに見つめるメガラ。
「心配しなくても大丈夫。俺は絶対に負けない。これは好機だ。邪神を討てる機会は、これを逃せばもう二度とないかもしれない」
「ああ、分かっている。分かっているさ……。だからお前に頼むのだ。だが、奴はお前の強さを理解して尚、お前に戦いを挑んでいる。それが……余はとても不気味だ。なにかを仕組んでいるのかもしれない。けっして、油断するでないぞ……」
「分かった」
アルゴは頷いて立ち上がろうとした。
その時、アルゴは衣服の袖をメガラに掴まれた。
「待ってくれ」
メガラはアルゴの首に両腕を回し、アルゴを抱きしめた。
「お願いだ……死んでくれるなよ。お前が居なくなってしまたら……余は生きてはいけない……」
アルゴはメガラの背中をトントンと優しく叩いた。
「死なない。死ぬわけがない。だって俺は盟主の騎士だ。逆に、俺が負けると思う?」
悪戯をする悪ガキのような笑みを浮かべるアルゴ。
その言葉で僅かに表情を緩めるメガラ。
「馬鹿者。調子に乗るな」
「ハハハッ」
と笑い、アルゴは今度こそ前に進む。
「じゃあ、いってくる」
「ああ」
ここは平地。見晴らしのよい平原。
空は晴れ。気温は暖かく、風は穏やかだ。
そして、大賢者ロノヴェ・ザクスウェルと対面。
ロノヴェは、胸に手を当てて深々と頭を下げた。
「サー・アルゴ。吾輩の申し入れに承諾頂いたこと、誠に感謝いたしますぞ。さて、詳細説明は必要ですかな?」
「いりません」
「結構」
と言うと、ロノヴェは指を弾いた。
すると、アルゴの目の前の空間に青白い文字が浮かび上がった。
神ロノヴェ・ザクスウェルとアルゴ・エウクレイアは、互いに死力を尽くして戦うことをここに誓う。
この契約に同意すれば、神ロノヴェ・ザクスウェルとアルゴ・エウクレイアは、お互いを殺し得る存在へと変化する。
これに同意する場合は、名を刻まれたし。
アルゴは人差し指を空中に走らせた。
己の名前を刻む。
その時、胸の奥がざわつく感覚があった。
頭の中で鳴る警鐘。
誰かに訴えかけられているような感覚。
この感覚はきっと。
「ベリアル……?」
「―――ぷっはッ!」
と大きく息継ぎをするような声が聞こえた。
その者は、息を切らしながら言葉を放つ。
「はぁ……はぁ……ようやく浮上できだぜ。ったく、メガラちゃんの契約はとんでもねえな』
今まで沈黙していたベリアルが、ここにきて突然息を吹き返した。
「ベリアル、いまどんな状況か理解してる?」
「ああ、なんとなくだが分かってるぜ。もう分ってると思うがよ、アイツがオレっちを嵌めたクソ野郎だ」
それを聞いてアルゴは、目の前の老人を見据える。
ロノヴェ・ザクスウェル。
この老人こそが、ベリアルを陥れた張本人。
皇帝マグヌスと共に、世界に破壊を巻き散らす邪神。
「ホホホッ。懐かしい気配がしますなあ。神ベリアル、そこにいるのですね?」
ベリアルの代わりにアルゴが返事をする。
「神ロノヴェ、ベリアルの言葉を伝えます。言ってもいいですか?」
「ええ、構いません」
「―――くたばりやがれ、クソ野郎」
それを聞いて、ロノヴェは口元を歪めた。
「ホホホホホホッ。くたばりやがれ……ですか。残念ですが、そういうわけにはいきませんな。吾輩もそれなりに必死でしてな。吾輩にとってこれは賭け。賭けというものは……吾輩は好きではないのですよ。不確かな運などというものに縋るしかないなどと……神としてあるまじき事態。ですが、そうでもしなければ盤面は覆せない。さあて、吾輩の運が如何ほどのものか……それを試してみましょうか」
その直後、ロノヴェの体から黒い瘴気が漏れ出した。
瘴気はロノヴェの全身を包み、やがてロノヴェの体を変化させていく。
それは、黒い球体だった。
大きさは半径一メートル程度。
球体の表面は滑り気があり、手で触れば粘つく液体が糸を引くだろう。
その球体から、太い触手が生え出した。
触手の数は八本。
八本の触手と本体である黒い球体。
それらの表面を覆うのは、赤い瞳。
無数の赤い瞳。八本の触手の生えた黒い球体。
それはもう、完全に人の姿ではない。
その姿を見てアルゴは確信する。
間違いないと思った。
「あなたは神なんかじゃない。―――悪魔だ」




