195.親友
激しい地鳴りを伴って車輪が回る。
巨大な車輪は全てを破壊する。
この地は荒野。
車輪の進路上には何もないが、もし都市があったならその被害の大きさは計り知れないだろう。
「あれを召喚したのは十中八九、帝国の仕業。じゃが何故この時、この場所で召喚したのじゃ? 我らにより大きな損害を与えたいのなら、もう少し召喚どころを考えるべき……。ふーむ。おそらくは、この状況下でしか召喚できなかった、と考えるべきか」
ミレトは丘の上から車輪を見つめ、そう独り言を漏らした。
「この時も、戦場では多くの兵士が死んでおる。その死体を触媒にあの車輪を召喚した、というところか」
そう予想し、それ共に驚愕した。
「じゃが、それは神の御業と言ってよい。そんなマネができる者など現代にはおらん。と、思っていたんじゃがのう。フフフッ。よいよい。妾らの敵は神じゃったか。ならば、この異界の魔女がどこまでやれるのか……神よ、とくとご覧あれ」
ミレトは、異界の杖を掲げた。
杖の先には翠色の魔石が嵌め込まれている。
魔石が輝き出した。
その瞬間、強い揺れが起きた。
世界が引っ繰り返るかのような大きな地震。
そして、それは荒野から現れた。
それは、世界を破壊し得る巨大な力の塊。
現れたのは、全身を緑色の鱗に覆われた大蛇。
八つの頭を持つ怪物。
その身の長さは優に八十メートルは超える。
「ヒュドラよ、その命を賭して、あれを止めるのじゃ」
ミレトから命令が下され、ヒュドラは動き出した。
巨大な八又の蛇が、荒野を蛇行する。
もし車輪に意思があったのなら、突然現れた怪物を前にたじろいでいたはずだ。
だが当然ながら、車輪にそんな感情はない。
車輪は止まらない。
ヒュドラも止まらない。
主の命令は絶対である。
車輪とヒュドラが激突。
巨大な蛇と巨大な車輪。
異形と異物。この二つの争いが始まった。
ヒュドラがその巨大を以って車輪を止めた。
車輪は空転するが、大量の土を跳ね上げながら尚も進もうとする。
ヒュドラは八つの頭を車輪に絡ませていく。
巨大な力で締め上げて、車輪を破壊するつもりだ。
それでも尚、車輪は前進しようする力を緩めない。
ヒュドラと車輪は膠着状態にあった。
メガラは遠目でその光景を見ていた。
「あれは確かに切り札だ。ミレトの奴、あのような化け物を隠し持っていたとはな。だがあれ程の怪物……支払った代償は……」
支払った代償は大きい。
対象となる存在と契約し、この世界に呼び出す術。
それこそが召喚術だ。
契約を結ぶ相手が強力な存在であるほど、その代償は大きい。
あのような世界を破壊し得る怪物との契約となると、その代償は如何ほどのものなのか。
「ミレトお前……いったい、何を差し出した……?」
メガラはミレトに近づき、ミレトの背中に向かってそう問い掛けた。
その問いに、ミレトは答えた。
荒野に目を向けたまま。
「なあに、妾の寿命の大半をくれてやったまでじゃ。今回の代償は契約を結んだ時点ではなく、召喚した瞬間に支払われるものでありんす。ヒュドラを召喚した瞬間に、ごっそりと寿命が奪われる感覚がありんした。そういうこともあって、妾にできることはほぼなくなる、と申したのじゃ」
「なん……だと……。お前は……あとどれぐらい生きられる……?」
「フフフッ。それを訊くかえ、盟主様。そうじゃのう、正確には分からんが、あと数年といったところじゃろか?」
「ば、馬鹿だ……。お前は、馬鹿だ……」
「馬鹿とは何じゃ。妾が居なければ、あの車輪は止められんかったぞえ」
「何故だ……何故そうまでして……お前は……」
「言ったじゃろう? 全ては妾の気分次第。気分が乗った、それだけのこと」
「気分だと……。お前は気分で自分の命を懸けるというのか……」
「しょうがないじゃろう。気分が乗ったのじゃ。乗せたのは……サラミスじゃがのう……」
「なに?」
「盟主様、お喋りはここまでじゃ。盟主様もとくとご覧あられよ。あのような戦いは、もう二度と見れんじゃろう」
ヒュドラと車輪の戦いに、決着が付こうとしていた。
ヒュドラは車輪を締め上げ続ける。
車輪の外観に大きな亀裂。
車輪が壊れようとしているのは、誰の目にも明らかだった。
「よいぞ、ヒュドラ。そのまま破壊するのじゃ」
見ておるか? サラミス。
妾はよく頑張っておるじゃろう?
お前に託されたもの、妾はよく守り切っておるじゃろう?
サラミス……お前がいなくなって妾は退屈じゃ。
ああ……お前の花のような笑顔が見たいのう。
お前の鈴のような声が聞きたいのう。
なあ、サラミス。お前はそっちにいるのかえ?
そっちにいけば、また会えるのかえ?
それならば、そっちにいくのも悪くないのう。
……分かっておるよ。
もうひと踏ん張り……じゃろう?
「ヒュドラよ! 神に目にものを見せてやれ!」
距離的には、その声がヒュドラに届くはずはない。
だがヒュドラは、締め上げる力を強めた。
ヒュドラは最後の力を振り絞った。
車輪に入った亀裂が広がり、車輪は崩壊を始める。
パラパラと、車輪が崩れていく。
車輪は強大な破壊装置だ。
ゆえに、それをその身で止めていたヒュドラもまた、大きく疲弊していた。
それでもヒュドラは力を緩めない。
そしてついに、車輪が砕け散った。
それと共に、ヒュドラが緑色の粒子と化していく。
力を使い果たしたヒュドラは、あるべき場所へ還っていく。
「よくやった、ヒュドラ。大義であったぞ」
そう言って、ミレトは空へ目を向ける。
「これでよいのじゃろう? ―――サラミス」
ありがとう、ミレト。
「フフフフッ」
それは幻聴だったのかもしれない。
だがミレトは確かに聞いた。
他人を笑顔にすることに長けた、美しい女の声を。
「構わんよ。他ならぬ……親友の頼みじゃからのう」




