194.切り札
アガム砦から西に約六キロ。
混成軍の本陣にて。
「報告です! 我が軍が優勢! 我が軍が優勢! であります!」
若い兵士の報告を聞き、メガラは鷹揚に頷いた。
「詳細を聞かせてくれ」
「はッ! 戦局は大きく分けて二つ! アガム砦前方の荒野での戦いと、アガム砦内部での戦いであります! どちらも我が軍が押しております! このまま勢いを保てれば、一両日中にはアガム砦を落とせる見込みであります!」
「よろしい。報告御苦労であった。持ち場へ戻れ」
「はッ!」
兵士が離れていき、メガラは隣に視線を向けた。
「ミレト、お前には感謝しておこう。我らが優勢なのは、お前の働きによるところが大きい。パルテネイア聖国軍の動員、ヴェラトス砦の主としての務め、大義であった」
「フフフフッ。盟主様が褒めて下さるとは……これは、空から槍が降ってきても不思議ではありんせんなあ」
「フッ。その無礼な口も、今なら聞き流せるな」
「盟主様、褒めて下さるのは嬉しいが、我らが優先なのは妾の力だけではなかろうよ」
「ああ。皆よく戦っている。皆のお陰だ」
それを聞いてミレトは首を振った。
「そうではないじゃろう、盟主様。それは当たり前じゃ。それは言うまでもないこと」
「なんだと?」
「この戦い、一番の立役者は間違いなく坊やじゃ。坊やがいなければ、こうも優勢ではなかったじゃろう。やはりあれは傑物。ふむ。あるいは、坊やを見つけた盟主様こそが、最大の功労者なのかもしれませんなあ」
「……フッ」
「何がおかしいのじゃ?」
「いや、さっきお前は言ったな。空から槍が降ってきても不思議ではないと。その言葉、そのまま返そう。お前が余を褒めるなど、それこそ滅多にないことだ」
「それほど、坊やの価値が高いと言うことじゃ。何度でも言うが、坊やを繋ぎ止めておくことは我らの絶対命題じゃ。そこのところ、分かっておられますかえ?」
「分かっている。この戦いに勝てたなら、あいつには十分な褒美を取らせる」
「いっそのこと、体を差し出したら如何でありんすか?」
「―――なッ!?」
「うぶじゃのう、盟主様は。いいかげん、そういうことも覚えたらどうじゃ?」
「黙れ。お前を褒めた余が馬鹿だった」
「しかしのう、結局のところそれが一番確実じゃ。男はのう、馬鹿に見えて決して馬鹿ではない。あれらは色々と考えて動く。深く考察し、常に己の戦う意味、生きる意味を探しておる。しかし、動機付けだけは驚くほど単純。たった一つのことを胸に決めたのなら、その思いを抱えたまま戦場へ飛び込んでいく。それが男という生き物じゃ。盟主様、坊やに強い動機付けを与えてくりゃれ。そうすれば、坊やは盟主様のために戦い続ける」
「……なるほどな。お前の言葉は本質を突いているのかもな。だが……な」
「うん?」
「お、男を喜ばす……方法など知らん」
「アハハハハッ! 妾は初めて盟主様のことを愛らしいと思うたえ。ククククッ……これはいい。あの盟主様が……アハハッ!」
「わ、笑うな!」
「アハハッ! 安心してくりゃれ、盟主様。妾が、よーく教えて差し上げますからのう」
艶のある笑みを浮かべ、ミレトはメガラの頬に手を伸ばした。
「じっくり、その体にのう」
「ミ、ミレ……」
メガラに顔を近づけるミレト。
メガラは、蛇に睨まれた蛙にように体を硬直させてしまった。
この時、まだ戦は継続していた。
だというのに、この二人はすでに勝利を確信していた。
まだ勝敗はついていないというのに。
間違いなく、気が緩んでいた。
「報告です!」
若い兵士が本陣に飛び込んできた。
それは、気を抜いた二人への罰か。
若い兵士が上げた報告の内容に、二人は大いに驚いた。
「この本陣に接近する巨大な建造物あり! あまりに巨大ゆえ、進行の阻止は不可能! 直ちに、この場からお逃げください! 繰り返します! 直ちに、この場からお逃げください!」
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「なんとまあ、面妖な……」
ミレトは呆気に取られていた。
視線の先には巨大な建造物。
この距離ではまだ小さく見えるが、それでもその大きさを理解するには十分だった。
巨大な建造物が、地響きを上げながら荒野を転がっている。
動力は不明。建造物は独りでに動いている。
荒野を転がる建造物は、さながら巨大な車輪。
「あれの目的は我らか?」
そうメガラが尋ねた。
「我ら、というよりこの本陣でしょう。この本陣に備えられている武器や食料。それらの物資を本陣ごと破壊するのが狙い……でありんしょうな」
「なるほどな。この本陣に残る少数の兵だけでは、全ての物資を運び切るのは不可能。それに、本陣を破壊してもあれは止まらぬかもしれん。あれがさらに西へ進み、ヴェラトス砦を破壊してしまう可能性もある、ということか」
「そうじゃのう。ヴェラトス砦にもそれなりの蓄えを残してある。それら全を失うとなると、相当な痛手じゃ。仮にアガム砦を落とせたとて、その後の魔都攻略に憂いが生じる……」
「ああ。ならばアガム砦の蓄えを奪えばよい、と考えるのは敵も予想するはず。いまごろアガム砦では、食料庫に火が放たれているかもしれんな。奪われるぐらいなら燃やしてしまおう。とな」
「ええ。そうじゃろうとも」
「さらに言えばだ。あれの原理が不明な以上、最悪を想定するべきだ。あれがヴェラトス砦を破壊しても止まらなかった場合……イオニア連邦、あるいはパルテネイア聖国まで進行してしまった場合……」
「それはもう、想像を絶する被害じゃろうな」
「そうだ。ゆえに、ここは―――」
その時、背後から兵士の声が聞こえた。
「盟主様! ミレト様! 馬の準備ができております! どうか、お早く!」
「待て。逃げるのは最後の手段だ」
「で、ですが!」
「案ずるな。余を誰と心得る。余は永久の魔女であるぞ」
そう言ってメガラは、永久の杖を掲げた。
先端に紫の魔石が嵌め込まれた黒色の杖だ。
「め、盟主様……しかし……」
「永久の結界であれを消し飛ばす。それで終いだ。もしもの時に備え、お前たちは逃げる準備を整えておけ。さあ、準備に取り掛かれ!」
「か、かしこまりました!」
そう返事して兵士は離れていった。
そして、集中を始めようとするメガラにミレトは言う。
「見えを切った手前悪いがのう、盟主様。盟主様のそれでは無理じゃ」
「無理かどうかは、試してみなければ分からんだろう」
「いいや。あの車輪の速度は速い。盟主様の永久の結界は、動く的に対しては不向きじゃ」
「だから諦めて早々に逃げ出せと? あれを放っておく危険をお前と共有したばかりだと思ったがな」
ミレトは大きく溜息を吐いた。
「しょうがないのう……。とっておきは、もう少し残しておきたかったのじゃがのう」
「なんだと?」
「盟主様、いまから妾は切り札を切る。それを切ったら、妾にできることはほぼなくなる。じゃから、あとのことは任してもええかえ?」
「……何をするつもりだ?」
「妾は異界の魔女。ならばやることは決まっておりましょう。答えて下さいまし、盟主様。あとのことはお任せしても?」
「……無論だ。すべて、余に任せろ」
それを聞いて、ミレトはわずかに笑みを見せた。
「のう、盟主様」
「なんだ?」
「サラミスのことは……まこと残念じゃった。無事この局面を乗り越えたなら……酒を飲みながら、あの娘の思い出話でも……どうじゃ?」
「……お前とサラミスは仲が良かったのだったな。全く性格の異なる二人がな……。フフッ、面白いものだ。……ああ、いいだろう。気が済むまで付き合ってやる。ただし、酒は飲めん。この子供の体に酒は毒だ」
「フフフフッ。楽しみじゃ……。これほど楽しみなのは、久方ぶりじゃ」




