193.車輪
アガム砦には、見張りのための塔が存在する。
城壁よりも高いその塔は、合計八つ。
その内の一つに、一人の老人が居た。
老人といっても背筋は伸びており、筋肉量は並の若者よりも多いかもしれない。
大賢者ロノヴェ・ザクスウェルである。
「ふーむ。戦況がよろしくありませんなあ」
ロノヴェは、見張り塔から戦場の様子を観察していた。
端的に言って、敵軍に押されている。
兵士の数はこちらの方が多いはずだ。
だが、勢いはむこうにある。
城壁は破壊され、砦内部に敵軍の侵入を許している。
このままでは、砦が陥落してしまうだろう。
何故押されているのか。
その理由は、大将軍キリルが盟主の騎士に抑えられているということもあるが、他にもある。
理由は大きく三つ。
一つ目は、敵軍の装備性能の高さにある。
ドワーフたちが拵えた武器や盾、鎧の性能は非常に優秀だ。
壊れにくく斬れ味の鋭い剣。
打撃や斬撃のみならず、魔術に対しても高い防御力を持つ盾や鎧。
それらの装備を纏った兵士は、通常の何倍も戦闘力が跳ね上がる。
二つ目は、パルテネイア聖国兵の練度の高さ。
パルテネイア聖国は、アルテメデス帝国の侵攻に対し危機感を持っていた国だ。
有事に備え、兵士はよく訓練されている。
その練度の高さは、もはや軍事大国と言っていい。
三つ目は、ルタレントゥム残党兵の士気の高さ。
残党兵たちにとってこの戦いは、自分たちの領土を奪い返すための戦い。
仲間や家族を帝国から取り戻すための戦いだ。
それゆえに、その士気の高さは尋常ではない。
「このままでは負けますな。こうなれば我らは戦線を後退し、体勢を整えるべき……」
ロノヴェは、杖の先を戦場に向けて続きを言う。
「ですが、ただで引き下がるわけにはいきますまい。吾輩が長い時間をかけて準備した仕掛けの出番ですな。上手くいくとよいのですが……どれ、試してみるとしましょう」
そう言うとロノヴェは、杖の先を床に叩きつけた。
すると、戦場に異変が起こった。
戦いで死んでいった兵士たち。
その躯が、地面に吸い込まれるように消えていく。
敵の兵士も味方の兵士も関係なく。
人族も獣人族も魔族も区別なく。
「やはり魔族は術式への変換効率が高い。贄としては優秀……。この戦場に魔族がいなければ、不足していたかもしれませんな」
ロノヴェは口端を緩めた。
「いいですな。これならば―――」
その瞬間、大地が揺れた。
あまりに大きな振動。
大きな地震。
地震の影響で、兵士たちに動揺が広がる。
一時的に相手との距離を取る者、防御を固める者。
対処法は様々だが、気にせず戦い続ける勇猛な者も存在した。
だが、その勇猛な戦士も、次の瞬間には戦いを止めた。
アガム砦前方に広がる荒野。
その荒野に、ソレは現れた。
ソレは、地面から出現した。
ソレは、白い石で造られた巨大な建物だった。
建物ではあるが、ソレは異質だった。
中央部に巨大な塔。
その塔を十二の尖塔が円状に囲んでいる。
中央の塔とそれぞれの尖塔は通路で繋がっており、隣り合う尖塔同士も弧状の通路で繋がっている構造である。
真上からその建物を見下ろせば、車輪のように見えるかもしれない。
その建物は、アルゴたちが訪れたベリアル城と同じ形をしていた。
「な、なんだ……あれは……」
荒野に現れた巨大な建物。
兵士たちは、それに目を奪われた。
そして、兵士たちを更に驚かす事態が発生。
建物が独りでに動き出した。
ゆっくりとだが、建物が傾いていく。
そして、建物は横倒しとなった。
その衝撃で大量の砂煙が上がり、地面が揺れた。
横倒しとなったその建物は、いよいよ車輪の様子を呈していた。
いま、巨大な車輪が荒野に顕現した。
それで終わらない。
その建物―――車輪が回り出した。
車輪は独りでに荒野を進む。
兵士が密集しているこの荒野で、巨大な車輪が動けばどうなるかは明白だった。
車輪が少し動くだけで、百人単位で兵士が死んだ。
兵士たちが車輪に轢き殺されていく。
「な、何なんだよ! あれはッ!」
「に、にげろおおおおおおおおッ!」
戦場に混乱が生まれる。
車輪は止まらない。動力も無いのに回り続ける。
荒野には、混成軍の兵士のみならず、アルテメデス帝国軍の兵士たちも大勢いる。
車輪はそれらの兵士を纏めて轢き殺していく。
車輪の目的は、この場に居る者たちの蹂躙。
かと思われたが、どうやらそうではないらしい。
車輪は西へ進んでいた。
轢き殺された兵士たちは、ただ単に車輪の進路上に居たというだけ。
車輪が戦場から離れていく。
車輪はどこへ行くのか。
その答えを持っているのは、この場には一人しか居なかった。
「さあ、行きなさい。吾輩の作品よ―――」




