191.最後の一撃
マティアスとガブリエルは動かなかった。
アルゴの接近を目の当たりにしても逃げる様子がない。
「そのまま、じっとしといてください」
そう呟き、アルゴは氷の上を駆ける。
マティアスがまた雷の矢を引き絞っているが、問題ない。
今度は斬って見せる。
己自身に言い聞かせ、アルゴは前進。
その時だった。
足場である氷の地面が、わずかに震えていることに気付いた。
それをアルゴは、人並み外れた鋭さで感じ取った。
アルゴは咄嗟に高く跳んだ。
その直後、氷の地面から巨大な氷のツノが出現。
「これが本当の狙いですか」
氷の地面は、不安定な足場を造り上げることが狙いではなかったのだ。
真の狙いは、地面から突然現れる氷の凶器による攻撃。
だがそれも、今しがたアルゴは対処してみせた。
アルゴは氷のツノを足場にして飛び跳ねた。
アルゴは加速する。
狙いを定める。
マティアスとガブリエルの姿はもう目前。
アルゴは空中で魔剣を構える。
ガブリエルは無数の氷槍を顕現させた。
マティアスは雷の矢を引き絞る。
この瞬間、アルゴは敵の真の狙いに気付いた。
敵は賭けたのだ。
逃げ場のない空中にアルゴを誘導し、最高火力でアルゴを撃ち落とす。
それこそが、敵の真の狙い。
「その勝負、受けて立ちます!」
氷槍が放たれた。
それをアルゴは魔剣で迎撃。
最短の動作で、もっとも効率のよい動きで、迫りくる氷槍を叩き斬った。
その直後、雷の矢が魔剣の間合いに侵入。
雷の矢は軌道を変えなかった。
その代わり、速い。
その速度は、あるいは雷の速度を超えているかもしれない。
だが、盟主の騎士に同じ攻撃は通じない。
魔剣が上段から振り下ろされ、雷の矢が真っ二つに裂かれた。
その後アルゴは、ガブリエルの傍に着地。
すかさず屋根を蹴り上げ、ガブリエルへと狙いを定める。
その時、誰かがガブリエルを突き飛ばした。
それは、人型に戻ったキリルだった。
魔剣は止まらない。
魔剣がキリルを傷つけた。
「―――ぐうッ」
「キリル!」
魔剣がキリルの体に深く入った。
致命傷だ。まず助からない。
だがアルゴは油断しない。
確実にキリルの命を獲るために、追撃を繰り出す。
「このッ!」
ガブリエルが氷槍をアルゴに向けて放った。
アルゴは、無数の氷槍を後ろに下がりながら魔剣で迎撃。
「……離されてしまったな。でも、いいか」
キリルは大量の血を流している。
意識もない。虫の息だ。
「キリル! 嘘でしょ!? 死んだら嫌よ!」
キリルの体を抱きながら、ガブリエルが声を上げている。
その声にキリルが反応することはない。
ガブリエルは顔を上げて己の意思を伝える。
「マティアス! キリルが死んじゃう! 退却するわよ!」
「いいえ、ガブリエル様。私はここに残ります」
「何を言ってるの?」
「私は……あれを討たなければなりません」
「本気で言ってるの?」
「はい」
「そう……」
ガブリエルはマティアス意思を理解した。
「どうして男たちって、そう死にたがるのかしら……。馬鹿みたい……」
「申し訳ありません」
「……時間がないわ。本当に行くわね?」
「はい。共に戦えたこと、誇りに思います」
「武運を」
ガブリエルはそう言うと、キリルと共に一瞬にして消え去った。
マティアスは屋根から飛び降り、アルゴと対峙した。
すでにその身は満身創痍。
雷の弓を使用した代償は大きい。
体の内部の損傷は、見た目以上に激しい。
マティアス、もういい。もうここまでだ。
このまま戦ったら、本当に死ぬぞ。
そんな風に声が聞こえた。
マティアスは、わずかに笑った。
「閣下、そういうわけにはいきません。私は貴方に救われた。腐っていくだけだった私の生に、意味を与えてくださった。その恩人の仇が目の前にいるのです。このまま、むざむざと逃げ帰るなど……不可能だ」
アルゴはマティアスの様子を見ていた。
目の前の獣人は、もう戦える状態じゃない。
だが、この獣人から放たれる戦意や殺意は少しも衰えていない。
「俺の名は……アルゴ・エウクレイア。あなたの名前を教えてくれますか?」
「……マティアス・アルヴェーン」
「マティアスさん。あなたの事情は知りません。でも、あなたには負けられない理由があるのでしょう。それは分かります」
一呼吸して続きを言う。
「でも、それは俺も同じです。俺はある人と約束しました。絶対に死なないと。絶対に生きて帰ると。だから、死ねません。あなたに殺されてやることはできない」
「子供の分際で、立派なことを言う……」
「あなたの覚悟を俺は受け取りました。俺は、その覚悟ごとあなたを斬ります。だからどうか……ここで死んでください」
そう言ってアルゴは魔剣を構えた。
「やってみろ、アルゴ・エウクレイア」
マティアスも湾曲刀を構えた。
そして、二人は動いた。
両者が間合いを詰める。
一撃だった。
一撃で勝負がついた。
赤い血が飛び、マティアスの首が刎ねた。
頭部を失ったマティアスの体が崩れ落ちた。
「マティアスさん。……あなたのことは忘れません」




