188.三人と一人
アガム砦から西に約六キロ。
小高い丘の上に混成軍の本陣があった。
空は晴れていた。
だが、視線を遠くへ向ければ、そこに異常な光景が広がっていた。
金色の明滅。鳴りやまない雷鳴。
天から落ちる雷が、地上の生命を蹂躙しようとしている。
「まこと……とんでもないのう」
扇子を扇ぎながら、ミレトがそう呟いた。
今はまだ、空を覆う巨大な障壁が雷を受け止めている。
だがその障壁は時期に破壊されるだろう。
障壁が破壊されるより前に、大将軍キリルを討たなければならない。
ミレトは視線を遠くへ向けたまま、隣の人物に声を掛けた。
「のう、盟主様。この戦い、勝てると思うかえ?」
「その問いに答える意味があるとは思えんな。仮に勝てないと答えた場合、お前はどうする? 尻尾を巻いてこの場から逃げ出すか?」
それを聞いて、ミレトは肩をすくめて嘆息した。
「辛辣じゃのう、盟主様は。これは単なるお喋りじゃ。そもそも意味なんてなかろうに」
「悪いが、いま意味の無いことをする余裕はない」
「そうかえ。それならば……意味のある会話をしようかえ。なあ盟主様、訊いてもいいかのう?」
「……言ってみろ」
「坊やのことじゃ。盟主様は坊やのことをどう思うておる? 坊やのことをどうしたい?」
「どういう意味だ?」
「盟主様、あれは真の傑物じゃ。妾はあれほどの存在を見たことがない。ゆえに、あれを手放すのは致命的な痛手。それは絶対にしてはいけないことじゃ。坊やを繋ぎ止めておくことは、妾たちの最重要事項じゃ」
「アルゴは物ではない。あいつを物扱いするな。それに、余はあいつとこれまで旅をしてきたのだ。あいつのことは、余が一番理解している」
「駄目じゃ盟主様。盟主様は理解しておらん」
「なんだと?」
「よく聞くのじゃ盟主様。坊やは妾たちとは違う。それは決定的なものであり、絶対に変えられないものじゃ」
「何を言っている?」
「坊やは人族じゃ」
「……だからなんだ?」
「敵はアルテメデス帝国じゃ。帝国は知っての通り人族の国。可哀そうにのう、坊や。このままいけば、坊やは多くの同族を殺すことになる。よく考えてくりゃれ、盟主様。坊やはまだ子供。精神は未熟じゃ。そんな子供が、数多の同族を殺さなにゃならん。子供のやることは予想がつきにくい。この先、同族を殺すことに嫌気がさした坊やが、妾らに弓を引くことはありえんことではない。そうは思わんかえ?」
「ありえん。あいつが余を裏切ることなど万に一つない。それに、余とあいつは契約を結んでいる。ゆえに、それは意味のない心配だ」
「帝国を侮ってはならんぞえ。皇帝マグヌス、大賢者ロノヴェ。帝国には食わせ者がおる。奴らが契約の穴を突いてくるかもしれん。何事にも絶対はないのじゃ」
「結局、何が言いたい? どうしろと言うのだ?」
「じゃから、言うとるじゃろ。妾らは、何としても坊やを繋ぎ止めておかなければならん。それは契約とは別の……坊やの心を強く繋ぎ止めるものでのう」
「なるほどな。だからお前は、あいつを誘惑していたというわけか」
「フフフッ。坊やを懐柔できるのなら、妾は何だってするぞ。坊やには、それぐらい価値があるのじゃ」
「……分かった。お前の言ってることは理解した。その件に関しては、余も再考してみよう」
「よしなに」
「余も一つ訊かせろ」
「なんじゃ?」
「お前は戦には興味がなかったはずだ。余の記憶にあるお前は、戦に関心のない放蕩娘。その娘が何故、それほどのやる気を見せている? 何がお前を変えた?」
ミレトは、扇子を閉じて唇に軽く当てた。
そして、遠くを見つめながら言う。
「さあ……なんでかのう。盟主様の言う通り、妾は放蕩娘ゆえな。全ては自分の気分次第。そう、全ては気分次第……なのじゃ」
メガラは何も言わなかった。
ミレトは本心を語っていない。
そんな気がしたが、それに言及することは、それこそ意味がないと思えた。
気が付けば、雷鳴が鳴り止んでいた。
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アガム砦は、アルテメデス帝国にとって需要な軍事拠点だ。
この砦が突破されれば、魔都エレウテリオンが敵軍に奪われる可能性が跳ね上がる。
それゆえにアガム砦は増築を続けられ、強化されていった。
アガム砦の構造は、大きく分けて三つの区画に分けられる。
巨大な司令棟が存在する中央区画。
中央区画を円状に囲むように存在する武器、食料庫区画。
最外周に存在する兵士たちの居住区画。
居住区画には兵舎が建ち並んでいる。
外観は地味だが、丈夫な造りで、十分な居住機能を果たしていた。
その兵舎の屋根を駆ける二つの人影。
一人は茶髪の少年アルゴ。
もう一人は金髪の青年キリル。
バチバチ、と放電現象が起きた。
絶縁が破壊され、雷撃が放射状に放たれる。
それは、生物を即死させる雷撃。
人に抗える術はない。
しかし、アルゴは真向からそれに挑む。
魔剣が空を裂き、雷撃を裂いた。
アルゴは足を止めず、キリルに接近。
「―――ふざけるなッ!」
キリルは怒声を上げた。
あまりにも常識から外れた敵に、自身の怒りをぶちまけた。
だが、それでアルゴの足が止まるわけはない。
魔剣がキリルに迫る。
「―――くッ!」
生命を絶つ死の刃。
それをキリルは後ろに跳んで躱し、その後、屋根の上から飛び降りた。
地面に降り立ち、身を翻して走り出す。
キリルの全身が怒りに震えていた。
敵前逃亡するなど初めての経験。
これほどの屈辱を味わったのは初めてだった。
だが、あのまま戦っていても勝ち目はない。
怒りに震えながらも、キリルは冷静に思考する。
アルゴは屋根の上からキリルの背を見つめ、軽く気を吐く。
「逃げるのか……。面倒だな」
そう言って屋根の上から飛び降り、地に足を付ける。
魔剣を構え、魔力を脚に溜める。
火球が爆ぜるようなイメージで、魔力を爆発させた。
瞬間、アルゴの体が加速し、キリルとの距離を一気に詰める。
キリルがチラリと後ろを向いた。
キリルは驚愕の表情を浮かべていたが、すぐに行動を起こした。
キリルの右手から雷撃が放たれる。
アルゴは魔剣を軽く振り、雷撃を斬り裂いた。
「だから! おかしいだろ!?」
苛立ちの声を上げるキリルだったが、アルゴを引き離すことには成功していた。
「足が速い。追いつけないな……」
嘆息し、アルゴはまた脚に魔力を溜める。
溜めた魔力を爆発。
キリルに接近。
「馬鹿が! それはさっきと同じだ!」
キリルの右手から雷撃が放たれ、アルゴはそれを魔剣で斬り裂く。
キリルの指摘した通り、先程と同じ流れ。
これではまた距離が開いてしまう。
だが、アルゴは新たな手を仕込んでいた。
アルゴは左手を前に突き出し、叫ぶように言う。
「ダービュランス!」
突風が吹き荒れ、キリルに襲い掛かる。
「―――なッ!?」
アルゴが放った風の魔術がキリルに直撃した。
これはキリルの頭にはなかったことだ。
この少年は剣を振るだけで敵を圧倒できるのだから、魔術を使う必要がない。
そう勝手に思い込んでいた。
その油断が、キリルを追い詰める。
キリルは体の制御を失い、地面を転がる。
そのキリルへと迫るアルゴ。
キリルにとっては絶体絶命。
このままでは、魔剣に体を裂かれてしまうだろう。
アルゴは躊躇わなかった。
キリルの生命を確実に絶つつもりだった。
何故なら相手は大将軍。
たった一人で敵軍を崩壊させる力をもっている。
これは好機だ。
ここで大将軍を一人討てれば、勝利がぐっと近づく。
そう思い、魔剣を上段に構え、振り下ろそうとした。
アルゴはその時、キリルの表情に違和感を覚えた。
キリルの表情は、間もなく死を迎える者の表情ではなかった。
その顔は、どちらかと言えば安堵のような笑み。
「ぎりぎり、間に合ったか」
キリルがそう囁くように言った直後、世界が一変した。
「これは……どうなっている?」
困惑を浮かべ、アルゴは周囲に目を走らせる。
土の地面は砂に変わり、兵舎は白い石で造られた神殿のような建物に変化している。
そして、上空から女の声が聞こえた。
「ちょっとキリルー! 大丈夫なのー!?」
その女は、建物の屋根の上に立っていた。
銀髪で細身の美しい女だった。
「ああ……問題ない」
キリルはそう言って、屋根の上に飛び乗った。
「良かった。遅くなってごめんねー。結界術ってのは超高度だから、超天才の私でも、時間が掛かっちゃうのよねー。それに座標を予め定めておかなきゃだし、うまく誘導してくれて助かったわ」
「いちいち喋るな。聞かれてるぞ」
キリルは顎をしゃくり、砂の上に居るアルゴに注意を向けさせた。
「あれが、最強の少年……。まだまだ子供ね。ちょっと躊躇っちゃうわね」
「おい、あれで化け物みたいに強いぞ。油断は禁物だ」
「分かってるわよ。……っと」
女はそこで言葉を止めて、再びアルゴに視線を向けた。
「こっちだけで話をしてごめんなさいね。私はガブリエル・フリーニ。大将軍の一人よ、と言えば分かってもらえるかしら?」
それを聞いてアルゴは思い出した。
「大将軍……」
大将軍ガブリエル・フリーニ。
銀髪で細身の若い女。
事前に聞かされていた情報と一致する。
「なるほど。この結界は俺を閉じ込める結界。そして、大将軍二人がかりで俺を倒す。そういう考えか……」
アルゴが出した答えに返事があった。
それは大将軍二人からではなく、アルゴの背後からだった。
「いいや。私を含めた三人だ」
アルゴは背後を振り向いた。
そこには白い毛並みの獣人が立っていた。
狼の頭部を持つ、若い獣人。
アルゴは、その人物に見覚えがあった。
ヴィラレス砦だ。
その砦でこの獣人を斬ったことを覚えている。
「生きていたんですね……」
「お前を殺すためにな」
ガブリエルが手を叩いて声を上げた。
「はいはい。それじゃあそろそろ始めましょうか。本当は大勢で攻める戦法を取りたかったんだけど、この結界は数が限られているのよ。でもまあ、大将軍二人と『首狩り』。一人を相手にする戦力としては十分よね?」
それを聞いてアルゴは首を振る。
敢えて相手を煽る。
「たった三人で……俺を殺す? そう思ってるんなら、俺はついてます。ここで、帝国の戦力を大きく削れるんだから」
「この子……言うわねえ」
「乗るなよ、ガブリエル。安い挑発だ」
「分かってるわよ。そう言うキリルこそ、落ち着きなさい」
金色の発光が、キリルの周囲で瞬いていた。




