176.戦いのあと
時折、悪夢を見る。
あれから十年以上経った今なお、その悪夢は私を苛み続けている。
私が子供の頃、平和だった私の村は、人族の兵士たちに襲われた。
家々は焼かれ、たくさんの村人が殺された。
その時、私は全てを失った。
家も、家族も、生きる気力さえも。
あの時感じた絶望は、今も忘れていない。
だから憎かった。あの兵士たちが。
ただひたすらに人族が憎かった。
その気持ちは今も変わらない。
だけど今、その気持ちが私を悩ませる。
人族への憎悪は、今まで私を奮い立たせてきた原動力だ。
それを失っては駄目だと思う。
それを失くしてしまったら、私は弱くなってしまう。
そんな気がしてならない。
だけど、その憎悪が薄れる瞬間がある。
それは、ごく最近になってからのことだ。
あの人族の少年。
あの少年を前にすると妙な気分になる。
温かさと気恥ずかしさが混じったような、不思議な感覚だ。
それは、憎悪とは真逆の……。
違う。これはそういうのではない。
これは、恩人に対しての義理。命を助けてもらった者への感謝の気持ちだ。
人族憎しといえども、命の恩人には感謝しなければならない。
そう。これはその恩返しにすぎない。
受けた恩は返す。当たり前のことだ。
つまり、この気持ちは感謝からくるものであって、それ以上でも以下でもないはずだ。
そうだ。きっとそうなのだ。
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ベリアルは死んだ。
アルゴたちは、ベリアルを討つことに成功したのだ。
ベリアルが死んでも、ベリアル城は健在だった。
壊れたり崩れたりすることはなかった。
それはアルゴたちにとっては喜ばしいことだった。
アルゴたちは全員負傷している。
体を休めなければならない。
ここには壁と屋根があり、清潔なベッドがある。
ゆえにこの城は、体を休めるには最適な場所と言えた。
ベリアル城の個室にて、アルゴはベッドの上に居た。
眠ってはいない。
目を開けて天井を見つめ続けている。
正直言って暇だ。しかし、体が動かない。
無理をしすぎたのだ。
左脇腹を負傷した状態で、ベリアルと砂人形複数体と戦った。
左脇腹の痛みは限界を迎えていたが、それでも砂人形たちを倒し、最後にベリアルの首を刎ねた。
限界を超えるほど無理をした。
だが、後悔はしていない。
そのお陰で今がある。結果的にはクロエとリリアナは無事だ。
それ以上のことはない。
しかし、無理をすれば必ずぶり返しが来る。
これはクロエの言葉だ。
その通りだった。
無理をしすぎて怪我が悪化した。
もうまともに立てる状態ではない。
それでも幸いなことに、数日安静にすればまた動けるようになるとのことだ。
目はさえていた。
眠りたくても眠れない。
左脇腹が痛むということもあるが、心が静まらない。
これも多分、無理をした時の後遺症だろう。
脳が極度の興奮状態にある、らしい。
詳しくは知らない。
とにかく戦いの最中、そういう状態になったのだろう、とクロエが言っていた。
というわけで、動けない、眠れない。大変暇な状況にある。
その時だった。
この部屋の外から声が聞こた。
「アルゴさん、起きておりますか?」
部屋の外から聞こえたのは、リリアナの声。
アルゴはそれに返事をする。
「はい。起きてますよ」
「……入ってもよろしいでしょうか?」
「はい。いいですよ」
「失礼します」
と言って、リリアナは扉を開けた。
リリアナは、木製の器を持って部屋に入ってきた。
「お加減はいかがでしょうか?」
「あ、はい。だいぶ調子はいいですよ」
「……良かったです。お休みの邪魔をして申し訳ありません」
「いえ。暇だったので、むしろ助かりました。あの……それは?」
アルゴは、リリアナが手に持っている木製の器に視線を向けた。
木製の器は蓋がされており、中に入っている物を確認することはできない。
「あ……はい、これは……」
リリアナは躊躇いながら蓋を開けた。
蓋が開くと同時に湯気が上がり、食欲をそそる香りが流れ込んでくる。
器に入っていた物は、野菜を煮込んだスープだった。
グツグツになった野菜がゴロッと入ってる。
野菜はよく煮込まれているのだろう。
「それ……リリアナさんが?」
「は、はい……私が……作りました……」
「食べても……いいんですか?」
「はい。お口に合うか分かりませんが……」
アルゴはベッドの上で上半身を起こそうとした。
しかし、脇腹が痛みそれを断念。
「いてて……」
「む、無理をしてはいけません!」
「で、ですね……。でもまいったな。これじゃあ食べれない……」
リリアナは少し考えてから行動した。
部屋に設置された机に器を置き、それから、部屋に置かれた椅子をベッドの脇に移動させた。
そして、再び器を持ち、椅子に着席。
リリアナは木製のスプーンでスープをすくい、アルゴに顔を向ける。
「わ、私が……食べさせます」
「そ、それは悪いですよ。そこまでしてもらわなくても」
「いいえ。怪我人は怪我人らしく、誰かを頼るべきです。そもそも……その怪我は私が原因です。ですから私には責任があります。これぐらいさせてください」
「そ、そうですか……。じゃあ……お願いします」
アルゴは、枕の上に頭を乗せた状態で、僅かに口を開けた。
それを見てリリアナは、そろりとスプーンをアルゴの口元へ運ぶ。
「ゆっくり、ゆっくりです。良く噛んで、急に飲み込んではいけません」
アルゴは、野菜が入ったスープを口に入れた。
そして、リリアナの注意に従いよく咀嚼する。
「おいしい……」
「ほ、本当ですか?」
「はい、本当です。お腹空いてたので助かりました。ありがとうございます。リリアナさんって、料理上手なんですね」
アルゴに笑みを向けられ、リリアナの顔が急速に赤くなっていく。
リリアナは咄嗟に顔を俯けた。
「リリアナさん? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。お気になさらず。そ、それよりも、まだ食べれますか?」
「勿論」
「で、では……」
リリアナは再び、アルゴの口元へスプーンを運ぶ。
それをアルゴはパクッと咥えた。
その様子を見てリリアナは微笑む。
そして、また味の感想が聞きたくなってアルゴに尋ねようとしたが、それを口にする前に扉の方から声が聞こえた。
「アルくーん。お薬の時間だニャー」
と言って、ノックもせずにクロエが部屋に入ってきた。
クロエは見た。
アルゴがリリアナに看病されている様を。
「な……なっ……」
クロエは、わなわなと震えながら声を上げる。
「何をやっておるかあ!」
それにリリアナが応じる。
「な、何とは何でしょうか?」
「リリちゃん! アルくんのことを思ってくれているのは嬉しいニャ。けど、アルくんはクロエの患者なの!」
そう言ってクロエは、リリアナからスプーンを奪った。
「アルくんにはクロエが食べさせるニャ!」
「そ、その理屈は意味が分かりません! 私が食べさせてもいいはずです! そもそも、これは私が作った物ですよ!?」
「うん、それはありがとニャ。すごーく感謝だニャ。だけど、さっきも言った通りだニャ。アルくんはクロエの患者だニャ!」
「ですから、それに何の関係があるのですか? 誰が食べさせてもいいですよね?」
「それは! それは……えっと、怪我人に対しての食べさせ方ってものがあるニャ! 素人がしゃしゃり出たら駄目ニャ!」
「怪我人に対しての食べさせ方って何ですか! さっきからオカシイですよ、クロエさん!」
「ああもう! うるさいニャ、リリちゃんは! とにかく、抜け駆けは許さないニャ!」
「それが本音ですね! これは抜け駆けではありません! これは私の義務です!」
「クロエだって、アルくんをお世話する義務があるニャ!」
「私は使命とも言えます!」
「クロエは宿命だニャ!」
「ですから、意味が分かりません!」
クロエとリリアナの激しい口論が続いている。
アルゴは完全に蚊帳の外だった。
アルゴの意思そっちのけで言い争うクロエとリリアナ。
もはや何のために争っているのか分からない。
だがアルゴは、それでいいと思った。
血の通わない冷戦よりよっぽどいい。
いまクロエとリリアナが繰り広げているのは、激しい衝突。
しかしそれは暴力ではなく、心と心のぶつかり合い。
そうだ。二人に必要だったのは、きっとこういうのだ。
思いっきりぶつけ合えばいい。
それがお互いの理解を深めるための第一歩。
アルゴは、二人の衝突をベッドの上で眺めながら、僅かに笑みを浮かべた。




