174.残された時間
「正直、よく頑張ってると思うよ。オレっちは今、感心してる」
クロエは、それに対して返事をすることはなかった。
肩で息をして、ベリアルを睨みつける。
クロエはすでに満身創痍。
両腕は負傷し、全身アザと擦り傷だらけだった。
両腕が使えないクロエは、口に咥えたダガーを武器としていた。
クロエの瞳は、まだ戦う意志を失っていない。
しかし、戦況が悪すぎる。
ベリアルは本物の強者だ。
その肉体性能は人類の域を大きく超えている。
疾風の如き速さと、途轍もない膂力。
それに、桁外れの耐久力。
ベリアルはクロエに対して小細工を弄することはない。
ベリアルは単純な肉体性能でクロエを圧倒していた。
それでも、クロエは諦めない。
クロエは身を屈め、突撃の構えを取った。
それを見てベリアルは余裕の笑み。
「来るかい?」
そして、クロエは跳ねた。
猫の俊敏性でベリアルに飛び掛かる。
それをベリアルは迎え撃つ。
クロエの接近に合わせて、拳を前に突き出す。
クロエは拳を躱し、口に咥えたダガーをベリアルの首に突き刺した。
ダガーがベリアルの首に突き刺さった。
確実に致命傷だ。
しかし、ベリアルは顔をしかめるだけ。
「いってえ―――なッ!」
ベリアルの拳がクロエに腹に入った。
「―――かッ!」
息のような声が漏れ、クロエは吹き飛んだ。
床を何度か弾み、ベリアルから数メートル離れた位置でクロエは止まった。
クロエは大きなダメージを受けた。
それでもクロエは、意識の手綱を放さない。
ここで意識を失えば、全てが終わる。
「よく耐えた。だけど、終わりだ」
ベリアルの追撃。
ベリアルの拳がクロエを襲う。
クロエは咄嗟には動けなかった。
ベリアルの攻撃を躱すことは不可能だった。
やばい。死ぬ。
そう悟ったが、死は訪れなかった。
突如飛来する鉄の塊。
それは、盾だった。
盾がベリアルへと飛来する。
ベリアルはそれを腕で弾いた。
「おいおい……こりゃあ驚いたぜ」
ベリアルは心底驚いた様子だった。
その隙にクロエは、後ろに退避した。
そして、クロエは見た。
「リリちゃん……」
リリアナだ。
盾を投げ入れたのはリリアナだった。
クロエが思うことは一つ。
今のリリアナの姿を見れば、誰の目にも明らかだろう。
リリアナは絶命する寸前だ。
顔は酷く白い。生気は、殆ど感じられない。
そして、リリアナの腹に刺さった一本のツノ。
そのツノを見て、クロエは瞬間的に理解する。
リリアナは、痛みによって自己を保っている。
そうしなければ、体の制御を奪われてしまうからだ。
並の痛みでは駄目なのだろう。
治療すればどうにかなるような負傷では、自己を保てないのだろう。
それは分かる。
しかし、その代償は途轍もなく大きい。
「リリちゃん、あとどれぐらい持つ?」
「それほど……長くは……ありません」
リリアナの命はもう助からない。
リリアナはもうすぐ死ぬ。
リリアナは、ここでその命を燃やし尽くそうとしている。
もう時間がない。
クロエは余計を省いてリリアナに言う。
「リリちゃん、チャンスは一度きりだニャ。うまく、合わせてくれるかニャ?」
「了解……であります」
「じゃあ、いくよ。それと……」
「はい」
「リリちゃんの馬鹿」
「……はい」
そして、クロエとリリアナは動き出した。
「ハハ―――ッ! いいぜ! かかってきな!」




