18.新たな提案
アルゴたちは、黎明の剣本部に戻っていた。
団長室には陰鬱な雰囲気が漂っている。
そんな中、ベインが口を開いた。
「嬢ちゃん、すまなかった」
真剣な面持ちで謝罪を述べるベイン。
それに対するメガラの返答は穏やかだった。
「気にするな。今回のことは良い勉強となった。少々、授業料が高くついてしまったことは否めんがな」
「本当に……面目ねえ」
「もうよい。さて……時間を大幅に食ってしまった。あの使用人の言葉を借りるなら、失われた時間はもうどうすることも出来ない。それゆえ、急がねばな」
メガラは椅子から立ち上がり、アルゴに視線を向けた。
「ではアルゴよ、行くぞ」
アルゴは素直に従った。立ち上がり、メガラの隣に並ぶ。
これでこの都市ともお別れか。
アルゴがそう思った時だった。穏やかな声が部屋に響いた。
「私たちがルグを出そう」
そう言ったのは、黎明の剣団長、エトガルであった。
メガラは尋ねる。
「お前たちが?」
「そうだ。我ら黎明の剣が、君たちにルグを支払おう」
その発言を受けてリューディアは言う。
「そうね。君たちがキュクロプス退治に参加すること自体は、領主様も認めるところ。残す問題はルグ。その問題は、私たちが引き受けましょう」
「……ほう。余としては、ルグの出所に拘りはない。報酬さえ貰えるのならば何も問題はない。だが……」
間を置いて続きを言う。
「解せんな。余の理解では、傭兵とは己の利を優先する者たち。だがお前たちは、なにか違う。キュクロプスによって団に大きな損害が発生したというのにまだ戦う意志を見せ、あまつさえ領主に代わりルグを支払うと言う。どう考えても不自然。お前たちは一体―――」
「ま、まあいいじゃねえか! お互い詮索はなし! ルグは俺たちが支払う! それでいいだろう?」
ベインがメガラの発言を慌てて遮った。
メガラは冷静に返した。
「まあ、そうだな」
エトガルが咳払いをして言う。
「では、金額交渉といこう」
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サルディバル領内の都市、サン・デ・バルトローラ。
その都市の宿屋『サンデル』にて。
部屋には清潔なベッドが二つ。
紺色の絨毯に白い壁。
広さはそれ程ではないが、十分に快適といえる空間。
「悪くないではないか」
部屋の中を見回してメガラがそう言った。
アルゴも部屋を確認し、一言。
「うん」
そう返事し、アルゴは続けて言う。
「だけど、いいの? この宿、結構高いんじゃない?」
「問題あるまい。余の資金は、今や銀貨五十枚と銅貨十枚。この程度の贅沢は痛くも痒くもない」
「へー、じゃあ交渉の結果には満足してるの?」
「ああ。黎明の剣の奴ら、随分と気前がよいではないか。これでしばらくはルグの心配はない」
「そうなの? でもメガラは、あの人たちに銀貨百枚を要求してなかった?」
「アルゴよ、覚えておけ。余とて銀貨百枚という暴利が受け入れられるとは思っていなかったさ。だがな、その時点で交渉は始まっているのだ。余が要求した額は銀貨百枚。結果としては銀貨五十枚で手打ちとなってしまったが、余は銀貨三十枚まで譲歩してもよいと思っていた。銀貨百枚から五十枚。結果は半減だが、奴らは半減できたことに満足し、それ以上の値引きは行わなかった。ならばこの結果は、余の勝ちと言っていいのではないか? 相手に満足させること、それが交渉の極意と言えよう」
「へー、流石メガラ。賢い」
アルゴはそう言って、うつ伏せでベッドに倒れこんだ。
「本当に分かっているのか?」
メガラはアルゴの後頭部を軽くはたいた。
「分かってるよ。メガラはすごい。そうでしょ?」
「……」
メガラはアルゴをじっと見つめたあと、鼻から息を漏らして背を向けた。
それからアルゴに言う。
「さて、食事だ。ここの一階で食事ができる。行くぞ」
「りょーかい」
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二階から一階へ降り、宿屋の受付を横切る。
そのまま真っ直ぐに進み、扉を開けた。
食欲を刺激する香ばしい匂いがアルゴの鼻孔をくすぐる。
食堂はそれなりに広かった。
ざっと見たところ、用意された座席は約三十人分。
夕食時にはまだ少し早い時間だが、それなりの客入りとなっていた。
アルゴとメガラは、奥の席に腰を下ろした。
壁に掲げられたメニューを眺め、目に付いた物を注文した。
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
運ばれてきた料理は、豆を煮込んだスープ、豚肉の香草焼き、オリーブオイルで煮込まれたキノコ料理。
「う、うまそう……」
「うむ。では頂こう」
アルゴは料理を口に運ぶ。
「……」
料理を口に入れて、固まってしまうアルゴ。
「どうした?」
「俺、こんなに旨いものは生まれて初めてかも」
大袈裟ではないか?
と言おうとしたが、メガラはその言葉を飲み込んだ。
考えてみれば、アルゴは長い間奴隷だったな。
奴隷に提供される食事と言えば、大抵は硬いパンと、味の薄いスープ。
奴隷に身を落とす前のアルゴが何を食べていたのかは知らないが、その記憶はとうに色褪せているのだろう。
「フッ、ならばもっと食え」
そう言ってメガラは、肉を切り分けてアルゴの方へ肉を寄せる。
「いいの? メガラの方こそ沢山食べた方がいいんじゃない? 食べなきゃ大きくなれないよ」
「そのような気遣いは不要だ。そもそも、この体では食べる量は必然的に少なくなってしまう。だから気にせず食え」
「そういうことなら……」
と言ってアルゴは食事を再開した。
ガツガツと口に肉を放り込んでいくアルゴ。
その様は、まさに食べ盛りの少年の姿。
「落ち着いて食え」
「う、うん。それにしても、メガラは落ち着いてるね? そうか、そう言えば魔族の盟主だったか。やっぱり美味しい物を沢山食べてきたの?」
「そうだな……。確かに、様々な美食に触れてきたな」
「へー、どんなものを食べてきたの? というか魔族って何を食べるの?」
「人族が食べるものとそう変わらんさ。肉を食い、スープを飲み、酒を味わう。しかし、そうだな、一部の地域では魔物を食す文化もあるな」
「魔物を? それは信じられないな……」
「うむ。魔族である余にも理解し難いことだ。上手く調理することによって、それなりに食える物にはなるようだが……それでも、味には期待できないであろうな」
「そっか……」
アルゴが気の抜けた返事をした時だった。背後から男の声が聞こえた。
「坊ちゃんたち、ちょっとごめんくださいよ」
小柄な男だった。そこそこ若い。くりくりした大きな目と、焦げ茶色の髪が特徴だった。
「なんだ?」
訝し気な表情を向けるメガラ。
その男はバチンと両手を打ち合わせて答えた。
「へへ、急に話しかけてすみやせん。お二人の組み合わせが珍しかったもんで、つい声をかけてしまいまして」
その後、男は慌てた様子で言う。
「おっと、重ねて失礼! あっし名はマルリーノ。しがない商人でさあ」
「余はメガラ、こっちはアルゴだ」
「おお! 名前を教えてくれてありがとうございやす! ですが……メガラってのは本名ですかい?」
「マルリーノよ、悪いが我らのことを詮索するのはよしてもらおう」
「そ、そうですね。分かりやした。詳しい事情は訊きやせん。訊きやせんから、一緒に食事をしてもいいでしょうか? そうだ、ここはあっしが奢りますよ」
「……変わった奴だな。まあ、よい。それならば、食事を共にすることを許可しよう。アルゴもいいな?」
「うん、俺はいいよ」
マルリーノは、ニッコリと笑みを見せ「ありがとうございやす」と言った。
その後、席に着いて杯に注がれた水を飲み干した。
「さっきも言いやしたが、あっしは商人です。商人たるもの、目ざとく周りに目を向けなければいけやせん。まあ、これはあっしの性分でもありやすが。そういうこともあって、坊ちゃんたちのことが気になってしまいました」
「フン。商人とは難儀な者たちだな。そういえば、平原で出会った商人も、お前のように積極的に絡んできたな」
「平原で出会った商人? その商人の名前は分かりやすか?」
「確か名は、ホアキンといったな」
「おお、ホアキンさん!」
「知っているのか?」
「当り前でさあ。この辺りでホアキンさんの名を知らないのなら、それはもぐりでさあ。大商人ホアキン。この辺りじゃあ、有名な腕利きですよ」
「大商人とな? 余には到底そうは思えなかったがな。あやつ、自ら馬車を引いておったぞ? 大商人ならば、都市の一等地に商店を構え、ふんぞり返っているものであろう?」
「ハハハ。まあ、そういった商人がいないとは否定できやせん。でもホアキンさんは違う。あの人は、自分の足で領地中を駆け回る。それが、あの人の凄いところでもありやす」
「ほう。どこの世界にも変わり者は居るのだな」
メガラの脳裏に、商人ホアキンの姿がよぎる。
あやつは今もどこかで、馬車を引いておるのだろうか……。




