171.信仰心
リリアナのメイスが石像を粉砕。
白い破片が広間に飛び散った。
「……ふう」
一息ついて周囲を確認する。
周囲には、石像だった物の残骸が散乱している。
敵影はなし。
「お二人と合流しなくては……」
そう呟いて広間の出口に目を向けた時、人影が見えた。
「ようよう。調子はどうだい? リリアナちゃん」
その姿を見て、リリアナは眉をひそめた。
「……悪魔?」
「だから神だっての!」
そう抗議するベリアルだが、腹の大口や背中の蛇、獣と化した体を見れば、邪悪な存在を連想するのは無理もないことだった。
「ベリアル……さん?」
「そうだぜ。この姿もイカしてるだろ?」
「……」
「うおい! なんかつっこんでくれよ!」
「……」
「やれやれ、硬いねー。硬さがほぐれるまで、オレっちの小話でも聞くかい?」
「随分と余裕ですね」
「ハハハッ! おうともさ。神たる者、心にゆとりがなきゃな。ああそうだ、思い出した。リリアナちゃんには、言わないといけないことがあったんだ」
「……?」
「リリアナちゃんさー。ここ最近、妙にイライラすることはなかったかい? 自分でも制御できないような怒りが湧き上がることはなかったかい?」
「それは……」
「あー、それさー、オレっちのせいだわ。めんごめんご」
「……どういうことでしょうか?」
「オレっちの存在力、とでも言えばいいのか? オレっちから漏れ出したソレは、人類にはちと刺激が強い。よくない影響を与えちまったようだな」
「……そういうことでしたか」
リリアナは納得がいった。
ベリアルの言う通り、ここ最近、怒りの感情が湧き上がることがあった。
オアシスでアルゴに暴力を振るってしまったこともそうだ。
あれには自分自身でも驚いたものだ。その理由がいま判明した。
だが、一つ不可解なことがあった。
「ですが、私以外の二人……アルゴさんとクロエさんは、そのような影響を受けていないように見えましたが……それは何故なのでしょう? それとも、そう見えるだけ、ということでしょうか?」
「そこだよ」
「そことは?」
「リリアナちゃんはさ、信仰心が足りないね。いや、殆どないと言った方がいいか。信仰するのはどの神でもいいんだ。アンジェラでも、ルキフェルでも、誰でもいいんだ。そうすれば加護が得られるはずなんだ。悪いものから身を守ってくれる加護がね。まあ加護なしでも、地上で普通に暮らす分には何も問題ない。だけど、ここはもうオレっちのテリトリー。加護なしじゃあ、ちと厳しいぜ」
「得心がいきました。そうですね、確かに私は神々を信仰していない。魔族が神と崇める魔神ルキフェルにさえ……」
「そう、そこが問題。信仰は大切だぜ。信じる者は救われる、って言うだろう?」
「そうですね。ですがもう関係ありません。ここで、貴方を殺せばよいのですから」
「おーおー、不敬だねー。けど、リリアナちゃんには殺せねえよ」
「殺せます。殺してみせます」
「無理無理。だってさ―――」
その瞬間、リリアナは異常を感じた。
心が乱される感覚。心臓の鼓動が早まり、血流が乱れる。
己の体が己のものではないような、明らかな異常事態。
「やって……くれましたね……」
リリアナは何が起きたのかを理解する。
この異変はベリアルによって起こされたものだ。
ベリアルが意図せずとも、リリアナはその影響を受けていた。
無意識に漏れ出る僅かな存在力でさえ、リリアナには大きな影響があったのだ。
ならば、ベリアルが意図して存在力を放出すればどうなるかは明白。
リリアナの瞳から光が失われていく。
光を失った暗く瞳。
感情もまた、暗い闇に飲まれていく。
「ハハーッ。オレっちの下僕、いっちょ上がり!」
ベリアルは楽し気に笑い、続けて言う。
「リリアナちゃん。まわれーみぎ!」
その指示に従い、リリアナは体を後ろに向けた。
そこにリリアナの意思は存在しない。
リリアナは、ベリアルの操り人形になってしまった。
「自業自得だぜ、リリアナちゃん。ちょっとでも信仰心があれば、こうはならなかったはずだ」
ベリアルは溜息を吐いて、遠くへ視線を向けた。
「そう思うだろう? クロエちゃん」
クロエは、たった今この広間に到着したところだった。
それでも何が起きているのかは、何となく分かった。
「そうだニャ。リリちゃんには反省すべきところが多いと思うニャ」
「分かってくれて嬉しいねえ」
「べつにいいニャ」
間を置かず、クロエは動いた。
クロエは革袋からダガーを取り出し、素早く放り投げた。
ダガーがベリアルに向かって飛ぶ。
しかし、金属音が響き渡り、ダガーが床へ落ちた。
ダガーを弾いたのは、リリアナの盾。
無論、リリアナの意思でそうしたわけではない。
「ニャるほど。戦いは避けられないってことね」
クロエは、鎖を振り回してリリアナとの間合いを探る。
「アルくんごめん。約束……守れそうにないニャ」




