160.怪我の痛み
翌日。朝。
日射しの強さは昨日と変わりなく、容赦なく地上に降り注ぐ。
気温はすぐに上昇し、爽やかな朝とは程遠い暑さだった。
オアシスにて、クロエは不思議そうな顔をしていた。
「アルくーん」
「はい。何でしょう?」
「なーんか今日のアルくん、変じゃニャい?」
「え? 変ですか? べつに何もないですけどね……」
何もないわけがなかった。
昨夜のリリアナとの件。
それをクロエに話すわけにはいかない。
だから、何もなかったことにしなければならなかった。
だが、それは簡単ではなかった。
左の脇腹が痛むのだ。
痛みのせいで殆ど眠れなかった。
アルゴは額に脂汗を浮かべ、無理やり笑顔を作った。
「それよりクロエさん、朝食にしましょう」
「いま誤魔化した?」
「誤魔化したって、何をです?」
「ニャー?」
クロエは訝し気な表情で、アルゴの顔を間近で観察する。
「いつも通りといえばそうなんだけど……なんだかニャ」
「本当に何もないですって。それよりホラ、朝食にしましょう」
「分かったニャ」
クロエは少し腑に落ちない様子だったが、革袋の中に手を入れて食料を掴み取った。
「はい。これアルくんのぶん」
クロエからパンが差し出され、アルゴは礼を言って受け取った。
硬いパンをかじりながら、アルゴはそっと脇腹に手を当てる。
痛い。だけど、昨日よりマシだ。
アルゴは深呼吸を繰り返し、また脇腹に手を添えた。
うん。この程度なら動ける。
「やっぱり何かおかしいニャ」
「へ?」
「アルくん、やっぱり何か隠してるニャ。隠してるものを吐き出すのニャ」
「い、いやいや。本当に何もないですって」
「そんなはずないニャ。クロエは騙せないニャ」
しまったな。とアルゴは思った。
クロエは獣人族だ。獣人族は勘が鋭い。
本気でクロエに昨夜の件を隠し通すのなら、もっと上手くやる必要があったのだ。
痛みに襲われても、表情一つ変えることのない演技力が足りていなかった。
いっそのこと、クロエに吐いてしまおうか。と、そう思った。
だがすぐに、それは駄目だと自分の考えを否定する。
もしありのままクロエに話したら、きっとクロエはリリアナを殺しに行くだろう。
それだけは阻止しなければ。
しかしクロエの追求は続く。
「アルくん、正直に―――」
クロエの言葉が途中で止まる。
クロエの猫耳がピクピクと激しく動いた直後、クロエは威嚇するように牙を剥いた。
その敵意は、こちらに向かって歩いてくる人物に向けられている。
「おはようございます」
そう言ってリリアナは、こちら側に顔を出した。
「お、おはようございます!」
アルゴは慌てて返事をした。
リリアナがこちらに顔を出すとは思わなかった。
だが考えてみれば、必要最低限の業務的な会話は必要だ。
今日はどの方向を探索するだとか、いつから開始するだとか。
きっとリリアナは、それらを擦り合わせに来たのだろう。
リリアナは、クロエとは視線を合わせなかった。
アルゴの方を向いて、アルゴに対し発言をした。
「アルゴさん、その……お加減は如何でしょう?」
何かを探るようなリリアナの表情を見て、アルゴは慌てて返事をした。
「は、はい! この通り元気ですよ!」
リリアナの言いたいことは分かっている。
リリアナはこの脇腹の怪我のことを気にしているのだ。
だが、クロエが近くに居るこの状況では不味い。
クロエに感づかれるおそれがある。
「リ、リリアナさん! 今日の探索を始めますか!?」
アルゴは話を逸らすように話題を切り出した。
「はい、そうですね。ですが、アルゴさんは今日は休んでいた方がよいかと」
だから、何で話をそっちにもっていこうとするんだ。
とアルゴは内心つっこんだ。
「アルくん!」
後ろからアルゴを呼ぶ声。
アルゴはビクッと反応。
まずい。クロエに気付かれたか。
それともリリアナとこれ以上話をするなと言われるのだろうか。
そう考えるアルゴだったが、クロエは予想外の反応を見せた。
「アルくん! あれ! あれ見て!」
アルゴはクロエの方へ顔を向けたあと、クロエが指差す方向へ目を向けた。
遠く離れた位置。砂の大地の上に、誰かが居た。
遠目では正確には判断できないが、おそらく女だ。
黒い衣装に白い髪。顔立ちと表情は遠すぎて分からない。
アルゴは反射的に立ち上がった。
あれが誰なのかは分からない。
だが、ダンジョン攻略に関する情報を持っているかもしれない。
「―――いッ!」
その瞬間、激痛がアルゴを襲う。
急に立ち上がったため、脇腹が激しく痛んだ。
「あの方を捕まえます!」
そう言って、リリアナが飛び出した。
「ア、アルくん! クロエたちも行こう!」
「は、はい!」
アルゴとクロエが動き出した瞬間、白髪の女は身を翻して走り出した。
「あ! ま、待つニャ! クロエたちは敵じゃないニャ!」




