151.洞窟内の王国
「すごい……」
アルゴの目の前に存在するのは、土塁の上に積み上げられた石の壁。
その壁の高さは、目測でおよそ十五メートル。
壁の奥には、巨大な建物と幾つもの塔が聳え立っている。
「これが、ネメレナ砦か……」
この規模の砦ならば、造り上げるのに一年以上は要するだろう。
だが、それをドワーフたちは、僅か二か月程度で造り上げたという。
「はえ~。立派だニャー」
クロエもまた、アルゴ同様に目を丸くしていた。
純粋に驚くアルゴとクロエだったが、リリアナだけは様子が違った。
リリアナは、固い表情で砦を見つめる。
「リリちゃん。顔が怖いニャ」
リリアナは、冷めた態度で返事をする。
「……いつものことですから、お気になさらず」
「そんなことないニャ。リリちゃんは美人だから、笑ってたほうがいいニャ」
「とても笑える気分ではありません。こんなものを見せられたのでは……」
「まあ、そうかもニャー」
クロエは両手を後頭部に回し、そう答えた。
砦の強度と規模は、そのまま戦の強さを示している。
極論を言えば、砦が落とされなければ負けることはないのだ。
このネメレナ砦は、ドワーフたちの戦闘力が現れたものだ。
これほどの強さを見せつけられて、笑い飛ばせるような軍人がいるだろうか。
少なくとも、リリアナは笑えなかった。
「汝ら、気が済んだのなら行くぞ」
バルナバルが、ノースバイソンの背の上でアルゴたちに声を掛けた。
「分かったニャ!」
クロエはそう返事し、自分とアルゴが乗る馬の足を進めた。
リリアナはクロエに続き、自身が跨る馬を進ませる。
城壁に沿って砦の後ろに回り込む。
すると、突然気温が上昇した。
「温かいニャ!」
何故気温が上昇したのか。
バルナバルがその理由を明かした。
何でも、ドワーフたちは魔力を熱に変換する装置を開発したようだ。
それは魔術とは違い、人の意思が介在しないドワーフたちの技術。
ドワーフたちはそれを、魔導技術と呼ぶ。
地中にその装置を埋め込むことで地面が温まり、雪が降っても道が閉ざされることはない。
驚くべきは、ここより十キロ以上離れた場所まで装置が埋め込まれているということ。
それは、この時代においては神の御業と言えるかもしれない。
その技術の凄まじさを理解できないリリアナではなかった。
この者たち、危険ですね……。
リリアナは、ドワーフたちの魔導技術のことを知識として知っていた。
知っていたが、実際に目の当たりにした今、強い危機感に襲われる。
ドワーフたちはこれまで、他国に干渉しようとしなかった。
内側に閉じこもり、独自の技術を磨いてきたのだ。
それゆえに、ドワーフたちに戦の経験は殆どない。
今はまだ戦の素人。だが、このまま戦の経験と技術を蓄えたのなら。
アルテメデス帝国以上の脅威となり得るかもしれない。
「さあ、ここを真っ直ぐだ」
バルナバルの声が、リリアナの思考を遮った。
この大地を真っ直ぐに行けば、ドワーフたちの王国に辿り着く。
アスガルズ王国。それがドワーフたちの王国の名だ。
今、アルゴたちはアスガルズ王国へ行こうとしている。
それはつまり、バルナバルに認められたということ。
アルゴたちの目的は、ドワーフたちの国王に会い、メガラの意思を伝えること。
即座に和睦を結べるのならそれ以上のことはないが、そう上手くはいかないだろう。
粘り強く交渉を続けていく必要がある。
だからまずは国王に会うこと。それが第一目標であった。
このまま順調に進めば、ドワーフたちの国王に会うことはできるだろう。
だが、アルゴは気を緩めない。
メガラ。俺、上手くやってみせるから。
揺れる馬の背の上で、アルゴは己に活を入れた。
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洞窟内の温度は、常に一定に保たれている。
暑い時期に洞窟内が涼しいと感じるのは、洞窟の内部が冷やされているからではない。
外気温との差で涼しいと感じるのだ。
洞窟内は常に涼しいというわけではなく、常に暑いというわけでもない。
常に同じ温度である。というのが正確な表現だろう。
という情報を、アルゴは今更ながらに知った。
アレキサンダーと戦った洞窟は熱かった。異常なまでの熱さだった。
だからアルゴは勘違いしていた。
あれは例外中の例外。そもそもの話、ダンジョンの事象を地上の事象に当て嵌めること自体が間違っている。
ドワーフたちの王国、アスガルズ王国は、イオニア山脈の内部に存在する。
つまりアスガルズ王国とは、巨大な洞窟の内部に造られた国である。
洞窟内にて、アルゴは自分の目を疑った。
眼下には、光り輝く都市が存在する。
装飾が施された美しい建物。大迫力の巨大な彫刻。
芸術作品かのような建築物が、見渡すかぎりに広がっている。
それらを、洞窟の壁や地面に設置された鮮やかな灯が照らし出していた。
「クロエさん、これって現実ですよね?」
思わずそう尋ねたアルゴに、クロエは半ば呆けた様子で返事をする。
「げ、現実だ……ニャ」
リリアナも二人と同様に驚いていたが、無理やり意識を切り替えた。
「お二人とも、進みましょう」
リリアナはそう言って、背後に目を向けた。
背後には、複数のドワーフたち。
彼らは、ドワーフの兵士たちだ。
間違いなく歓迎の雰囲気ではない。
だが、ドワーフたちが襲い掛かってくることはない。
アルゴ、クロエ、リリアナの三人は和睦のための使者。
バルナバルがそれを認めた。
だからバルナバルが認める限り、他のドワーフたちもそれを認める。
しかしそれでも、外部の者を王国に招いたのは初めてのこと。
ドワーフたちが神経質になるのは無理もない話。
「もうよいのか? この都市を見渡せるのはここだけだ。心ゆくまで見ておくといい」
アルゴたちにそう声を掛けたのはバルナバルだ。
「お気遣い感謝するであります。ですが、もう十分見ました。さあ、先導をお願いします」
「いいだろう」
バルナバルは進みだした。
アルゴたちはそのあとをついて行く。
同時に、ドワーフたちも進みだす。
緩やかな地面を下りていく。
下へ下へと。
この都市の建物は、そのほとんどが銀色の輝きを放っていた。
艶やかで硬質。その表面には、複雑な模様が彫り込まれている。
細部まで拘り抜かれた職人の技が、建築物に散りばめられている。
都市の大通りを進む。
アルゴたち三人は、注目の的だった。
アルゴたちに注がれる無数の視線。
この都市に住むドワーフたちの視線だ。
この都市の住人には、事前にアルゴたちのことは知らされている。
ゆえに特別騒ぎ立てる者はいないが、かと言って歓迎の空気では決してない。
住人の大半は、アルゴたちのことを警戒している。
鋭い視線をアルゴたちに向け、敵意を剥き出しにしている者もいる。
アルゴたちを囲みながら進むドワーフの兵士たちは、むしろ住人からアルゴたちを守る役割を果たしているのかもしれない。
そうして辿り着いた場所は、この都市で最も大きな建物だった。
城。まさにそう表現できる建物が、堂々と存在した。
砦のように無骨な造りではない。それ自体が芸術品であるかのような外観。
この城こそが、ドワーフたちの王の居城。
アルゴは城を見上げながら気を引き締めた。
さあ、ここからが本番だ。




