149.不可解
敵軍を監視するために築かれたドワーフたちの陣には、天幕がいくつも設置されていた。
木の骨組みと織布からなる天幕はそれなりに丈夫であり、冷たい風から身を守る防御壁の役割を持つ。
アルゴたちは、白と青の線が入った天幕の前まで連れてこられた。
「ここで待っていろ」
と言って、ドワーフの男が天幕に入っていった。
ドワーフの男は強い口調で「待っていろ」と言った。
当然それを破るアルゴたちではない。
ここに来た目的は和平を為すため。
争うつもりなどないし、相手を下手に刺激することは避けなければならない。
アルゴはチラリと周囲の様子を窺った。
鋭い視線がこちらに向けられている。
ドワーフたちが、睨みつけるようにアルゴたちを見ている。
ドワーフたちの数は百を超える。
争うつもりはないが、もしこのドワーフたちとこの場で戦わなければならない事態が発生したらと思うと、アルゴは気が気でなかった。
武器の無いこの状況で、この人数を相手にするのは難しい。
戦いが起こる前に逃げなければならないだろう。
アルゴがそう考えていた時、その者は天幕の中から現れた。
「汝らが使者か?」
そう問い掛けた男の姿を見て、アルゴは驚いた。
ドワーフの外見的特徴は、浅黒い肌、筋肉質な肉体、低身長、など。
しかしその男の容姿は、一般的なドワーフの枠からはみ出していた。
肌は浅黒く、筋肉が隆起した肉体。
それらはドワーフの特徴と言えるが、身長はそうではなかった。
身長はおよそ百八十センチ。
一般的なドワーフの身長が百五十センチ程度であることを考えると、異常とも言える高さだった。
長身のドワーフの年齢は三十代と言ったところ。
黒い髪に、厳めしい表情。
強いな。
アルゴは、長身のドワーフの佇まいからそう判断した。
「我の名はバルナバル・ディーボルト。この隊の長だ」
「私はリリアナ・ラヴィチェスカであります。分かって頂けているとは思いますが、私たちに争う意思はありません。本日は、魔族の盟主メガラ・エウクレイアの意思をお伝えに―――」
バルナバルは、右手を上げてリリアナの発言を止めた。
そして、胸に手を当てて天を仰ぎ見る。
「ああ……女神アンジェラよ、これはどういった啓示なのでしょうか? かのメガラ・エウクレイアが再臨したという噂の真偽は……。それが真実であるならば、我はどう動けば……」
独り言を呟き続けるバルナバルに、ピシャリと放ったのはクロエだった。
「ブツブツとうるさいニャ! 魔族の盟主メガラ・エウクレイアが復活したのは事実だニャ! そしてクロエたちは、その盟主の意を受けて遣わされた和睦の使者! この理屈、お分かりかニャ?」
バルナバルは、小柄なクロエを見下ろした。
無表情でクロエを値踏みするように見つめる。
「なにか文句でもあるニャ?」
「いいや。猫は吉兆の使いとも言われているな……。うーむ、よかろう。汝らのことを信用しよう」
「話せば分かる奴ニャね! じゃあ、今日から和睦ってことでよろしくニャ!」
流石にそう簡単にはいかないだろ。
ということはアルゴにも分かった。
「それを決めるのは我ではない。それを決めるのは、我らの王ただ一人」
「じゃあ、その王様に早く会わせるニャ!」
とクロエが強気に言うと、横から怒声が飛んできた。
「貴様! 王を愚弄するのか!」
アルゴは周囲に目を向けた。
ドワーフたちの殺意が上がっているように見えた。
「ご、ごめんニャ! クロエが悪かったニャ! 君たちの王様を蔑むつもりはなかったんだニャ!」
素直に謝るクロエ。
その姿に、ドワーフたちは一先ず殺意を抑えた。
「クロエさん。ここからは私が」
「ごめんニャ……」
しゅんと項垂れるクロエを横目に、リリアナは口を開いた。
「バルナバルさん。盟主メガラの意思を、貴方たちの王に伝えて頂けますか?」
「よかろう」
バルナバルの返事を聞いて、リリアナの口元が緩む。
リリアナの表情が緩むのは珍しいことだった。
それほど大きな進歩であるということ。
しかし、リリアナの表情がまた厳しくなる。
「ただし、汝らが力を示せばな」
「力を示す?」
「一度そちらの陣に帰還せよ。そして、汝らの中で一番の強者を連れてくるのだ。その者と我で一騎打ちを行い、その者が我に勝てたなら王へ言付けよう」
「な、何を言っているのですか? 争うつもりはないと申し上げたはずです」
「この条件を飲めぬのなら、王に伝えることはできん」
「な、何故です! これは遊びではないのですよ!?」
「我が遊びで言っているように思うか?」
「……」
リリアナの眉間の皺が一層深くなった。
相手が何を言っているのか理解できない。
理解不能。それゆえに対応不可。
固まるリリアナに、助け船が出された。
「大丈夫ニャ、リリちゃん」
「クロエさん?」
「何のために、アルくんがここに居ると思っているのニャ? こういう時のためでしょうが」
アルゴが只の少年ではないことはリリアナも理解している。
しかし、実際にアルゴの実力を見たことがないリリアナは、疑いの眼差しをアルゴに向けた。
「本当に戦えるのですか? アルゴさん」
アルゴは冷静に答えた。
「……戦えます」
バルナバルはアルゴたちのやり取りを黙って見ていたが、アルゴの視線を感じて口を開いた。
「ほう。良い目をしている。汝の名は?」
「アルゴ。アルゴ・エウクレイアです」
バルナバルは一瞬驚く様子を見せたが、その後、僅かに笑った。
「面白い。汝が我の相手か?」
「はい」
「よかろう。我は子供だと思って侮りはせん」
バルナバルはそう言って、天を仰ぎ見た。
「女神アンジェラよ。相手は定まりました。我らの戦いを、最後まで見届けられよ」
リリアナは、何も言えず事の成り行きを見ていた。
決まってしまった。
もう後戻りはできない。
本当にこれでいいのか?
「これでいいニャ」
とクロエの小さな独り言が聞こえた。
本当に、いいのだろうか……?




