15.黒狼は笑う
平原にて、アルゴたちから少し離れた位置で、メガラは体を休めていた。
草が茂る地面に仰向けで寝そべり、風を感じていた。
心地の良い風が頬を撫で、暖かな陽光が体を適度に温める。
目を閉じて自然の息吹を感じていたメガラだったが、ふと人の気配を感じて目を開けた。
「やあ、お嬢ちゃん」
そう言って柔和な笑みを浮かべ、メガラのことを見下ろしているのは、商人ホアキンだった。
メガラは、少し不機嫌な様子で返事をした。
「何か用か?」
「休んでいるところ申し訳ない。少し、話をしてもいいかな?」
メガラは少し悩んだが、気分が良かったのでこう答えた。
「いいだろう」
「ありがとう」
ホアキンは礼を言い、メガラの傍で腰を下ろした。
「それにしても、魔族の子供とは珍しい。お嬢ちゃんはどこから来たんだい?」
「ルタレントゥムからだ」
「ルタ……」
ホアキンは何かを察したようだった。
「余計なことを訊いてしまったようだね。すまない」
「構わん。お前は余を珍しいと言うが、余から言わせれば、お前のような人族の方が稀有に思うがな」
「どういうことかな?」
「ベインにしてもそうだが、魔族に対して敵意が薄い。何故だ? 人族は魔族に対して悪感情を頂いていると思っていたが」
「全員がそうとは限らないさ。けどまあ、ミュンシア王国は種族差別が少ない国だからね。そういう理由もあると思う」
「そうなのか?」
「うん。ミュンシア王国は古い歴史を持つ国だからね。古の時代から、色んな国と交易をしてきた国さ。交易とは結局のところ、他者と信頼関係を築くこと。交易を通じ、他種族に対しての理解を深めていったんだ、と私は思っているよ」
「ほう。中々に興味深い話だ。其の方、褒めて遣わす」
「アハハ、それはよかった。ところで……」
「なんだ?」
「そのツノ……触らせてくれないかな?」
「何だと?」
「ツノだよ。こんな機会は滅多にない。どうか記念に」
「……まあ、よかろう。話の礼だ」
「あ、ありがとう!」
ホアキンは、こめかみの辺りから生えたメガラのツノに触れた。
滑らかなツノの表面で指先を滑らせた。
「すごい、ツルツルだ……」
「……」
「この感触、素晴らしい!」
「おい」
「んー、この曲がり方は、芸術と言ってもいいのかも!」
「おい! 商人!」
「―――ひゃい!」
「触りすぎだ。余はそんなに安くないぞ」
「すまない、すまない。ついつい……」
「ふん……まあいい」
「寛大な御心に感謝を。……そうだ、お詫びと言ってはなんだが、いい物を見せよう」
「いい物?」
ホアキンは衣服の内側から、小さな木箱を取り出した。
そして、木箱の蓋を開けてメガラに差し出した。
木箱には、水晶のペンダントが入っていた。
紫色に輝く美しい水晶だった。
ホアキンはニッコリと笑い、メガラに言う。
「これは私が独立する時に師匠から頂いた物でね。綺麗だろう? お嬢ちゃんの瞳の色と同じだ」
「……綺麗だ。それに、紫は好きだ」
「そうかいそうかい。あ、でもすまない、これは売り物ではないんだ」
「分かっている。例え売り物であったとしても、余の資金では買えん」
「そうなのかい? あ、ついでにうちの商品を見ていくかい? 何か気に入った物があれば、お安くしとくよ」
「ふむ。まあ、見るだけ見ておくか。ちなみに、どういった物を扱っている?」
「色々だよ。武器に書物に薬草に魔物の毛皮に―――」
「魔物の毛皮か……」
そう言えば、魔物の毛皮は高値で取引されるのだったな。
リコル村で魔物の死体から毛皮を剥いでおけばよかったか……。
魔物の死体……。待てよ、何か引っかかる。
そうか……。今まで感じていた違和感の正体はこれか。
リコル村で転がっていた魔物の死体……あれは、アルゴが作り上げたものだ。
余とアルゴがリコル村を訪れた時、魔物の死体は無かった。
あったのは人間の死体だけだ。
それは、おかしいではないか。
何故、魔物の死体が無い? 魔物と戦ったのが只の野盗であれば、そういうこともあるのだろう。
野盗は一方的に魔物に殺された。余は初めそう思っていた。だが、そうではなかった。
傭兵団黎明の剣は、領主に雇われるほどの腕利き集団。
ならばおかしい。
黎明の剣は、ただの一体も魔物を仕留めることが出来なかったのか?
おそらく、ベインとリューディアは、傭兵の部隊と魔物が同士討ちしたと思っているのだろう。
初めから魔物の死体を目にしているベインとリューディアは、この違和感には気付けない。
しかし、違う。同士討ちではない。状況から考えるに、黎明の剣は魔物に一方的に蹂躙された。
そんなことがありえるのか? それなりの実力を備えた傭兵の部隊が、ただの一体も魔物を仕留めることが出来ないなど。
黎明の剣の団員に殺されて死体となった魔物は、生き残った魔物が回収した。
その可能性はあるだろうか? 可能性はあるが、かなり低いだろう。
それをする理由が思いつかない。魔物は同族の死を悲しまない。
群れているのは、その方が獲物を狩るのに効率がいいから。
魔物に仲間意識などありはしない。
ゆえに、魔物がそんなことをする可能性は限りなく低い。
では何故だ? もっとも可能性の高い事象は何だ。
―――別の魔物だ。群れる必要性がないほど強く、鋭い牙を持つ魔物だ。
黎明の剣は、途轍もなく強いその魔物に壊滅させられた。
恐ろしい程強く、人を喰らう狂暴な魔物に。
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リコル村には、死の臭いが充満していた。
黒焦げとなった死体に、魔物の死骸。
野晒の死骸は、鳥や野犬に喰い荒らされ、肉片や内臓が辺りに飛び散っていた。
民家の屋根の上で、その者は口を開いた。
「おんや~? どうなってるのかなー、これは」
暢気な口調で声を発したのは、男だった。
その男の口元には鋭い牙が並び、長い舌が口から飛び出している。
その男は、人族ではなかった。
体系は人型ではあるが、その頭部は獣そのもの。
黒い毛並みの狼の頭部。体の表面もまた、狼の如く獣皮。
人間と獣を組み合わせたような姿をした男―――獣人、であった。
獣人は屋根の上から村の様子を観察していた。
「なんで死体が黒焦げになってるのかなー? 折角ボクが丁寧に殺してやったのにさー。これじゃあ、もう死体を観察することが出来ないじゃないか」
溜息を吐いたあと、獣人は屋根から飛び降りた。
「それに、この魔物の死骸は何? 誰がやったのかなー?」
獣人は、地面に鼻先を近づけた。
「うーん、臭いはあまり残ってないなあ。雨のせいで臭いが流れちゃってる……」
それから獣人は、周囲を見回した。
「ボクの勘が言っている。これは何か、楽しい気配がするぞ」
口元を緩め、獣人は歩き出した。
「とりあえず、家を調べてみようかな」
獣人は手始めに、目に留まった民家を調べてみることにした。
「うーん、特になにもないなあ。住人の臭いも殆ど残ってない」
民家を出て、再び村を眺める。
少し離れた位置に、この村で最も大きな家があった。
「あの家を調べてみるか」
そう言うと、一足飛びで家の入口前に到達した。
「ありゃ? 扉が破壊されてる」
首を傾げながら家の中に入ると、獣人はすぐに気付いた。
「魔物が解体されてる? まさか……食べたのか?」
解体された魔物の死骸を眺めながら、獣人は愉し気に顔を歪めた。
「キャハハハッ! いいね! 面白いじゃないか!」
愉し気に笑い、獣人は居間を調べ始めた。
居間の家具に鼻先を近づける。
「……ヒヒッ」
赤い双眸を細め、口角を吊り上げた。
「当たりだ。臭うよ。まだ新しいね」
そう言って、臭いの正体を精査する。
「これは……若い臭いだ。多分、男の子だ。そして、こっちは更に若い。若いと言うより、幼いと言った方がいいか。幼い女の子……だね」
ひとしきり臭いを嗅いだあと、獣人は家から出た。
そして、大きく息を吸って遠吠えを響かせた。
「ウオオオオオオオオオオオオンッ!」
すると、しばらくして複数の足音が聞こえた。
それは、人の足音ではない。
四足歩行の獣の足音だった。
現れたのは、黒い毛並みの狼。
その数は、十頭。
十頭の黒狼が、獣人の元に集結した。
「みんなー、聞いて聞いて! 面白いことが起きてる! 少年と幼い女の子だ! 探すのを手伝って欲しい!」




