140.深い森の家
アルテメデス帝国。
帝都メトロ・ライエスから北に約ニ十キロ地点。
深い森の中に、ひっそりと家が建っていた。
その家は何の変哲もない家だった。
木造の二階建て。一般市民が住むようなごくありふれた家だ。
しかし、その家は不自然だった。
家の外観には、特におかしなところはない。
不自然と感じるのは、森の奥深くに家が建っていること自体だ。
それが山小屋だったのなら腑に落ちる。
だが、その家は山小屋ではない。
どう見ても、街の中に建つ市民の家だ。
まるで、街の一部を切り取って貼り付けたような、そういった違和感があった。
そんな違和感を感じつつ、その者は溜め息をついた。
「まったく……」
家を見つめてそう漏らしたのは、若い男だった。
子供と言えるほど幼くはないが、大人と言えるほど成熟してもいない。
おそらくは十代後半。十八、十九といったところだろうか。
金色の髪の毛。中性的な顔立ち。
帝国では珍しいおかっぱ頭で、女と見まごう程の美しい顔をしている。
男は歩き出した。
そして、躊躇いもせず家の扉を開けた。
家の中には男と女がいた。
女は足を組んで椅子に座っていた。
陶器のカップを揺らしながら寛いでいる。
この女の名はガブリエル・フリーニ。
銀髪で細身の美しい女だ。
ガブリエルは、家に入ってきた男の姿を見つめて、柔らかな笑みを見せた。
「遅かったじゃない。キリル」
今しがた家に踏み入った男の名は、キリル。フルネームはキリル・レグナート。
キリルはガブリエルに対して「時間通りだ」と発言し、それから視線を窓の方へ向けた。
窓際には男が立っていた。
キリルに背を向けていたその男は、ゆっくりと振り向いた。
「ご足労感謝しますぞ。サー・キリル」
敬称を付けてキリルのことを呼んだのは、年老いた男だった。
歳は六十代だろう。だが一般的な老人に比べ筋肉量は多く、背筋も伸びている。
見たところ体に不自由はなさそうだが、右手で杖を握っていた。
その杖は魔術師が用いるような杖ではなく、歩行を補助する目的で使われる杖であった。
どこか老執事を思わせる雰囲気の男は、名をロノヴェ・ザクスウェルという。
「まったくだ。こんな場所じゃなくったっていいじゃないか。ロノヴェ」
非難めいた口調で告げるキリルに対し、ロノヴェはなだめるように言う。
「まあまあ、そう言わず。どこで誰が見聞きしているか分かりませんぞ。ここならば、その心配もいりますまい?」
「そうかもしれないが。それにしたって……。いや、もういい」
キリルはそう言って、空いている椅子に座った。
椅子の数は五席。
その内二つはガブリエルとキリルで埋まっている。
キリルが椅子に座ったことを確認し、ロノヴェも椅子に座った。
これで空席は二つ。
そして、この二つの空席は、もう二度と埋まることはない。
「それにしても、信じられないわね。クリストハルトとアレキサンダーがやられたなんて……」
「ええ。驚くべきことです。ですが……過度に落ち込むのは止めましょう。それは、あの方々の望むところではないでしょうから。それに、まだ希望はありますぞ」
ロノヴェは、ガブリエルとキリルへ交互に視線を向けた。
「大将軍は、まだ二人も残っておりますゆえ」
ガブリエルとキリル。この二人もまた、大将軍と呼ばれる者たちであった。
「ウフフッ。大賢者ロノヴェも残っているわ」
「ホホホッ。この老骨をつかまえて大賢者とは、重圧で腰が曲がってしまわぬか心配ですぞ」
「謙遜しなくていいわよ」
「いえいえ、決してそのようなことは」
お互いを褒めるガブリエルとロノヴェ。
その間に割って入るようにキリルは言う。
「おい。もうそのぐらいでいい。早く話を進めてくれ」
「おお、そうですな。これは失礼を」
ロノヴェは、軽く咳ばらいをして言葉を続ける。
「吾輩が精査した情報から、吾輩の考えを伝えますぞ。まず、魔族の盟主メガラ・エウクレイア。かの者が復活したことは、もう認めるしかないでしょう」
「そうねえ。それはもう認めましょう」
「彼女は幼い子供の体に転生しているようですが、彼女が脅威であることは依然として変わりませぬ。彼女を特別危険対象とするべきでしょう」
「ついに公表するんだな?」
「ええ。そういうことになりましょう。全ての民、全ての兵士に公表し、これを共有する。いかがですかな?」
「兵士の中には、薄々感づいている者もいる。下手な噂が蔓延するよりはいいかもな」
「私もそう思うわ。いつまでも隠し通すのは難しいでしょうね」
「ご理解頂けてなによりです。では、話を進めますぞ。特別危険対象。吾輩は、もう一人これに該当する人物を見つけております」
「それは誰だ?」
「はい。名前はアルゴ。人族の少年ですな」
「誰だ?」
「クリストハルトからの情報にあったわね。メガラ・エウクレイアに付き従う騎士、だったかしら?」
「左様でございます。その少年こそが、二人の大将軍を討ち取った張本人。吾輩はそう見ています」
「何者だ?」
「分かりませぬ。いや、彼のことを調べはしました。そのうえで分からない、と言った方がよいでしょうか」
「どういうことお?」
「アルゴという少年は、記録に載っておりました。出身はエリュトラ。我が帝国がエリュトラへと侵攻したことで、奴隷へと身分を落としてしまったようですな。それから足を悪くし、冒険者に売り払われた。そこからは、サン・デ・バルトローラ、バファレタリアを経由し、プラタイトに進んでおります。バファレタリアでは何と、闘技大会で優勝しているようですな。闘技大会優勝後、バファレタリアからプラタイト行きの船に乗り込むが、海上にてサー・クリストハルトに船を破壊され、少年はメガラ・エウクレイアと共に海へと消えた。かと思いきや、次に現れたのはヴィラレス砦。ヴィラレス砦に侵入して暴れ回った少年は、囚われていた仲間を救い出し、そしてサー・クリストハルトを討ち取った。さらに、魔族たちと共にヴェラトス砦にも攻め入り、砦からダンジョンへ侵入。ダンジョン最奥でサー・アレキサンダーを討ち取った。と思われます。どこでメガラ・エウクレイアと出会ったのかは知り得ませんが、おそらくは冒険者に売り払われた後のことでしょう。驚くべきは、彼は市民の生まれであり、武の家系とは何の関係もないことです。三代ほど血筋を遡りましたが、特筆すべき点は見受けられませんでした」
「それはつまり、戦士の系譜でなく、剣を振ったこともない素人が大将軍二人を倒した。そう言っているのか?」
「はい。吾輩はそう言っております」
「ありえない」
「そう、ありえないのです。それゆえに、特別危険対象とするべきなのです」
「何かの間違いじゃないのか?」
「いいえ。間違いはないかと」
ロノヴェは首を強く横に振った。
ロノヴェのその仕草を見て、ガブリエルはキリルに視線を向けた。
「ロノヴェがこうも言い切るということは、その通りなのでしょうね。私は信じるわ」
キリルはガブリエルをじっと見つめていたが、やがて肩をすくめた。
「……分かった。その話を信じよう」
「お二人とも、感謝致しますぞ」
「で、その少年をなんとする?」
「そうですなあ……」
ロノヴェは顎を擦りながら考えを口にした。




