137.崩壊
ソレは、メガラが声を上げた直後に現れた。
ソレは、どこまでも黒く、一切の光が排除された深い闇。
その闇が溶岩を覆い隠していた。
その後、さらに変化が起きた。
闇が一瞬にして収縮。
闇は拳ほどの大きさとなり、その後、完全に消え去った。
闇が消えると同時に、溶岩も消え失せた。
残ったのは、円型に窪んだ岩の地面のみ。
「す、すごい……」
アルゴはそう呟き、空中で器用に体を捻った。
その捻りを活かし、回転しながら空中を移動。
そして、洞窟外縁の岩場のスロープに着地。
アルゴは岩場のスロープの上に立ち、改めて真下を覗き見た。
溶岩が跡形もなく消え失せている。
なんと恐ろしい力か。
一瞬にして物質を消し去る奇跡の術。
これを為したのは、永久の魔女メガラ・エウクレイアだ。
この奇跡をメガラは永久の結界と言ってた。
これこそが、永久の魔女の真髄か。
アルゴはメガラの凄さを実感するが、ハッと思い出した。
「アレキサンダーはどうなった!?」
アルゴは上に視線を向けた。
アレキサンダーは、岩場のスロープの最も高い位置に居た。
その位置からアルゴたちを見下ろしていた。
溶岩は消え失せた。だというのに、アレキサンダーはまだ存在している。
アレキサンダーを討つことに失敗したのだと、アルゴは思った。
だが、それは間違いだった。
アレキサンダーの体が崩れ始めていた。
アレキサンダーは自身の掌を見つめた。
「どうやら、ここまでのようだな」
アレキサンダーの指先が消失していた。
紙が灰と化すように、肉体が塵となって消えていく。
指先から掌、掌から手首、手首から上腕へと。
アレキサンダーの肉体が消えていく。
アレキサンダーは虚空を見つめた。
「しかし、もうすぐ消え失せるというのに何も感じんな。フフッ。やはり某は、どこまでいっても空の躯か。ああ……だがしかし……」
だがしかし、一つだけ心残りがあった。
「陛下、先に逝くことをお許しください。陛下に……勝利を」
そう言ったのち、アレキサンダーはこの世から消え失せた。
アルゴはアレキサンダーの最期を見届けた。
最後まで油断できないという理由もあるが、何故だがアレキサンダーから目が離せなかった。
それは、蝋燭の火が消えゆくような、どこか儚い光景だった。
「待て、今はそんなことより―――」
アルゴは首をブンブンと振って気持ちを切り替えた。
「メガラ!」
アルゴは岩場のスロープを下り、慌ててメガラへと駆け寄った。
メガラは額に汗を滲ませ、苦し気な表情で片膝をついていた。
「アルゴ……無事か?」
「お、俺は大丈夫。メガラこそ大丈夫なの!?」
「案ずるな。問題はない。少し疲れただけだ」
そう言ってメガラは立ち上がる。
「それよりも、クロエとネロだ」
クロエとネロは、今アルゴたちがいる場所よりもさらに下層で戦っている。
いや、戦いは終わった。溶岩が消失すると同時に、骸骨たちは塵と化した。
「クロエさん! ネロさん!」
アルゴは急いでクロエとネロに近付いた。
「ア、アルくん……クロエ、頑張った……ニャ」
クロエは仰向けに倒れていた。
アルゴはクロエの容態を心配するが、クロエが右拳を天井に突き上げる様子を見て少し安堵する。
どうやら命に別状はないようだ。見たところ、大怪我を負っているわけでもない。
クロエの無事を確認したアルゴは、次にネロの元に急いだ。
「ネロさん! 無事ですか!?」
ネロは地面に座り込んでいた。
「ハハ……どうやら、死に損なってしまったようだ。まったく……恰好がつかないな」
「よかった……無事で……」
「私のことを心配してくれるのか?」
「はい。勿論」
「私は君に不審なところがあれば、君を殺すと宣言したんだぞ?」
「それはありがたいです」
「フッ……フフフッ……君は、本当におもしろいな」
何がそんなに可笑しいのか。
とアルゴが尋ねようとした時、メガラの声が聞こえた。
「お前たち、よくやった。この勝利は、全員で掴んだものだ」
そのメガラの言葉を聞いて、全員の顔に笑顔が浮かぶ。
一人も犠牲にならず、大将軍を討ちとることができた。
大勝利と言っていいだろう。
「だがお前たち、もう少し手を貸して欲しい。ここに連れてこられた魔族たちが、レイネシアの母親以外にもいるはずだ。探すのを手伝って欲しい」
「ごめんメガちゃん。クロエはしばらく動けないニャ……」
「盟主様……申し訳ありません。私も同じく……」
「そうか……。わかった。クロエとネロはそこで休んでいろ」
メガラはそう言ってアルゴに顔を向けた。
「俺は問題ない。勿論、手伝うよ」
「助かる。だがその前に―――」
メガラはスロープの上で眠るレイネシアの母親に目を向けた。
それからメガラは歩き出し、レイネシアの母親に近付いた。
「脈は……あるな。深く眠っているようだ。強力な眠り薬を使われたのだろう」
「いつ目を覚ますのかな?」
「分からん。だが、無理に起こさないほうがいいかもしれん。大きな怪我はないようだが……とりあえず治療をしておこう」
メガラは、永久の杖の先端をレイネシアの母親に向けてヒールを発動した。
優しい光がレイネシアの母親を包み込む。
「じゃあ、俺はその間にこの洞窟を調べてみるね」
「うむ。よろしく頼む」
アルゴはメガラに背を向けて歩き出した。
手始めに入り口付近の壁を調べてみよう。
と思ったが、アルゴは途中で歩みを止めた。
そのアルゴの行動を不審に思ったメガラは、アルゴの背中に向かって問い掛ける。
「どうした?」
「メガラ……まずいかも」
「なに?」
「この洞窟が……」
「この洞窟が?」
そう問い掛けた時、メガラも気付いた。
パラパラと石の粒が頭上から降ってきた。
周囲をよく見れば、岩の壁にヒビが入っている。
「まさか、この洞窟が……崩れようとしている?」
それは溶岩が消え失せた影響か、はたまたアレキサンダーがこの世界から消えたためか。
理由は分からないが、洞窟が崩壊しようとしていることは間違いなかった。
「メガラ、どうする?」
メガラは、アルゴから視線を外してレイネシアの母親を見つめた。
その後、クロエとネロに目を向ける。
メガラは拳を強く握りしめた。
「仕方があるまい。ここから撤退するぞ」
「分かった」
アルゴはすぐに動いた。
動けないクロエとネロの元に近付いて、撤退する旨を伝える。
「わ、分かったニャ。アルくん、悪いけど肩をかしてくれるかニャ?」
「はい」
クロエがアルゴの肩を借りて立ち上がった時、異常事態が発生した。
大きな揺れ。
岩壁の亀裂が広がり、上空から岩が降り注ぐ。
「ま、まずいニャ。急がないと。ネロりん、立てるニャ?」
「……」
「ネロりん?」
「私は……」
ネロは自分の右膝をさすっていた。
どうやら怪我をしているようだ。
「私はここまで、ということでしょう。どうか、私のことは捨て置いて―――」
アルゴは一旦クロエを寝かせてネロに近付くと、しゃがみ込んでネロに背を向けた。
「乗ってください。俺がネロさんを背負います」
「駄目だ。クロエ殿はどうする? あの女性は誰が運ぶ? 君は私を助けるべきではない」
「俺が全員運びます! 俺ならできます!」
「不可能だ」
ネロの指摘通り、確かにそれは不可能といっていい。
アルゴは怪力でなない。三人を運ぶことはできない。
クロエはどうにか一人で動けそうだ。
だが、ネロとレイネシアの母親は一人では動けない。
誰かが運ばなければならない。
その役目は、力の弱いメガラと負傷したクロエには無理だ。
ゆえに、アルゴは選ばなければならない。
ネロかレイネシアの母親か。どちらを助けるのかを。
アルゴが迷っている間に、洞窟の崩壊が加速する。
もう時間がない。
メガラも悩んでいた。
親指を噛みしめて思考を続ける。
全員を助け出すことはできない。
だが、選べない。どうしても選ぶことができなかった。
「くそっ。なにか、なにか策はないのか―――」
その時、メガラは確かに聞いた。
足音。それは人の足音ではない。
ドタドタと地面を叩くような音。
大きな生物が近付いてくる。
「あれは―――」
その生物は、全身を赤い鱗で覆われた巨大な蜥蜴。
サラマンダーだった。
野生のサラマンダーが近付いてくる。
「いや、違う。あれは、あのサラマンダーは」
サラマンダーの背には鞍が備え付けられてあった。
であるならば野生ではない。
しかも、その鞍には見覚えがあった。
この洞窟を守護していたアルテメデス帝国の兵士たち。
その兵士たちが騎乗していたサラマンダーだ。
なぜ、そのサラマンダーこちらに向かって駆けてくるのか。
分からないが、これは幸運と言うほかない。
「アルゴ! あのサラマンダーを捕まえるのだ! あれに乗り込むぞ!」
アルゴはサラマンダーを目で捉えた。
「了解!」




