129.湿原の死体
「申し訳ないことをしてしまいました……」
肩を落とし、気落ちしたような表情でネロがそう言った。
それに反応したのは、メガラだった。
「クロエのことか?」
「……はい。余計なことを訊いてしまいました」
メガラとネロは、台形の岩の上で会話をしていた。
アルゴとクロエは少し離れた位置で眠りについている。
今はメガラとネロが見張りの番だった。
「お前は真面目な奴だな。話をしたのはクロエの意思だ。それに、訊いたのはどちらかと言えば余の方だ。お前が気に病むことはなかろう」
「そう……でしょうか?」
「そうだ。……フフッ」
小さく笑うメガラに、ネロは疑問の視線を向ける。
「盟主様?」
「いやすまん。この感覚、懐かしいな……と思ってな」
「懐かしい?」
「アトロンの奴だ。あ奴もよくそんな顔をしていた。その馬鹿馬鹿しいほどの真面目さは、ブラウロン家の血筋だな」
「……」
「そうそう、その顔だ」
ネロはハッとして姿勢を正した。
「盟主様、御戯れを」
「フフッ。すまんな」
「……ところで盟主様」
「なんだ?」
「あの少年……アルゴの強さは異常です。彼は……何者なのでしょうか?」
「……分からん」
「分からない?」
「ああ。アルゴの話では、両親も祖父母も、ただの庶民だったようだ。アルゴは戦士の血筋ではない。アルゴは、突然変異型……ということになるな」
「そのような者がいるなど、とても信じられません……が、彼が存在しているのは事実。私は思います。彼は、世界が生み出した異物、なのではないでしょうか?」
「異物……か」
「はい。しかし幸運なことに、彼は盟主様と共にある。彼がいれば……」
「アルテメデス帝国に勝てるか?」
「少なくとも、勝算はあるかと」
「で、あるか」
「はっ。ですがそれゆえに、彼の扱いには十分注意しなければなりません。万が一にも彼が敵に回るようなことになれば……」
「ネロよ、余はその意見に対して明確に答えることができる。その可能性はない。アルゴが敵に回るなどあり得ないことだ」
「……申し訳ありません。身の程を弁えず意見をしてしまいました」
「いやいい。分かっている。余がこう言ったところで、お前はアルゴを注視し続けるだろう。だが、それでいい。お前はお前の思う通りにしろ」
「……はっ。ありがたきお言葉」
ネロは恭しく頭を下げた。
ネロは己の右手が腰の剣に伸びていることに気が付いた。
自然と右手が動いていたのだ。
周囲に敵はいないというのに。
それは決意の表れだった。
もし、少年が盟主様を裏切るようなことがあれば。
たとえ、刺し違えてでも……。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
湿原には、死体が転がっていた。
ダンジョンの入り口はヴェラトス砦に存在するため、部外者はダンジョンに侵入できない。
ゆえに、死体の正体はアルテメデス兵か、贄として連れてこられた魔族、ということになる。
肉が腐り、骨が剥き出しになった死体。
死体は動かない。当たり前のことだ。
だが、目の前にある死体は、確実に動いていた。
死体は立ち上がり、武器を手に取った。
死体は斧を振り上げ、アルゴたちに襲い掛かる。
ネロが迎え撃つ。
二振りの剣を素早く振るい、死体の右手首と首を刎ね飛ばした。
右手首と首を失った死体。
それでも、死体は止まらなかった。まだ歩き続けている。
「ほう……」
メガラは興味深げに死体を見ていた。
死体は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「盟主様、これは……」
「狼狽えるな。よく観察しろ。なにか仕掛けがあるはずだ」
「ニャニャ! まずいニャ!」
四方から迫る複数の何者かの気配。
その気配の正体は、動く死体。
肉が腐った死体たちだ。
「死体がたくさん……」
そう呟きながら、アルゴは魔剣を構えた。
「む、迎え撃つニャ!」
湿原にて激しい戦闘が始まった。
動く死体の数はざっと五十は超える。
どこから湧いてきたのか分からないが、その数は脅威だった。
しかし、死体の動きは鈍い。
アルゴたちにとっては、動く死体を殲滅することは難しくない。
「フレイムボール!」
メガラの魔術が動く死体に直撃。
死体は弾け飛んだ。
そこら中に飛び散る死体の手足。
普通ならばそれで終わりだ。
しかし、驚くべきことが起きた。
飛び散った死体の手足が独りでに動き出した。
そして、本体へと帰っていく。
「ニャニャ!?」
再生を始める死体を目撃し、クロエは目を白黒させた。
再生を続ける死体を見て、アルゴは思った。
似ている。
手足を斬っても、首を斬り落としても動き続け、体を再生させ続けるこの様子は―――。
「アレキサンダーと同じだ……」
「その通りだ、アルゴ。だが、アレキサンダーは不死なようであって不死ではない。仕掛けがあるのだ。アレキサンダーの不死の仕掛けは、ダンジョンの最奥に存在する。奴の不死は、奴単体では成り立っていない。ならば、こいつらも同じだ。そうは思わぬか?」
「うん、そう思う。でも、どうしたら……」
「ネロにも言ったが、周囲をよく観察しろ。何かがあるはずだ」
「……」
何かがある。
それを聞いてアルゴは口を閉じた。
アルゴは一度、荒野でアレキサンダーに負けた。
アルゴはアレキサンダーに傷一つ付けられていない。
だが、負けたのだ。
負けて逃げることを選んだ。
今こうして生きているのは、奇跡がいくつも重なった結果だ。
これでは駄目だ。
これではメガラを守れない。
だから、もう負けては駄目だ。
「盟主様! ここは一旦引き返すべきかと!」
動く死体を切り刻みながら、ネロがそう叫びを上げた。
そして、跳躍してメガラの隣に並び立つ。
「盟主様―――」
「案ずるな」
そう言ってメガラは、アルゴに視線を向けた。
アルゴは集中していた。
一度目を閉じて呼吸を整える。
アルゴの頭に情報が飛び込んできた。
湿原の薄暗さ。水晶の光。水の音。植物が揺れ動く様子。
死体の戦い方。死体を斬った時の感触。死体の動き。
それらを整理し、統合する。
そしてアルゴは、目を開けた。
「クロエさん! あそこを攻撃してください!」
アルゴは天井を指差して叫び声を上げた。
クロエは迷わなかった。
何も無い空間に向かって、ダガーを放り投げた。
ダガーが天井に向かって飛び、そして、ある一点で止まった。
ダガーが空中で静止した。
何故ダガーが空中で止まっているのか、その理由はすぐに明らかとなる。
ダガーが大きく揺れ動いた。
そして、それは姿を現した。
それは、赤い球体だった。大きさは半径五十センチ程度。
ダガーはその赤い球体に刺さっていた。
「でかしたぞ、お前たち! あれが死体を動かす源だろう!」
赤い球体は今まで透明だったが、ダガーに貫かれたことで透明化を保てなくなったのだろう。
赤い球体は危機を感じたようだ。
アルゴたちから離れるように空中を動き出した。
「あ! 逃げるニャ!」
生きている、と言えるのかは分からないが、赤い球体が生命なのだとしたらまだ生きている。
ダガーが突き刺さってはいるが、まだ死んではいない。
アルゴは赤い球体を追いかけようとした。
だが次の瞬間、足を止めた。
「イグニアスアロー!」
炎の矢が放たれた。
魔術だ。メガラが魔術を放ったのだ。
永久の杖で強化された魔術の威力は絶大。
炎の矢は赤球に一瞬で追いつき、そして容易く赤球を砕いた。
赤球の破片が砕け散り、地面に散らばった。
気が付けば、死体は完全に沈黙していた。




