128.殺しの家系
このダンジョンは常に薄暗い。
水晶は常に発光しているが、その光量が変化することはない。
水晶の弱い発光が、ダンジョンをぼんやりと照らし出している。
「地上では日が落ちる頃でしょう」
ネロは天井を見上げながらそう言った。
「まことか?」
「はい。時間の感覚は体に覚え込ませています。間違いないかと」
「クロエもネロりんと同意見だニャ。けっこう進んだし、それなりに時間が経過していると思うニャ」
ネロはクロエの発言に頷き、わずかに戸惑いの表情を浮かべる。
「あの、クロエ殿」
「ニャ?」
「その……ネロりん……とは?」
「ニャ? ネロりんはネロりんニャ」
意味が理解できず、ネロは首を傾げる。
「ネロよ、考えても無駄だ。こやつに我らの常識は通じん」
「しょ、承知しました……」
「さて、お前たち、この辺りで休息を取るぞ」
「ニャー! 賛成ニャ!」
ここまで碌に休まずに進んできた。
このまま休まずに進むのは不可能だ。
特に、小さな体のメガラには無理があった。
「メガラ、大丈夫?」
よく見れば、メガラの顔には疲労の色が滲んでいる。
随分無理をしていたようだ。
「大丈夫だ。この永久の杖は、余に様々な恩寵を与えてくれる。余の疲労は、この杖が一部肩代わりしてくれているのだ」
「それはすごい」
アルゴはそう感心しつつも、やはりメガラの様子が気になった。
メガラの言葉通り、永久の杖はメガラの疲労を一部肩代わりするのだろう。
だが飽くまで一部。全てではない。
一部肩代わりを受けたとしても、体力のないメガラにとっては、徒歩で長距離を移動することは簡単ではない。
「ごめん、メガラ。気が回らなかった」
今までメガラは、疲れた様子を見せなかった。
おそらくは、疲労を見せまいと努力していたのだろう。
「謝ることはない。実際大丈夫だ。余はまだ動ける。だが―――」
メガラは地面に座り込み、続けて述べる。
「今は休ませてもらおう」
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湿原地帯には、魔物以外の生物の気配がなかった。
「静かだな」
台形の岩の上に腰を下ろし、メガラは周囲の様子を探っていた。
「だニャ―」
と言いながら、クロエは伸びをする。
今この近辺には魔物の気配もない。
静寂の世界だった。小声で話をしても、遠くまで声が響いてしまう。
ダンジョンに入って一日目。
今日はこの岩の上で睡眠をとることになった。
贄の晩まであと二日。
時間に余裕はないが、休息を取らずに進み続けるのは無理がある。
メガラの耳に水を弾く音が聞こえた。
その音と共に、ネロの声。
「この辺りは安全なようです」
周囲の警戒に出ていたアルゴとネロが戻ってきた。
「ご苦労」
「ニャ―! クロエはお腹が空いたニャ! 食事にするニャー!」
クロエが声を上げるが、携帯した食料はあまり多くない。
携帯した食料は、硬いパンと豆をすり潰して団子にした物。
質素でお世辞にも美味とは言えないものだった。
「そうだな。貴重な食料だが、食わねば動けん」
メガラは外套の内側から革袋を取り出し、他の三人に食料を分けていく。
「うーん。美味しくないニャー」
クロエは早速パンをかじり、しぶい顔をしている。
「文句を言うな。お前はアルゴを見習え。何一つ文句を言わず食べておるぞ」
確かにメガラの言う通り、アルゴは黙々と豆団子を食べている。
「アルくん、美味しいニャ?」
「俺はけっこう好きですよ」
「すごいニャー」
と言ってクロエはアルゴの頭を軽く撫でた。
その様子を眺めていたネロは、パンを飲み込んでから言う。
「ところでクロエ殿、あなたは良い動きをされる。どこで戦いを学ばれたのですか?」
「それは……」
クロエは言葉を詰まらせた。
どこか言い淀むようなその表情は、クロエにしては珍しいものだった。
「失礼。不躾でした。今のは忘れてください」
「いや、いいニャ。うん。ちょうどいい機会ニャ」
クロエは軽く咳払いして話を続ける。
「ジュノー家には代々継がれてきた家業があったニャ。その家業とは、薬と……殺し」
「殺し……ですか?」
「そうニャ。でも、殺しはお父さんの代で廃業させたニャ。だから、クロエたち家族は薬売りとして生計を立てていたニャ。だけど……殺しの技は、クロエに引き継がれているニャ。クロエは小さい頃から、お父さんに技を教え込まれたから」
「なるほど。それであの動きですか」
「そういうことだニャ」
クロエの話を聞いてメガラは言う。
「クロエよ、もののついでだ、訊いてもよいか?」
「いいニャ」
「お前は帝国に家族を殺されたと言っていたな? その経緯を聞かせてくれ」
「ちょっと、メガラ」
遠慮なく切り込むメガラをアルゴは窘める。
が、クロエは微笑みを浮かべて見せた。
「アルくん、大丈夫。メガちゃん、よく聞いてくれたニャ。いいニャ。皆には話しておくニャ」
クロエは続ける。
「ある日、帝国の奴らが訪ねてきたニャ。奴らはどこかから、クロエたちの家業のことを聞きつけたニャ。奴らはクロエたちに言ったニャ。その殺しの技を帝国のために使えと。お父さんは当然、それを断ったニャ。だけど奴らはしつこかったニャ。断っても何度も訪ねてきたニャ。そんなある日―――」
クロエは言葉を止め、眉間に皺を寄せた。
「奴らはやりやがったニャ」
アルゴはそのクロエの表情を初めて見た。
憎しみのこもった表情を。
「奴らは、クロエたちの家に火を放ちやがったニャ。自分たちの言う事を聞かないクロエたちを、消そうとしたんだニャ」
クロエは、わなわなと体を震わせていたが、一度深呼吸して落ち着きを取りもどした。
「クロエたちは、どうにか火事場から逃げ出せたニャ。そして、その日から始まったニャ。クロエたちの逃亡生活が。クロエたちは帝国から手配され、逃げ続ける日々だったニャ。でも、帝国の力は大きい。いつまでも逃げ切れるものでもないニャ」
「お前たちは帝国に捕まり、運よくお前だけ生き残った……というわけか」
クロエはメガラに頷いてから続ける。
「お父さんがクロエを逃がしてくれたニャ。クロエは一人で必死に逃げたニャ。逃げて逃げて逃げ続けたニャ。そして……けっきょく奴らは、クロエを追ってくることはなかったニャ。多分、クロエが小さかったから、脅威と判断しなかったんだろうニャ。それが奴らの大きなミスだニャ。殺しの技はクロエの中で生き続けている。牙と爪は、ここにある。いつか奴らの体を裂き、喉元を食い千切ってやる」
そう言いながら笑みを浮かべるクロエの様子に、アルゴは内心驚いていた。
狡猾な肉食獣が笑みを浮かべているような、邪悪で狂気を宿したような笑みだった。




