122.怒りの炎を
滝の裏の洞窟。
玉座の間に、全員集まっていた。
総勢二百十二名。
ルタレントゥムの兵士たちである。
ルタレントゥムの兵士たちの視線は、ある一点に注がれている。
石の玉座に座る、魔族の少女へと。
魔族の少女―――盟主メガラは、ゆっくりと立ち上がった。
メガラへと注目が集まる中、メガラは杖の柄を地面に打ち付けた。
音が反響し、しんと静まり返った広間の空気をさらに張り詰めさせた。
メガラは前方に並ぶ兵士たちの様子をしばし眺め、静かに口を開いた。
「歴史を振り返ってみれば、我らは対話を続けようとしてきた。小競り合いは続いていたが、我らの祖先は全面衝突を避けようと努力した。しかし、帝国は最後の境界線を踏み越えた。先に仕掛けて来たのは帝国だ。我らはただ、土地と家族を守ろうと戦ったまで。ゆえに、大義はこちらにある。あったはずなのだ。―――だが、我らは負けた。負けて、土地や家族、尊厳さえ失った」
メガラは一度言葉を止め、兵士たちを眺めた。
兵士たちは不動。少しも動かず、盟主の姿を注視している。
メガラは言葉を続ける。
「余にはお前たちの気持ちがよく分かる。なにせ余は、一度死んだ身。余は克明に覚えておる。余の体を貫いた刃の冷たさを。流れる血の色を。激しい痛みを。憎悪を。屈辱を。余の体はこの通り変わってしまったが、心の内に燃える炎は、少しも衰えておらぬ。明言しよう。今の余は、大義を振り翳そうとは毛頭思っておらん。どれだけ大義を振り翳そうと、負けるときは負ける。それを余は学んだ。では、何故戦うのか? 大義なく戦えるのか? 明確に、自信を持って答えよう。―――戦えると!」
大きく息を吸い込み、更に続ける。
「余を動かす原動力は、この燃え盛る炎だ! この身に流れる魔族の王の血がそうさせるのではない! 死んでいった者たちの弔いでもない! ましてや、魔族の行く末を憂いてなどおらん! はっきりと言おう。余は畜生だ。ただただ、奴らが憎いだけだ。余が戦うのは、ただの復讐。古より継いできた原始的で生物的な感情。怒りだ!」
そう叫び、周囲を見回す。
少し呼吸を整え、また口を開いた。
「これを聞いて、余のことを軽蔑する者もいよう。幻滅する者もいよう。だが、それで構わん。もし戦う気が失せたというならば、いますぐこの場から立ち去れ。その者たちを罪に問う事はしないと約束しよう。だがな、だがもし、怒りの炎が少しでも燻っているのならば!」
再び息を大きく吸い込み、言葉を放つ。
「戦え! 怒りの炎を燃やせ! 誰かの為ではなく、己の為に戦え! お前たちは、何故生まれて来た!? 余が断言してやろう! 戦うためだ! 怒るためだ! 己を燃やし尽くし、死ぬためだ! よいか! もう一度言うぞ! 己のために戦え! そして、己のために死ね! さすれば、この永久の魔女が、お前たちを永久に導いてやる!」
メガラの言葉が途絶え、再び静寂が訪れた。
そんな中、一人の兵士が声を上げた。
「私は、永久の魔女様と共に戦います!」
最初の一人が口火を切れば、あとは流れ込むような勢いだった。
「俺もです!」「私も戦います!」「盟主様! お供いたします!」
兵士たちの口々から声が上がる。
広間は熱気に包まれた。
兵士たちの目は異様にぎらつき、激しい闘士を燃やしている。
アルゴは、広間の最後尾で熱気を味わっていた。
しかし、アルゴは冷静だった。
他の兵士たちとは違い、一歩引いて考えることができた。
ここにいる大半の者は死ぬだろう。
であればそれは、勝つために戦地に赴くのではない。
死ぬために征くのだ。
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「死出の旅路への先導は、妾のシモベたちに任せよ」
滝の音が響く山中で、ミレトは杖を振り翳した。
杖の銘は異界の杖。
永久の杖と同列に語られる、選ばれた者にしか扱えない杖である。
杖の先、翠色に輝く魔石が輝いた。
木々が揺れ、山が揺れ、鳥や動物たちがざわめき出す。
そして、シモベたちが現れる。
地面が隆起し、巨大な生物が地上へ顕現。
それは、全長約八メートルの巨大な蛇。
森に溶け込むような緑色の体表。緑蛇。
緑蛇たちは鎌首をもたげ、周囲に目を走らせている。
兵士たちは、驚愕と共に畏怖した。
これは個人が為せる技なのか。
これは神の御業ではないのか。
一瞬にして、この辺り一帯が緑蛇に埋め尽くされた。
どれだけいるだろう。確実に百は超える。
そして、百体以上の巨大な緑蛇が侵攻を開始した。
木々を薙ぎ倒しながら進むその様子は、大蛇の濁流。
想像を絶する光景にたじろぐ兵士たちであったが、若き将ネロ・ブラウロンは動じていなかった。
「総員! 進軍せよ!」
大音声を響かせ、ネロは右腕を天に突きつけた。
ネロが騎乗するのは、青白い体表の巨大な蜥蜴。
大きさは馬よりも少し大きい程度だが、その勇猛さと戦闘力は馬とは比較にならない。
如何なる危地へも飛び込み、鋭い牙と爪で敵を屠る。
その蜥蜴の名はスケイルリザード。
スケイルリザードもまた、ミレトのシモベである。
ネロを乗せたスケイルリザードは、山の斜面を滑るように駆け始めた。
狼狽える兵士たちを置いて駆けるネロ。
緑蛇が先導を務めるとはいえ、兵士たちにとってネロの姿は、一騎駆けを敢行する猛将そのもの。
その姿に鼓舞され、兵士たちは声を上げ始めた。
「将軍に続け!」
兵士たちを乗せたスケイルリザードが動き始めた。
ネロに続き、山を駆け下りる。
兵士たちは漏れなくスケイルリザードに騎乗していた。
二百騎以上の騎兵が山を駆け下りる様は、中々に壮観であった。
「我らもいくぞ!」
そう叫んだのはメガラだ。
メガラとアルゴは同じスケイルリザードに騎乗し、クロエは別のスケイルリザードに騎乗している。
「いくニャ!」
クロエの叫びを合図に、残された二体のスケイルリザードは駆け始めた。
森に残されたのは、ミレトと僅かばかりの従者のみ。
「盟主様、妾には解せませぬなあ。せっかく拾った命、何故また捨てようとするのじゃ。本当に、度し難い……」
ミレトは扇子を口元にあて、そう独り言を漏らした。




