117.火蜥蜴の背で
サラマンダーは西に進んでいた。
サラマンダーの駆ける速度は、馬よりも遅い。
だが、人が全力で駆ける速度よりも速い。持久力もある。
おまけに、複数人を背中に乗せたこの状態でも疲れをみせない。
置かれた状況を鑑みれば、最適な騎乗生物といえるかもしれない。
進むのは依然として乾いた大地。遮蔽物の無い荒野。
だが、荒野の終着点に近付いていた。
既にアルテメデス軍の監視区域から抜け出している。
途中、監視塔の傍を通過したが、アルテメデス兵が飛び出してくることはなかった。
おそらく、テルモイが何かしたのだろう。
メガラはそう予想してテルモイに話しかけた。
「さて、そろそろよかろう。お前の目的を話せ」
テルモイは手綱から手を放し、サラマンダーの背中の上で体をメガラの方へと向けた。
それから、深く頭を下げた。
「数々の無礼、お許し下さい……盟主様」
「なに?」
「貴方様こそが……我々の盟主様です」
「我々の盟主? 余は人族の盟主になった覚えはないが」
テルモイは首を横に振ったあと、前髪を右手で持ち上げた。
テルモイの額が露わになる。
テルモイの額には、大きな縫い目があった。
「自分の腕の皮膚を額に縫い付けました。これはその痕です」
「何を言っている?」
「俺は魔族です。俺は額から生えたツノを自分で折りました。折れたツノ痕を隠すため、皮膚を額に縫い付けたんです」
「なんだと?」
メガラは戸惑うような訝しむような表情を浮かべた。
その様子を見つつ、クロエが口を開いた。
「ニャるほど。つまりキミは、アルテメデス軍に侵入した魔族側の間者。そうことニャ?」
「はい、そうです。幸い俺の魔族としての特徴は額のツノだけでしたから、上手く奴らを騙せました」
「しかしそれは……ツノを折るなどと……」
ツノは魔族にとっての誇りだ。
それを自ら折るという行為は、誇りを捨て自分自身を捨て去る行為に等しい。
「問題ありません。俺は何としてもアルテメデス帝国に勝ちたい。そのためなら、何だってやります。それに……こうして貴方様をお救いすることができた」
「……で、あるか。その方、大義である」
「ははあッ! ありがたきお言葉!」
「してテルモイよ。よく余の正体に気付いたな」
「はッ。貴方様とそこの少年には、手配がかかっております。俺たち下っ端には、貴方様がたの正体までは知らされておりません。ですが、俺はずっと考えておりました。手配された少女と少年は何者なのかと。アルテメデスに不穏をもたらす者たち。是非とも協力を取りつけたかったのです。そんな中、ある時アレキサンダーがルタレントゥム領から離れるという情報を得ました。俺は、その時賭けに出ました」
「それは?」
メガラがそう尋ね、テルモイは続きを言う。
「アレキサンダーが居を構える砦に向かい、奴の執務部屋に忍び込みました。日付と時間を慎重に見極め、尚かつ、持ち得る財産の殆どを見張りの兵士に渡し、なんとか……忍び込むことに成功したのです。そこで見つけました。それは、アレキサンダーに送られた暗号文でした。俺は……この通り戦いには不向きですが、頭は少しだけキレます。今まで集めた情報から、自力で暗号文を解きました」
「それはすごいニャ。で、なんと書かれていたニャ?」
「ええ。暗号文に書かれていたことは主に二つ。永久の魔女が再臨したこと。そして、大将軍クリストハルトが危険視している少年のこと」
「ほう……」
「それを読んで俺は理解しました。少年が何者であるのかは推察できませんでしたが、手配された少女が何者であるのかは予想がつきました。それはまさに希望でした。絶対に、その少女を見つけ出さなければいけない。そう思いました。そして、軍内で噂が広がっていました。手配された少女と少年が、ルタレントゥム領に入ったのではないかと。だから、俺は常に周囲に目を向けて探していました」
「どこで我らを見つけた?」
「初めて御身をお見かけしたのは、プラタイトの奴隷市場でした。御身はフードで顔を隠されていましたが、もしやと思い……近づこうとしました。ですが驚きました、まさかあのサントールと交渉をするなんて……」
「ニャニャ……それは……。あいつはクソだけど、交渉相手にはピッタリだったからニャ……。あれ? テルモイっちがあいつと相棒だったのはたまたまニャ?」
「はい。それはたまたまです。ですから好機だとも思いましたが、同時に不安がありました。あいつは俺が知る限り、最も信用ならない男の一人です。貴方様がたがあいつと交渉する前に、俺が貴方様がたに接触すればよかったのですが……それはできませんでした。申し訳ありません」
「それはよい。結果的に我らは今こうしている。問題あるまいよ」
「有難きお言葉。しかし、本当に驚いたのです。まさかサントールが、あれほどクロエ殿に執着していたなんて……」
「ニャー、ほんとにニャー。ぞっとするニャ」
「俺はサントールの暴走を抑えることができませんでした。皆様がた、重ねてお詫び申し上げます」
「よい。頭を上げよ」
「はッ!」
「さて、これでお前のことは理解した。ようやく話を進められるな」
サラマンダーは駆け続ける。
こういう時、アルゴは聞き役に回ることが多かった。
アルゴは揺れるサラマンダーの背中の上で、メガラの話に耳を傾けた。




