116.混乱
「す、すごい……ニャ」
クロエは、その光景を見ていた。
きっとその光景を生涯忘れることはないだろう。
大地が燃えていた。
大量の煙を上げながら炎が燃える。
それはまるで、炎の海。
一瞬にして環境が変化した。
しかし、辺りが灼熱の大地と化してもまだ、自分は生きている。
それは何故か。
それは、目の前の少年のお陰だ。
少年が超巨大な炎弾を斬った。
斬られた炎弾は真っ二つに分かれ、左右に飛び散った。
だからまだ、自分は生きている。
信じられなかった。実際にこの目で見たというのに、まだ疑っている。
あれは人の技なのか?
魔術を斬る。そんなことができる存在を今まで見たことがなかった。
「走るぞ!」
呆けるクロエに向かって、メガラが叫んだ。
クロはハッとして返事した。
「そ、そうだニャ!」
そうだ。自分はまだ生きている。だったら、まだ終わっていない。
今できる最善を尽くす。
メガラが先頭。次にクロエ。最後尾にアルゴ。
三人は大地を駆ける。
アルゴは走り続けながらも背後に気を配っていた。
分かっていた。このまま逃げ切れるほど、あの大将軍は甘くない。
後ろを覗き見る。
炎が逆巻いていた。
その中心には、大将軍アレキサンダー。
力を溜め込むような気配。
それに呼応するように炎が激しさを増す。
もう一発……くるか。
アレキサンダーは、もう一度大技を放とうしている。
遮蔽物の無いこの荒野では、あの大技を躱すのは不可能。
ならば、また斬るしかない。
もう一度、できるだろうか。
自信がなかった。
魔術は苦手だ。そもそも、魔術、といえる代物ではないのかもしれない。
だが、やらなければならない。
やらなければ全員死ぬ。
アルゴは集中する。
もう一度、風の刃を顕現させようと、精神を研ぎ澄ませる。
だが。
「で……できない」
まずい。風の刃が現れない。
さっきのあれはマグレなのか。
「く、くっそ! 出ろよ! 出るんだ!」
苛立ちを露わにして必死にそう叫ぶが、できないものはできない。
全身から汗が噴き出すような感覚だった。
焦り。ただひたすらに焦った。
だが、焦れば焦るほど成功から遠のいていく。
アレキサンダーから、もう間もなく大技が放たれる。
アルゴの鋭い感覚が、そう告げていた。
「俺たちは……ここまでなのか……」
諦めるようにそう呟いた。
だがここで、その諦観を吹き飛ばすような事態が発生した。
突然、強い揺れが発生した。
大地が揺れる。
「じ、地震!?」
揺れは収まらない。
それどころか、激しさを増している。
そして、大地が引っ繰り返るかと思うほど強く揺れた時、地割れが発生した。
地割れは広範囲に広がる。
大地が裂ける。
ソレは、裂け目から現れた。
大地の切れ目から、巨大な影が伸びる。
天に高く伸びるその影は、超巨大な―――蛇。
その全長は約三十メートル。
生物としての常識を無視した破格の巨体。
「な、なんだ……あれは……」
アルゴは足を止めて巨大な蛇を見ていた。
アレキサンダーの脅威は、この時点で頭から消し飛んでいた。
「あれは……」
そう呟くのが聞こえた。
それはメガラの呟き。
「メガラ……あれは……なに?」
アルゴはついそう尋ねてしまった。
何故だろう。何故か、メガラが答えを持っているような気がした。
メガラは答える。
「あれは、大地を飲み込む蛇。―――ヨルムンガンド」
「ヨルムン……ガンド?」
ヨルムンガンドは鋭い目で、ある人物を捉えた。
ヨルムンガンドが見据えるのは、アレキサンダー。
次の瞬間、ヨルムンガンドはその巨体を地上に向かって叩きつけた。
大きな振動が発生し、大地に衝撃が駆け巡る。
アレキサンダーはヨルムンガンドに潰された。
「な、なんだこの状況……。俺はどうすればいい……」
アルゴは混乱の極みにあった。
現実離れしたこの出来事を受け入れることができない。
その時、誰かの叫び声が聞こえた。
「皆様! 乗ってください!」
アルゴは、その人物を覚えていた。
太り気味で純朴そうなその男のことを。
サントールの相棒、テルモイだ。
突然のテルモイの登場に戸惑うアルゴたち。
テルモイは、必死の形相で大声を上げた。
「早く!」
テルモイが駆るのは馬ではない。
それは、全身を赤い鱗で覆われた、巨大な蜥蜴。
馬の二倍ほどの体躯で、炎に耐性のあるその蜥蜴は、サラマンダーと呼ばれている。
本来獰猛で人を襲う魔物である。
だというのに、テルモイはそのサラマンダーを手懐けていた。
「アルゴ! クロエ! 状況が飲み込めんが、今はこいつの言う通りにするぞ!」
「でも!」
「余を信じろ!」
アルゴはこの一瞬で考える。
テルモイはアルテメデス兵だ。
つまり敵だ。テルモイの言う通りに行動するのは不安がある。
だからアルゴは、テルモイのことは信じない。
アルゴは、メガラのことを信じることにした。
「分かった!」
アルゴとメガラはサラマンダーの背中に飛び乗った。
それから、アルゴは右手を伸ばした。
「クロエさん! 乗ってください!」
クロエは灰色の髪を掻き乱して、大声を上げた。
「ああ! もう! わけがわからないニャ! もう、どうとでもなれ!」
クロエはアルゴの手を取って、サラマンダーの背に飛び乗る。
三人が乗ったことを確認し、テルモイは手綱を握りしめ直した。
「行きます!」
そうして、サラマンダーは荒野を駆け始めた。




