111.冷たい場所で
目を覚ました時、頬に冷たい感触を感じた。
「……ん」
顔を上げて周囲を確認した。
暗い場所だった。
冷たい黒い床。黒い壁。
そして、目の前には鉄の格子。
間違いなく牢屋だ。
食事に睡眠薬を盛られ、眠っている間にここに放り込まれたのだろう。
牢屋に入れられてしまった。
しかも、両手と首には枷をはめられている。
首の枷には鎖が装着されており、その鎖の先は壁と繋がっている。
当然、武器は奪われている。
ここを自力で脱出するのは不可能だった。
だが不幸中の幸いというべきか、仲間たちの安否は確認することができた。
メガラとクロエは、すぐそ傍で眠っていた。
二人とも枷をはめられた状態ではあったが。
アルゴはまず、クロエの方に近付いた。
「ク、クロエさん。起きてください」
両手に枷をはめられてはいるが、肩を使ってクロエの体を揺するぐらいはできる。
「……ニャ?」
クロエは目を覚ました。
寝ぼけた様子で口を開いた。
「……アルくん? え……まさかこの状況」
「はい。捕まってしまったようです」
「まいったニャ。不覚を取ったニャ。ごめん、アルくん」
「いえ。俺も悪いです。完全に油断してました。まさか村長が……」
「いやたぶん、サントールの仕業だニャ。デイ爺はサントールの指示に従っただけ。あの村の住人は、アルテメデス帝国軍の兵士には逆らえないのニャ」
その時、クロエの猫耳がピクリと動いた。
クロエの猫耳は足音を捉えた。
足音はこちらに近付いてくる。
その者は牢屋の前で立ち止まり、ニヤリと笑った。
「よう、起きたか」
「サントール!」
クロエは威嚇するようにサントールを睨みつけた。
「どうどう、落ち着けよクロエ」
「目的は何ニャ! お前は何がしたいのニャ!」
「俺だってな、悪いとは思ってんだよ。確かに俺はクズだが、誰かを陥れて喜ぶような最底辺の男じゃねえよ。けどよお……クロエ、やっぱりお前が悪い」
「はあ?」
「お前が俺の気持ちに応えてくれりゃあ、こんなことにはならなかったんだ」
「言ってる意味が分からないのニャ」
「本当に? 本当に分からねえか?」
「……」
クロエは少し間を取ってから答えた。
「分かったニャ」
「……分かってくれたか。嬉しいぜ、クロエ」
「お前の望み通りにしてやるから、この二人は解放するニャ」
「ク、クロエさん!」
「大丈夫ニャ、アルくん。クロエに任せるニャ」
「で、でも……」
「おい少年、余計な口を挟むんじゃねえよ。俺はな、お前とそこの魔族の子供には少しの興味もねえんだ。お前らが誰だろうとどうでもいい。だからよ、大人しくしてりゃあ解放してやるよ」
「くッ……」
クロエは、それ以上アルゴが何か言う前に発言した。
「じゃあ早くこの二人を開放するのニャ」
「まあ慌てるな。まずはお前の首の鎖を外してやる。お前は別の場所に移ってもらう。そこでゆっくりと、お話をしようじゃないか」
サントールは、厭らしい笑みを浮かべて牢屋の鍵を解いた。
その後、牢屋を開けてクロエの方へと近付く。
「両手の枷はそのままにさせてもらうぜ。外すのは首だけだ」
「分かったから早くするニャ」
サントールは、クロエの首にはめられた枷の鍵穴に鍵をさしこむ。
ガチャ、と音を立て枷が外された。
これでクロエは、牢屋の外へ出れる状態となった。
「じゃあ行くぞ。安心しろ。そこの二人は、あとでちゃんと開放してやるからよ」
「分かったニャ」
サントールとクロエは歩き出した。
「ま、待って下さ―――」
アルゴはクロエの背中に声をかけるが、途中で言葉を止めた。
クロエがアルゴの方を向き、右目でウィンクをしたのだ。
大丈夫だから任せて。
アルゴには、クロエがそう言っているように思えた。
「おい、なに止まってんだ? 早く行くぞ―――」
サントールが後ろを振り向いた時、クロエの牙が見えた。
「―――なッ!」
サントールは咄嗟に防御した。
クロエの牙は、サントールの首を噛み千切ることができなかった。
その代わり牙は、サントールの右腕に突き刺さった。
「い、いってえッ!」
サントールの右腕から血が流れる。
「く、くっそ! クロエ、どういうつもりだ! 俺がせっかく、優しくしてやってんのによお!」
「優しく? ハッ、お前の優しさなんか、クソくらえニャ」
「クロエ……クロエ! どうしてだ! 俺は、俺はな! 本気なんだ! どうして! どうしてそれが伝わらない!」
「ペッ。お前はクソだニャ」
「くそが! この状況分かってるのか!? そこの二人はどうなってもいいってか!?」
「あ、そうそう。お前はクソだけど、答えを返さなきゃならないニャ」
「答え……だと?」
「そう。ソレが答えだニャ」
クロエはニッコリと笑った。
「ソレってのは何だ?」
そう尋ねた時、サントールは顔をしかめた。
「な、なんだ……?」
突然、サントールは息苦しさを感じた。
そう感じた瞬間、今度は強烈な吐き気に襲われる。
「うっ……これは……」
サントールは片手で喉を押さえ、床にうずくまってしまった。
サントールの顔がどんどん変色していく。
肌色から茶色に。茶色から赤に。最後には紫色に。
「これは……毒か?」
「そうニャ。毒死。それがお前の死因だニャ」
クロエはニヤリと笑いながらそう言った。その口元には鋭い牙が見えていた。
サントールは理解した。
クロエの牙に毒物が塗られていたのだろう。
クロエの牙に刺された時、毒を流し込まれてしまったのだ。
クロエが平気そうにしている理由は分からないが、クロエは薬師だ。
毒に対する何らかの対抗策があるのだろう。
「がっ……あ……あっ……」
サントールはもう、意味を持った言葉を発することができなかった。
意識が薄れ、ついには床に頭をぶつけてしまう。
「サントール。お前は哀れで愚かな奴だニャ」
「あ……うっ……」
「だけど、クロエには他人のことをとやかく言う資格はないニャ。クロエもお前と同じニャ。だから次は……お互い真っ当になってるといいニャ……」
そのクロエの言葉が聞こえた直後、サントールの心臓は鼓動を止めた。




