109.荒野の村
アルゴたちを乗せた馬車は、村に辿り着いた。
荒野の中に存在する魔族の村。ジュライ村である。
この村の魔族たちは奴隷ではない。
だが、実質的には奴隷と言ってもいいかもしれない。
この村の魔族たちは、伝統的に鍛冶屋を生業にしている者が多い。
作成した武具を定期的にアルテメデス帝国に納める代わりに、自由を許されているのである。
奴隷とは、誰かの所有物である。
奴隷にはあらゆる自由がない。勝手に食事や睡眠を取ることは許されておらず、娯楽に興じることも、仲間内で集まることもできない。
この村の魔族たちは、一応それらが許されている。
定められた武具を納めることさえ出来ればだが。
馬車から下りたメガラは、日光に目を細めながら村の様子を眺めた。
土と泥で造られた家が、あちこちに点在している。
鉄を打つ音が聞こえる。
それは鍛冶の音。
定められたノルマをこなさなければならない。
村の者たちは必死だった。
今やルタレントゥムとその周辺に生きる魔族たちは、その多くが奴隷。または、奴隷に類する者であった。
「これが……現実なのだな」
メガラはポツリと呟き、過酷な現実を目に焼き付けた。
そのメガラの目線の先に、一人の魔族。
その魔族がこちらへと近付いてくる。
「これはこれは、兵士様。本日は如何されましたでしょうか?」
その魔族は老人だった。
老人はへりくだってサントールに尋ねた。
サントールはつまらなさそうに答えた。
「ああ……事情はこいつらから聞いてくれ」
サントールはクロエの方を向いて続ける。
「クロエ、これで任務完了でいいな?」
「いいニャ」
「じゃあ、俺たちは帰るぜ」
そう言ってサントールは、クロエの方へ近づいた。
サントールはクロエの前で立ち止まり、じっとクロエを見つめる。
「なんニャ?」
「おいおい、無事ここまで辿り着けたのは誰のお陰だ? 何か労いの言葉はないのか?」
「はあ?」
「別に言葉じゃなくてもいい。抱きしめるとか、口づけでもいいぜ」
「……キモ」
サントールは大きく溜息を吐いた。
「はぁ~。どうして伝わらねえかな、この俺の気持ちが。なあクロエ、俺はわりと本気だぜ?」
「シネ」
サントールの方を見もせず、短く言葉を放つクロエ。
サントールは肩をすくめて落胆する。
「つめてえなー」
その後「しゃーねえ、今日はここまでだ」と言って馬車の御者台に乗り込んだ。
「テルモイ! 帰るぞ!」
「ま、待って!」
テルモイは慌てて御者台に乗り込んだ。
その直後、馬車が走り出した。
馬車が消え失せた時、クロエは声を上げた。
「あー! あいつ本当に無理ニャ!」
クロエの様子を見てメガラは言う。
「お前の帝国軍人嫌いは筋金入りだな」
「それはもう大嫌いニャ! だけど、あいつは特別に嫌いだニャ! 本当にキモすぎてやばいニャ!」
「ふむ。お前には感謝しなければならんな。余のために無理をさせてしまったな」
「メガちゃーん! クロエはメガちゃんのためなら、何だってできるニャー!」
クロエはメガラに抱き着いて頬ずりをする。
やめろ。とメガラは声を上げそうになったが、無理やり抑え込んだ。
クロエは己を犠牲にして頑張ってくれたのだ。
今だけは我慢するか。
頭の中でそう考えて、メガラは体を固定させた。
メガラが無抵抗なのをいいことに、クロエは頬ずりを続ける。
「……あの」
今まで静かにしていたアルゴが口を開いた。
「ニャ? アルくん、どうしたのニャ? ああ、安心するニャ。次はアルくんの番だニャ」
「いや、そうじゃなくて」
アルゴは前方に目を向けた。
「あの、お爺さんが困ってますけど……」
サントールに挨拶をした魔族の老人が、困り果てた様子で立っていた。
私はどうすればいい?
そういった表情。
「あ……」
それは、クロエが発した小さな声だった。
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老人の名はデイロー。
ジュライ村の村長である。
アルゴとメガラは、村長の家で村長から話を聞いていた。
「アルテメデス帝国に敗戦してからというもの、我々の生活は大きく変わりました。我々は……奴隷ではありませんが、自由はほぼありません」
メガラは険しい顔で尋ねた。
「帝国の縛りか?」
「はい。我々は、帝国のために日々働かなければなりません。村の者の殆どは―――女や子供でさえも、武具製作に何らかの形で関わっております。そうしなければ、帝国から課せられたノルマを達成できんのです」
「なるほどな。制度奴隷ではないが、それは……事実上の奴隷だな」
「はい」
デイローはそう返事したあと、躊躇いながら話を切り出した。
「ところで……クロエから貴方様のことを、やんごとなき身分のかたと聞いておりますが、もしかするとエウクレイア一族のかた……で、ございますか?」
「いいや。余はただの小娘だ。お前は小娘とお喋りをしているだけ。それを心に留め置いてくれ」
「か、畏まりました。無礼をお許しください」
「謝ることはない。余はお前たちに深く感謝している。我らの歓迎、痛み入る」
「め、滅相もございません。本来であれば、村の者を集めて歓迎の儀を執り行うべきでございますが、この状況ではそれは難しく……」
「構わん。というか不要だ。言っただろう? 余はただの小娘だ」
「そ、そうでしたね」
デイローはそう言って、床から立ち上がった。
それから、申し訳なさそうな顔で言う。
「大変申し訳ありません。少し仕事が残っておりますので、外に出てきます。貴方様がたは、ごゆるりとお寛ぎください」
「そうか。忙しいところ悪かったな。我らのことは気にせず仕事に励むといい」
「はっ。有難きお言葉」
と返事をして、デイローは家から出て行った。
室内にはアルゴとメガラだけとなった。
ちなみにクロエはこの家にはいない。
おそらく外でフラフラしているのだろう。
「どうにか……ここまでこれたな」
「うん」
「ここはまだルタレントゥム領内だが、徒歩でも一日ほどで領内から出られるはずだ。それから北西へ進み、山を越えれば湿原地帯がある。その湿原を突きってまた山を越えれば……」
「そこに、イオニア連邦が?」
「そうだ」
「まだ先は長いね」
「そうでもないさ。余はこの地が最大の難所だと思っていた。だが、クロエのお陰でなんとかなりそうだ。ならば、もう辿り着けたと言っても過言ではなかろう」
「ハハッ。さすがに気が早くない?」
「かもな」
そう言ってメガラは笑みを浮かべた。




