107.突破策
クロエ・ジュノーは、黎明の剣の協力者である。
クロエもまたアルテメデス帝国に恨みを持つ者の一人であり、アルテメデス帝国の転覆を企む反抗勢力の一員である。
だがクロエは、黎明の剣に所属する団員ではない。
黎明の剣に協力はしているが、その組織体系に組み込まれてはおらず、独自性を旨とする存在である。
アルゴとメガラが、そんなクロエの元を訪れたのには訳がある。
猫香風二階で話し合いは続いていた。
「それでクロエ。ここから先のことは、お前に任せていいのか?」
「勿論ニャ! どーんと任せてニャ!」
「少々不安だが……。ふむ……」
「不安がらなくても大丈夫ニャ!」
堂々と胸を張るクロエ。
そこでアルゴが口を開いた。
「えっと、クロエさん。ここから西側に行くには、アルテメデス帝国軍の監視区域を抜けないといけなくて、なんの用意もなく突き抜けようとすれば、必ず監視網に引っかかってしまう……ということであってますか?」
「それであってるニャ! アルくんは賢くてイイ子ニャ~」
クロエは笑み浮かべ、アルゴの頭を撫でた。
「あ、ありがとうございます……」
「ニャ~」と言って、目を細めてアルゴの頭を撫で続けるクロエ。
放っておけばいつまでもそうしていそうなクロエの様子を見兼ねて、メガラは大きく咳払いをした。
メガラは注目を集めてから言う。
「クロエ、それで、その監視区域を抜ける策は?」
「それはこれニャ」
クロエは親指と人差し指で輪っかを作り、得意気に言う。
「この世はルグだニャ」
「どういうことだ?」
「メガちゃんは知ってると思うニャけど、ここから西側に進むと、荒野が広がっているニャ。その荒野にはあちこちにアルテメデス帝国軍の砦があって、その砦に駐在する沢山の兵士たちが日夜周囲の警戒を続けてるニャ。何も考えずに荒野を進めば、高い確率で兵士たちに見つかってしまうニャ。そこでルグだニャ。ルグの力で兵士を買収すれば、すんなりと荒野を通り抜けられるってわけニャ」
「なるほどな」
ルグとは力だ。場合によっては、とても大きな力となり得る。
強い力に抵抗できる者は少ない。
弱者は強い力には逆らえない。それがこの世の摂理だ。
それでも敢えて、メガラは意見を口にする。
「だが、本当に大丈夫か? 稀にだが、欲望に抵抗する者がいることを余は知っている。もし買収に失敗すれば……」
「大丈夫ニャ! クロエは、人を見抜くことにかけては猫界一ニャ! だから安心するニャ!」
「猫界一?」
本当に大丈夫か?
とメガラは口から出そうになるが、それを飲み込んだ。
今はクロエ以外に頼れる者はいない。
メガラは腹を決めた。
「分かった、クロエ。お前を信じよう。そして、お前の策が成功し、余の大願が成就した暁には、お前に褒美を与えることを約束しよう」
「ありがとニャー! メガちゃん、大好きだニャー!」
クロエは両手を上げて喜びを表現し、その勢いのままメガラに抱き着こうとする。
「ええい! 抱きつこうとするな! 暑苦しい!」
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アルゴ、メガラ、クロエの三人は、猫香風から外に出て通りを歩いていた。
昼時。よく晴れた空。乾いた空気。
そして、額に汗が滲むほどの不快な暑さ。
「暑い……」
と呟くアルゴ。
そのアルゴの呟きを聞き、メガラは先頭を歩くクロエに訊いた。
「クロエよ。この暑さは何だ? この時期にこれほど暑いというのは、異常ではないか?」
「そうニャ。これは異常ニャ。けど、その理由はクロエも分からないニャ。だけど……」
「だけど?」
「帝国の奴らニャ。奴らがこの地に来てから、何もかもがおかしくなったニャ。きっと奴らが何かしているニャ」
「何かしている……と言ってもな。流石の帝国も、天候や気候を操れるわけではあるまいよ」
「メガちゃんの言う通りかもしれないニャ。けど、クロエには奴らが何かしているとしか思えないニャ」
「ふーむ」
と唸り、メガラは口を噤んだ。
三人はそのまま歩みを進める。
ひび割れた泥色の建物が建ち並んでいる。
かつては鮮やかな塗装が壁に施されていたはずだが、今は見る影もない。
メガラは不快を露わにしてクロエのあとに続く。
建物に視線向けながら歩いていると、頭部に衝撃を受けた。
「―――うッ」
クロエが急に立ち止まったため、メガラはクロエの背中に頭をぶつけてしまったのだ。
「すまないクロエ。よそ見していた余が悪い」
メガラは素直に謝った。
だが、クロエからの反応がなかった。
「クロエ?」
メガラはクロエの顔を覗き込んだ。
そして困惑した。
クロエのその顔には、憎しみめいた感情が浮かんでいた。
クロエは、ある一点を見つめている。
メガラは、クロエの視線を追ってその方向へ目をやった。
クロエの視線の先には、広場があった。
広場には大勢の人。
それを初めて見る者にとっては、異様な光景に見えただろう。
威勢の良い声が響いている。
武装した兵士や、逞しい体躯の男たちがいる。
そして、広場に横一列で並んでいる者たちがいた。
その者たちの両腕は、鎖で拘束されていた。
首には鉄の首輪がはめられている。
並んでいる、というよりは、並ばされている、と言った方が正確だろう。
「……奴隷市場か」
広場の様子を見て、メガラがポツリと言った。
「いつ見ても反吐が出るニャ」
クロエから、普段の明るい雰囲気が消え去っていた。
心底嫌悪感を露わにして、ペッ、と唾を地面に吐き捨てた。
奴隷たちの殆どは魔族であった。
大勢の客が奴隷たちをジロジロと品定めしている。
おそらくあの奴隷たちは、ルタレントゥム魔族連合の民だったのだろう。
これこそが、ルタレントゥムの現状だった。
敗者には過酷な運命が待ち受けている。
敗者に与えられる選択肢は少ない。
強者の言いなりになってでも命だけは繋ぎ止めるか、自ら死を選ぶか。
メガラは、広場を見つめながら拳を握りしめた。
「我が民よ……すまない。いずれ必ず、解放してやるからな」
「行くニャ」
「ああ」
クロエは広場から視線を外し、歩き出した。
メガラとアルゴはクロエのあとを追う。
この時、三人は気付かなかった。
広場の方向から、三人を監視するような視線があることに。




