106.薬屋
入り組んだ路地を進む。
日の当たらない薄暗い路地だ。
人の通りは殆どない。
時折、浮浪者やゴロツキのような者を見かけるが、お互いに不干渉を貫く。
「ここだ」
立ち止まり、メガラがそう言った。
メガラの目の前には、小さな建物。
土色の薄汚れた建物だった。
隣接する建物との隙間はほぼ無い。
木製の窓は閉じられており、外から中の様子を窺うことはできない。
「うん、ここだね」
そう返事して、アルゴは頭の中にある情報と照らし合わせる。
建物の扉には、絵が描かれていた。
丸くなった猫と、その周囲で花の模様が描かれた、どこか芸術的な絵だった。
この絵が目印。
目的の場所は、間違いなくここだ。
扉を開けて建物内に入った。
薄暗い室内。埃が舞い、かびの臭いが充満している。
狭い室内の両端には棚が設置されており、その棚にはガラスの瓶が置かれている。
「誰も……いないね」
「ふむ」
メガラは顎に手をやって少し思案すると、息を吸い込んだ。
「誰か! おらんのか!」
室内にメガラの声が響き渡った。
それから数秒後、アルゴは誰かの呻きを聞いた。
耳を澄ます。
「……うにゃ」
うにゃ?
アルゴは、聞こえてきて謎の単語に首を傾げる。
さらに数秒後、ついにその者は姿を現した。
室内の奥のカウンター席。
その席の陰から飛び出すように現れた。
「ニャニャ。……あれ、お客さん?」
その者は若い女だった。
童顔。短めの灰色の髪。
最大の特徴は、頭から生えた猫耳。
この女は獣人だ。
獣人といっても獣の血は薄く、見た目に関しては人族との違いはそれほどない。
猫耳女の左頬には、床のあとがついている。
どうやら床で眠っていたようだ。
眠そうに目を擦る猫耳の女に、メガラは尋ねた。
「突然の無礼を許してくれ。お前がクロエ・ジュノーで相違ないか?」
「え? う、うん。そうニャ。というか、お客さんじゃないのニャ?」
不思議な顔をするクロエに、メガラはある物を差し出した。
それは、封蝋された封筒だった。
クロエは、封蝋の紋章を見てハッとした。
一振りの直剣と籠手を象った紋章。
それは、黎明の剣が掲げる紋章だった。
「キミたち……何者?」
「それを読んでもらった方が早い」
「……分かったニャ」
クロエは、封を解いて手紙を取り出した。
黙って手紙を読み進めていく。
手紙の送り主はリューディア。
手紙の内容は、あたり障りのない日常の事柄。
だがそこには、リューディアとクロエの間のみで通じる暗号が示されていた。
クロエは、その暗号を解読した。
「これは……驚いたニャ。キミがあのメガラ・エウクレイアで、その少年が、大将軍クリストハルトを討った張本人……?」
「ああ……そうだ」
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『猫香風』は、クロエが営んでいる薬屋だ。
クロエが調合した傷薬や、滋養強壮に効果があるとされる飲み薬などを販売している。
その二階にて。
「ニャニャニャ~」
スリスリ、とクロエはメガラに頬ずりする。
スリスリ、と肌を合わせて臭いをこすりつける。
メガラは眉根を寄せて口を開いた。
「……おい」
「ニャ?」
「ニャ? じゃない。これは何のマネだ?」
「何のマネって、これが獣人流の挨拶だニャ」
「嘘をつけ。そんなもの聞いたことがない」
「そうニャ? じゃあ、メガちゃんもまだまだニャ」
それからクロエは、舌をチロッと出してメガラの頬を舐めた。
「なッ!」
クロエの取った行動にメガラは驚き、思わず立ち上がった。
「お、お前! な、何をする!」
「ニャ? これも挨拶だニャ」
「ふ、ふざけるな! よ、余を誰と心得るか! 余はメガラ・エウクレイアだぞ! ぶ、無礼であろう!」
メガラは顔を真っ赤にして抗議の声を上げた。
「まあまあ、落ち着くニャ。気を悪くしたら謝るニャ。とりあえず座って座って」
クロエはそう言って、メガラの両肩を軽く叩いた。
「……ったく」
メガラは渋々ながらも椅子に座り、腕を組んでムスッした表情を浮かべる。
「メガちゃんとの挨拶はこれで終わり! じゃあ次はアルくん!」
クロエはアルゴに顔を向けて、優しい笑みを浮かべた。
「え、いや、俺は……」
狼狽えるアルゴのことを気にすることなく、クロエはアルゴに顔を近づける。
「待て」
メガラはクロエの衣服の裾を引っ張ってクロエを止めた。
「どうかしたニャ?」
「もう挨拶は十分だ。早く話を進めてくれ」
「え~。でも挨拶は大切だニャ」
「クロエ・ジュノー。一度目は注意で済ませよう。だが、二度目は言わん。余はこんなくだらんことで、お前と決別したくはない」
クロエは見た。
強い意志の宿るメガラの紫の瞳を。
「ご、ごめんニャ。クロエが悪かったニャ」
「分かればいい」
クロエは大きな息を吐いて胸を撫でおろす。
「ふぃー。怖いニャあー、メガちゃんは」
「さっきから気になっていたが、そのメガちゃんというのは、もしかして余のことか?」
「へ? 勿論ニャ。メガラちゃんはメガちゃん。アルゴくんはアルくん。もしかして、これもダメかニャ?」
メガラは目を閉じて、眉間を揉みほぐしながら答えた。
「何なんだお前は。ひどく調子が狂う。……まあいい。呼び方ぐらいは好きにさせてやる」
「ありがとニャー!」
体で喜びを表現して、クロエはメガラに抱き着こうとする。
メガラは、右手でクロエの額を押さえてそれを阻止。
「ニャニャニャ! なんで止めるのニャー!」
メガラはクロエを押さえつけながら、アルゴに視線を向けた。
「アルゴよ……こいつを何とかしてくれ……」




