17.婚約式(エイデン視点)
初めて会ったときは小さな犬みたいだと思った。
俺には幼馴染と言える兄妹がいる。オルセン子爵家のワイアットとメリッサ。ふたりは子爵譲りのふわふわした薄茶色の髪にまん丸い目で、何故だかいつもにこにこしている。
オルセン家は小動物を思わせる見た目に反して学者気質な家系だ。温厚で聡明なワイアットなら嫡男である兄ヘンリーに良い影響があるだろうと、父に遊び相手に選ばれたのだ。
見た目も行動も派手な兄達に比べて、俺は地味な存在だった。父から三男だから遠慮して目立たなくしてるのかと聞かれたこともあったが、きっと生まれ持った気質だと思う。
幼い頃は特に、勢いのある兄達の相手をするのはとにかく面倒だった。
ヘンリー兄上は伯爵家の嫡男として着実に成長しているし、体力があり余ってるイアン兄上は騎士を目指すと言っている。俺は学ぶことは好きだから、とにかく知識をつけていけば将来は何とかなるかとは思っていた。
気がつけば、メリッサは俺の隣にいるようになっていた。
1つ下のメリッサは一見大人しく見えるが案外喜怒哀楽が激しい。その上思考回路が独特なのかたまに行動が理解しにくい時がある。
それよりも本ばかり読んでいて愛想のない俺といてもつまらないだろうと思うのだが、何故かいつも目が合うとふわふわの髪を揺らして嬉しそうに笑う。何だか犬みたいだな……。たまに頭を撫でたくなる。
6つの頃、俺がイアン兄上の悪ふざけで怪我をしたあと、オルセン子爵が悲愴感を漂わせて訪ねてきた。
「君が怪我した日からずっとメリッサの元気がないんだ。できれば君が訪ねてきて、もう大丈夫だと言ってあげてくれないか」
……そんなに凄惨な感じだったのか?俺は意識が飛んでたからわからないが。
「わかりました」
そうは言ったが、俺がひとりで行っても元気づけられる気がしない。どうしようかと思案していると、庭師が近所で子犬が生まれたと教えてくれた。
とりあえず見に行ってみる。焦げ茶と薄茶の混じった子犬達が重なるようにかたまって眠っていた。その中から薄茶の犬をそっと持ち上げて顔を覗くと、起こされたばかりなのに初対面の俺に嬉しそうに擦り寄ってきた。
…………似てるな。並んでたら面白いかもしれない。薄茶の子犬に決めた。
子犬を届けてメリッサの機嫌を無事直した数日後、子爵がまた家にやって来た。……何だかいつもと雰囲気が違う気がする。子爵は俺の両肩に手を置いて顔を近付けてきた。
「先日はありがとう。お陰でメリッサが元気になったよ。…………これからは娘に色目を使わないでほしい。だけど冷たくしてはいけないよ。悲しむからね」
掴まれた肩は痛くはないけどやけに力が籠もっている。……なんなんだ。素っ気なくしろと言うのか、するなと言うのか、よくわからない。
「わかりました」
とりあえずこたえると、子爵は目を潤ませてうんうんと何度も頷いた。本当になんなんだ……。
それからも子爵からは「近づき過ぎるな」「触れるな」「誑かすな」と時折言われた。メリッサによく似た成人男性の潤んだ瞳を間近で見るのは正直複雜な気分だった。
けど、メリッサのことを心から大切にしているだろう。俺は伯爵家の三男で何も持たない者なのだから。
俺は王宮事務官を目指すことに決めた。
王都の王立学園で過ごしていたある日、子爵から手紙が届いた。要は「学園に入学する娘を見守ってくれ。けど手は出すな」と書いてあった。くっついて来るのは貴方の娘の方なんだが。娘には言えないのか……。
それからも度々送られてくる似たような内容の手紙に、書くことに困った俺はメリッサの学園生活報告を返事として送ることにした。その為か子爵からの手紙は途切れることはなかった。
そして、学園で過ごす最後の冬が近づく頃、ついに学園長推薦により王宮事務官に内定した。
ほっとした。積み重ねてきたものが報われたと嬉しかった。直ぐにメリッサに伝えれば嬉しそうに笑って祝ってくれた。
もう少しだ。俺は父に手紙を書いた。
今日は俺とメリッサの婚約式だ。
ここまで長かった。子爵の最後の足掻きのような俺への牽制も凄かった。
鏡を見て身支度を整える。正装しても変わり映えのない見慣れた自分が映っている。
いったい俺のどこが良かったんだろうか……?正直不思議に思うが、記憶の中のメリッサは何歳のときでも俺を見て嬉しそうに笑っている。
――これからも笑っていられるよう守る努力はしよう。
俺は何時からか芽生えた誓いを胸に部屋を出た。
婚約式と言っても普段から交流がある上、末子同士なので、当人同士と両親だけで行う簡単なものだ。
オルセン子爵家を出迎え、テーブルを挟んで座ると案の定子爵に潤んだ瞳で睨まれた。この顔も随分見慣れたな……。
メリッサは上品なオフホワイトのドレス姿だ。所々に黒色をあしらい、いつもより大人びて見える。視線を上げたメリッサと目があった。にっこりと微笑まれる。
…………何だ?嫌な予感がする。
何となく引っ掛かりは感じても粛々と婚約式は進んでいく。
婚約誓約書に両家当主のサインをする場面になり、ペンを握る子爵の髪が小刻みに揺れる。婚約相手が俺ではまだ不安なのかも知れないな……。
気持ちを汲んで待っていれば、メリッサが口を開いた。
「お父様、相手がエイデン様なら結婚しても会いたいときに何時だって会いに来られますわ」
メリッサの笑顔には「早くしろ」と書いてある。……優しくしてやれよ。子爵は潤んだ目をのろのろと俺に向けてきた。
「本当か?エイデン君……」
この感じにも随分慣れたとはいえ、父娘が似てるからかどうも落ち着かない。家族仲のよさは知ってるから元々咎める気はないが。
「……そうですね。メリッサ嬢が望むのであれば何時でも歓迎します」
俺の言葉を受けて、子爵は婚約誓約書に再び視線を落とした。
「そうだな、確かに、相手がエイデン君なら……」
何やらブツブツ言いながらゆっくりとペンを動かしサインをし終え、無事婚約は成された。
良かった。そっと息を吐く。
――カタン。
静かな音に目を向けると、メリッサが立ち上がっていた。
…………何だ?さっきより深い、イヤな予感のする微笑みで俺を見た。
「これで私達は書類上の婚約者となりました。しかし!私は婚姻の日までにエイデン様からの『感動的なプロポーズ』を要求します!」
メリッサは俺を指差し、鼻の穴を見せて満足気に見下ろしている。
「……………………は?」
言われた意味を理解するのに時間を掛けていると、子爵が此処ぞとばかり声を上げた。
「そうだ!子供の頃からメリッサばかりがエイデン君に好意を告げてきた。エイデン君から娘が感動して泣いてしまうようなプロポーズが無ければ、婚約は解消だ!」
は!?貴方がずっと牽制してたんですよね?父娘揃って意味がわからない。
「何を……」
「その通りね!エイデン、貴方当たり前のようにメリッサちゃんを娶ろうとしてるけど、男性としてきちんと想いは伝えなくてはいけないわ」
母が俺の言葉を遮ってきた。尤もそうに言ってるけど、楽しんでるよな?
そうは思ってもまだプロポーズをしてないのは確かだ。両親の前で気恥しいが此処でするべきだろう。
俺は覚悟を決め、今日渡そうと思っていた指輪の箱をポケットから出しながら立ち上がろうとした。
だが当のメリッサがそれを制してきた。
「エイデン様、今は結構です。後日きちんと考えたものをお願いします」
……………………は?
手のひらを向けながらの真顔。どういう表情なんだ……。定番のプロポーズでは満足しないってことなのか…………?
自分で言うのも何だが俺を選ぶことからしてもメリッサは感性が少し独特だ。発想が理解しにくいことも偶にある。どうすれば満足するんだ……。
困惑している俺をよそに両親達は大盛り上がりだ。俺は力なく腰を下ろし、深い深い溜め息を吐いた。
面倒なことになった……。
お読みくださりありがとうございました。