第3話「オタク君。マジ感謝!」
「あら、こうちゃん。もう学校に行くの?」
時刻は朝六時。
普段よりも早い時間に、制服姿で居間に姿を現した息子を見て、母親が驚きの声を上げる。
彼の通っている学校までは、バスと電車を乗り継ぐが、それでも一時間もかからない。
「うん。今日は日直だから早いんだ」
「あら、そうなの。お弁当すぐ作るから、朝食食べてなさい」
日直だとしても、あまりに早い時間ではあるが、母親は特に言及をしない。
大方友達と早く会う約束をしているのだろう。その程度に考えていた。
その考えは、ある意味間違ってはいない。
オタク君が早起きした理由は、完成した付け爪を早く優愛に見せたいからである。
どんな反応をしてくれるか楽しみで、つい早起きしてしまったのだ。
「それじゃあ、行ってきます」
手早く朝食をすまして家を出るオタク君。
深夜三時まで起きていたというのに、目はギンギンにさえていた。若い証拠である。
「ふぁああ。眠い」
そんな彼の興奮も、適度な温度と、心地良い電車の揺れの前では無力であった。
段々とウトウトとし始め、既に眠ってしまう手前である。
「あっ! オタク君おはよう!」
唐突に声をかけられ、一気に目が覚めるオタク君。
「おはようございます。朝早いんですね」
オタク君は優愛に、挨拶を返す。
周りはガラガラだというのに、わざわざオタク君の隣の席に座る優愛。肩が触れ合うくらい近い距離で。
「ううん。たまたま今日は早く来ちゃっただけだよ。オタク君こそ早いね」
「ははっ。僕もたまたま早くに目が覚めちゃったので」
オタク君が早く完成した付け爪を優愛に見せたかったのと同様に、優愛もまた、早く完成した付け爪が見たくて早起きしてしまったタチだ。
お互いが「早くみたい(みせたい)」という気持ちで早起きしてきたのだが、それを口に出すのは恥ずかしいと思い、思わず嘘をついてしまった。
たまたまにしては出来過ぎてはいるが、それを突っ込めば自分に返ってくる。
「そうなんだ。一緒だね!」
「うん。そうだね!」
なので、そう返すしかなかった。
「あぁ、そう言えば」
本当は早く渡したくて仕方がないくせに、まるで今思い出したかのように振る舞うオタク君。
「どうかしたの?」
何かあったっけと言わんばかりの言葉とは裏腹に、そわそわしながらオタク君がかばんをガサゴソするのを見守る優愛。
「これ、昨日言ってた付け爪だけど、こんな感じでどうかな?」
透明なケースの中に、傷がつかないよう丁寧に並べられた付け爪がキラキラと輝く。
付け爪の輝きに負けないくらいキラキラした笑顔で、優愛がそれを見つめる。
「凄い! オタク君マジヤバいじゃん! ねぇこれ本当に貰って良いの?」
言葉よりも早く出てしまった優愛の手が、オタク君から奪い取ろうとしてしまう寸前でピタっと止まった。
流石に確認もせずに奪い取るのは失礼だと思ったのだろう。
「もちろんですよ。そのために持ってきたわけですから」
出来る限り平然を装っているオタク君だが、内心はドキドキしていた。
付け爪に食いつく勢いの優愛が、余計に距離を縮め、上目遣いで聞いてくるのだから。
オタク君はオタクだが、三次元に興味がないわけではない。
ギャルは得意ではないオタク君だが、美少女の部類に入る優愛に寄られれば仕方のない事である。
「本当に! ありがとう! ねぇ、これ今付けて良い? ちょっと付けるからこれ持ってて」
喜びの余り、確認すらしなくなった優愛が、邪魔な手荷物をオタク君の膝に置き、器用に付け爪を一枚ずつ付けていく。
(こんなに喜んで貰えたなら、成功かな)
思ったのと違う。そんな風に言われないか不安もあったオタク君だが、優愛の喜びようにオタク君は満足であった。
贈った物が喜ばれるのは、誰だって嬉しいものである。優愛はオーバーと言えるほどの喜び方をしているのだから、送ったオタク君はさぞかし気持ちが良いだろう。
「ねぇねぇ、どうよ? ヤバくない?」
「そうですね。ヤバイですね」
自分で言うのもなんだが、優愛が送ってきた画像と遜色ないものが出来たとオタク君は自負している。
実際に、優愛の指でキラキラと光る付け爪を、少し離れた場所にいるOLが少し羨ましそうに見ていたりする。
「そうだ。記念に写メ撮ろうよ。ほらほらオタク君も一緒に」
左手で器用にスマホを操作し、カメラモードにする優愛。
少し恥ずかしそうに離れようとするオタク君を、優愛が肩に手を回し、体を寄せる。なんとも男前なギャルである。
「ほら、撮るよ。イェーイ!」
「い、いぇーい?」
ぎこちないピースをするオタク君に、満面の笑みでオタク君を引き寄せながらピースをする優愛。
携帯のカメラ音がなる。
朝早い時間帯なので客はまばらだ。もしそうでなければ、迷惑なバカップルがいると思われるような光景。
先ほどのOLが、そんな二人を先ほどとは違う意味で羨ましそうに見ていたりする。
「あっ、リコだ。おーい」
電車が止まり、駅で友達を見つけた優愛が立ち上がり、友達の元へと走っていく。
慌ただしく現れたと思えば、慌ただしく去っていく優愛を見つめるオタク君。
すると彼の携帯音が鳴った。
『オタク君。マジ感謝!』
先ほどの写真と共に、優愛からメッセージが送られてきたのだ。
写真を見ると、先ほどの優愛の柔らかい感触を思い出す。
嬉しそうに写真を見るオタク君。
彼が駅を一つ乗り過ごした事に気付くのは、この後すぐであった。