閑話「拙者物語 3」
まだ寒い4月の夜の街。
駅の高架下に立ち並ぶ居酒屋の付近はどこも愉快な笑い声で溢れている。
道行くサラリーマンも、若者たちも、肩を並べ楽しそうに居酒屋を探し歩いている。
そんな居酒屋の一角。
座敷の上に置かれたテーブルの上には、所狭しと料理や飲み物が並んでいる。
「それでは、新入生の歓迎を祝って、カンパーイ!!」
一人の男が立ち上がり、グラスを上げて乾杯の音頭を取ると、30人近くいる男女が「カンパイ」と続く。
楽しそうにグラスの音を立て乾杯をする男女の中に、チョバムは居た。ジントニックと一緒に。
あの後、ジントニックとキャンバスを歩き周り、なんとか目的のテニサーに入る事が出来たチョバム。
そして、今日はそのテニサーのメンバーと顔合わせや交流会を兼ねた、初の飲み会である。
オタク同士、少人数でこういった事をした事はあるが、明らかな陽キャたちと大人数で飲むのは、チョバムはこれが初めて。
なので、どう話せば良いか分からず、隣に座るジントニックに「凄い人数だね」などと当たり障りのない会話をするのがいっぱいいっぱいであった。
ジントニックも、同じような感想なのか、周りを眺めながらも、どう話しかければ良いかきっかけがつかめず、空気に気圧され、チョバムと会話してばかりである。
「あれ~。新入生君、全然交流してないじゃん」
チョバムとジントニックがチビチビと飲んでいるのを見て、ゲラゲラ笑いながら数人の男たちが絡み始める。
会話や慣れた様子を見る限り、彼らは学年が上の人間なのだろう。
まだ顔と名前も一致しない初対面、だというのに馴れ馴れしくチョバムとジントニックの間に座ると、グラス片手に肩を組み始める。
どう反応すれば良いか困り果て、愛想笑いを浮かべるチョバムに対し、ジントニックは愛想笑いながらも、なんとか会話を試みている。
軽い雑談で、後輩たちの気を紛らわせて上げる優しい先輩たち。というわけではない。
「それでさ、お前らは誰か狙ってる子いるのか?」
突然小声になり、飲み会に参加してる女性をチラ見しながら先輩たちが話し始める。
「一応言っておくけど、小森はやめとけよ。部長の女だから」
「とりあえずやりたいだけなら村上に声かけとけ。アイツ童貞好きで有名だから」
猥談である。
思わず「えっ……」という反応を見せるチョバムとジントニックに対し、先輩たちは笑いながら背中をバシバシと叩く。
このサークルに入った人間が、何を考えているかくらいは分かっている。
チョバムとジントニックは、興味ありませんという体を見せているが、先輩たちからは下心が見え見えである。
そもそも、本当にテニスをしたいのなら、ちゃんとしたテニサーはいくらでもあるのだから。
とはいえ、そう簡単に下心をさらけ出す勇気がないチョバム。
対して、ジントニックは少しづつだが先輩達と打ち解け始めている。
既にどの女の子が良いかの会話を始めるほどに。
「何々、さっきから私を指さして。もしかして陰口言ってた?」
明るい声で、笑いながらそう言って近づいてきた女性。
ジントニックが興味あると言った相手である。男同士が固まってチラチラ見ながらしゃべっているのだ。
女性も彼らの会話内容はおおよそ想像がついている。想像がついた上で近づいて来た。つまりはそういう事である。
「そ、そんな事ないっす」
「本当にぃ?」
ジントニックの隣に座っていた先輩が、ニヤニヤ笑いながら席を空けると、女性が当然のようにジントニックの隣に腰を下ろす。
肩が触れ合うほどの距離まで寄せて、ジントニックに言い寄る女性。
しどろもどろになりつつも、女性にメロメロのジントニック。もはやチョバムの存在を忘れかけている。
「チョバム君だったっけ。下心を隠すのは良いけど、奥手になり過ぎると誰にも相手されないから。勇気出して行けよ」
他の先輩達も、立ち上がる。
場に馴染めていない後輩たちの世話は終わった。次は自分たちの番だと言わんばかりに、参加者女性の隣へと向かっていく。
彼女を作るために入ったテニサー。
ここで勇気を出さなければ意味がない。
そう自分を奮い立たせるものの、チョバムは料理を摘まみ、チビチビとグラスを空ける。
何度も女の子と目が合い、今がチャンスと思い立ち上がろうとするも、目線が外れた拍子に立ち上がるのをやめてしまうヘタレである。
無情にも、時間は過ぎていくばかり。
数十分が経った頃には、あちこちでグループが出来上がり、もはや入り込む余地などない。
あきらめに似た感情で、チョバムはため息を吐く。
「お、おい。あの子、めちゃくちゃ酔ってないか?」
それでもチャンスを窺うように、周りの会話に聞き耳を立てていたチョバム。
会話内容にさして興味はないが、する事もないのでなんとなく、酔っている人物に目を向ける。
「キャハハハ!!!」
そこには、黒髪の女の子が、笑いながらグラスを次々と空けていた。
傍から見ただけでも酔っている少女だが、誰も少女を止めようとしない。
グラスにビールを自分で注いでは、一気飲みをしてまた注ぐ。
もはやペースがおかしい。
そんな事に気づくが、誰も声をかけようとしない。
「な、なぁ。あの子ならお持ち帰りできるんじゃないか?」
「完全に酔ってるしなぁ……」
彼らの会話を聞き、その意味が分からないチョバムではない。
別に助ける義理も、正義感があるわけでもない。
ただ、ただ、チョバムは凌辱やNTRといった性癖が嫌い。動くのはそんな理由だった。
「ちょっと、まーたいつもの飲み過ぎでござるか~?」
明るい声で、酔った女の子に近づき、チョバムがまるで仲の良い友人のように声をかける。
話しかけられた女の子が、ヘラヘラ笑いながら「誰だっけ?」と答える。
「チョバムでござるよ。ほら、いつものようにお腹をポンポン叩けばわかるでござろう」
「あはは、そうだっけ? 楽しい」
女の子が笑いながらベシベシと、容赦なくチョバムのお腹を叩く。
酔っているせいか、思った以上の打撃に、チョバムがちょっとだけ涙目になりそうである。
「歌音殿を呼ぶから、今日は帰るでござるよ」
陽気に笑いながら、チョバムがポケットからスマホを取り出し歌音に電話をかける。
コール音が鳴る間、頼む、出てくれと祈るような気持ちで。
『あれ、急に電話してきて、どうしたの?』
「あっ、歌音殿でござるか、今……」
一瞬チョバムが言葉を濁す。
(この子、名前何だったっけでござる)
「今、真衣殿が酔いつぶれちゃったから、拙者一人じゃ運べないから出来れば来て欲しいでござる」
(確か、さっき自己紹介で斉藤真衣と言ってた気がするでござる)
『えっ、真衣???』
「オッケーでござるか。助かるでござる。それじゃあ店は」
真衣って誰だよとなおも言い続ける歌音の言葉を遮るように、店の場所を一方的に伝えて電話を切るチョバム。
「歌音殿が迎えに来るでござるよ」
ガハハと笑いながら、明るい声で振り向いたチョバム。
そこには、横になりすぅすぅと寝息を立てる真衣の姿があった。
思い切り脱力しそうになるチョバムだが、酔ってあれこれ言いださないだけまだマシかと自分に言い聞かせる。
これで一件落着。とはいかない。
「良かったら、俺が介抱しとこうか?」
歌音たちが迎えに来るとは言ったは良いが、中々来る様子がない。
10分、20分、そして30分経ち、流石に怪しいと思った男たちがそう声をかける。
もしここで、じゃあお願いしようかなといえば、この女の子がどうなるかくらいチョバムに予想がつく。
「いや、もうそろそろツレが来るので」
必死に断り続けるが、時間が経つごとに声をかけてくる男たちが増える一方。
歌音が来たのはそれから10分後の事であった。
「あっ、歌音殿、実は……」
「真衣のやつ、まーた酔いつぶれてるの。うわっ酒くさ」
どう状況を説明するか事前にシミュレートしていたチョバムだが、歌音がそんなのは必要ないと言わんばかりに話を合わせていく。
まるで昔からの友人のように、酔いつぶれた真衣に声をかけ、チョバムと共に肩を貸し店の外へと向かっていく。
「あっ、お代ここに置いておきますね」
苦笑いで頭を下げたチョバムの目に映ったのは、羨ましそうにこちらを見つめる男たちの目だった。
俺が狙っていたのに。せっかくのチャンスを潰しやがって。
口では何も言っていないが、目がそう物語っているように思え、チョバムは店を出る際に、扉を閉める時も振り返らないように歩いて行った。
「彼氏が車出してくれたから、そこまでちょっと歩くけど良い?」
「迷惑をかけたでござる」
「詳しい話は後でで良いから、ほら、行くよ」
詳しい話と言われても、酔っててお持ち帰りは可哀そうだから、一芝居うちましたとしか答えられないチョバム。
そんなチョバムの話を聞いて、歌音と歌音の彼氏は笑う。良い事したじゃん、と。




