第106話「小田倉の手、大きいんだな」
弟にマリーンカートでの雪辱を果たすために、オタク君に特訓の申し出をしたリコ。
静かにリベンジに燃えるリコとは対照的に、オタク君と希真理は困ったような笑みを浮かべていた。
まさか、深刻な顔でゲームで復讐をしたいというのだからそうなるのは仕方がない。
これがプロゲーマーだったり、そのゲームにそこまでのめり込んでいるものならまだ分かる。
「リコさん、レーシングゲームが好きなんですね」
「ん? 別にそんな事ないぞ?」
だが、当のリコはそこまで好きというわけではない。
ただ、弟に勝ちたい。それだけである。
「じゃあなんで?」
当然の疑問をする希真理に、リコが理由を話す。
弟にゲームでマウントを取りたい。
それだけを言うとばかばかしく感じるだろう。
それが普通である。
しかし、リコにとってマウントを取るのは彼女のプライドを守るために必要な行為なのだ。
他の人よりも身長が低く、事あるごとに身長でなじられてきたリコ。
身長が低い。ただそれだけでバカにする人間というのは決して少なくない。
悪意がない人間でも、ただ身長が低いというだけで腫れ物扱いをしたりするのだ。
だからこそ、マウントを取る必要があるのだ。
身長が低くとも、それ以外の全てで自分の方が上だと証明するために。
努力の甲斐あって、学業では優秀な成績を収めていたリコ。
体育ではどうしても体格の差があるために結果は出しづらいものの、それを補うだけの成績を座学で収めている。
なので、学内に置いてリコは身長の事で陰口を言われても対して気にならなくなっていた。
そう、学内においては。
家に帰れば別である。
事あるごとに弟から身長をバカにされるのだ。
そんな弟に対し、今まではゲームの腕でマウントを取っていたリコ。
お前は態度と身長だけはデカいなと言ってマウントを取っていたのだが、つい先日、弟にゲームで勝てなくなったのだ。
とはいえ、弟は弟で大変だった。
事あるごとに成績を姉と比べられ「お姉ちゃんは優秀なのに」と言われ続けたのだ。
中学に上がり、テストの難易度が上がると親からの小言は更に増えた。
県内でも優秀な学校に入り、そこでも優秀な成績を収め親に期待される姉。
そんな姉に身長以外にマウントを取れるものがない故に、ゲームの腕前を上げたのだ。
似た者姉弟である。勿論リコはその事を知らない。
前から弟に身長でバカにされていたが、ゲームでも勝てなくなり悔しい。
そうオタク君と希真理に伝えるリコ。
「なるほど」
リコの話を、腕を組みながら聞いていたオタク君。
今まで定期テストのたびに、リコが優愛にマウントを取る理由も何となく察した。
正直、そんな事気にしなくてもと思わなくはないオタク君と希真理だが、それは口にしない。
リコが今までどんな思いをして来たか分からないのに、軽く口にして良い言葉ではないと分かっているから。
「それならまずはコースを試走して、ショートカットを予習しましょうか!」
「コースのショートカットなら攻略サイト見て全部覚えたぞ」
「いえ、攻略サイトの情報は必ずしも正しいとは限りませんし、アップデートで変わってたりしますから」
今の時代、調べれば攻略情報はいくらでも出てくる。
だが攻略サイトと銘打っておきながら、他人の情報を丸写ししているだけ、本当に調べたのか怪しい所は星の数ほどあるのだ。
なので鵜呑みにし過ぎるのは危険である。
「クソッ、また負けた!」
TVにはオタク君の操作する潜水艦が一位の旗を掲げる勝利画面を映し出していた。
その様子を悔しそうな顔で見るリコ。
オタク君、試走と言いながらガチである。
一つのコースを走るたびに、説明をするオタク君。
それを真面目に聞くリコ。
そして飽きてきた希真理。
「あれ? 希真理は?」
「さっきうちの親と一緒に出掛けましたよ」
コースを一通り周り、昼になろうかという時間であった。
リコなら兄に対し恋愛感情を持ってないから大丈夫だろうと慢心した希真理。
途中で飽きたのもあり、両親が出かけると聞き希真理もついて行ったのだ。邪魔にならないように。
希真理がいなくなった事にも気づかない程に、リコは集中していたのだ。
一つ屋根の下、若い男女の二人きり。
「そうか、どうしても分からなかったコースがあるんだけど」
だというのに、何も起きない。
普段なら二人きりになったら意識してオタク君をからかおうとするリコが、全く気にしないのだ。
弟に対する対抗心、恐るべきである。
「どこですか?」
もちろんオタク君も二人きりになっている事を気にしていない。
完全に集中モードに入っている。
「このショートカット、どう見ても通れないけど、どうやったら出来るんだ?」
「あぁそれにはコツがいるんですよ。コントローラーで左にちょんちょんと船体を傾けてから思い切り右に傾けると船体が壁を突き抜けて隙間を通り抜けるんですけど」
実際に目の前で実践してみせるオタク君。
左に傾いた船体が、右に戻ろうとする際に、小さい隙間をすり抜けていく。
「こうやって、こうか?」
オタク君と同様に試そうとするが、隙間に挟まり船体は小刻みに震えるだけである。
「こうやって、こうですよ」
「むむっ」
上手く通らず唸るリコ。
彼女は決してコントローラー捌きが下手なわけではない。
なんなら攻略情報を見たりして、それなりに動かせる程度には出来ている。
ただ、オタク君がやって見せてるのは普通ではやらないような動かし方である。
「こうやって、クソ、だめだ」
何度か試してみるリコだが、上手くいかず頭を掻きむしる。
そんなリコの後ろに片足立ちで座り、後ろからリコのコントローラーに手をかけるオタク君。
「ここで、こうです」
「あっ、出来た!」
上手くショートカットが出来たリコの顔に笑みが浮かぶ。
難しくて解けない問題が、急に解けた時のような快感に思わず興奮してしまう。
「今度こそ……あれ、出来ない。小田倉すまん。さっきみたいに手伝ってくれ」
「分かりました」
あぐらをかくオタク君。
その足の間にすっぽり収まりながらリコがコントローラーを握る。
コントローラーを握ったリコの手の上に自分の手を重ねるオタク君。
完全に集中していて、オタク君もリコも自分たちの状態に気付いていない。
もしこれが優愛や委員長相手だったなら、オタク君もこんな行動に出なかっただろう。
普段から二人きりになったら、リコがこうやってオタク君にくっ付いて来るので、オタク君も普段の癖で自然とこんな格好をしてしまったのだろう。
そうはならないと思うが、なっているので仕方がない。
オタク君のレクチャーの甲斐あって、コツを掴みショートカットを完璧にモノにしたリコ。
これなら弟に勝てるとリコが意気込むが、オタク君はやや懐疑的である。
「リコさんの弟さんて、今いくつでしたっけ?」
「中学に上がったばかりだけど、どうした?」
「中学か……」
中学生、しかも一年目となると時間はある。
しかも情報量や、周りのレベルが上がった事により、ただワチャワチャして遊ぶよりもガチになるのが多いのもこの年齢である。
調べる能力が上がり、時間もある中学生。
もしそこに「自分は最強だ」と驕る心がなければ相当の実力者になる。
近年はネット対戦により、天狗になる前から上級者に鼻っ柱をへし折られる事が多くなった。
なので、リコの弟は相当な手練れである可能性が高いとオタク君は考えたのだ。
「確実に勝てる為に、このゲームに詳しい奴に他に情報ないか聞いてみます」
「小田倉よりも詳しい奴いるのか?」
「はい。めちゃ美ですけど、あいつ人気のある対戦ゲームは大体やりこんでるんで、僕より詳しいと思いますよ」
スマホを取り出し、めちゃ美に連絡を取ろうとするオタク君。
そこで、ある違和感に気づいた。
なんだかスマホが操作しづらいのだ。
それもそのはず。オタク君の両足の間にリコがすっぽり収まっているからである。
今の自分の状況に気づき、顔を赤らめるオタク君。
やっと冷静になったようだ。
「そろそろお昼にしましょうか!」
立ち上がり、何かあるか見てきますねと言って逃げるように部屋を出ていくオタク君。
オタク君の慌て方に、改めて自分たちがどんな格好をしていたのか思い出すリコ。
耳まで真っ赤にして「お、おう」とオタク君に聞こえるかどうか分からない声で返事をしている。
リコの心臓がバクバクと脈打つ。
普段は自分からくっ付きに行くが、オタク君から積極的に来られたことはなかったので、完全に不意打ちを食らった形である。
手元のコントローラーを見るリコ。
「小田倉の手、大きいんだな」
オタク君の感触がまだ残る自分の手を見て、かぶりを振る。
TVの画面に反射した自分の顔はにやけたような、恥ずかしいようななんとも言えない表情をしていた。
(どうしよう。こんな顔、小田倉に見せられない!)
無理に表情を変えようとするが、変えようとすればするほど口はにやけ顔は赤くなる。
手で顔を隠し、ゴロゴロと転がりながら必死に戻れ戻れと念じるリコ。
どうしても見られたくないなら、ダッシュで玄関まで行き、用事が出来たと言って逃げ帰れば良いだけである。
なのにオタク君に見られたらと思いながらも、逃げようとしないのは見られたいと思う心からなのだろうか。
だが、リコがそんな表情をオタク君に見られる事はなかった。
リコの気が落ち着いてからオタク君が戻ってきたので。
悶えるリコと同じく、台所に立つオタク君も同じ表情と同じ考えをしていたから。
読んで頂きありがとうございます!
次回の更新はコミカライズと同じ1月11日に行う予定です。




