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僅差の農耕から都市へ  作者: ツナ川雨雪
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僅差の農耕から 1

          僅差の農耕から都市へ

 斜光が、目にしみる昼、鍬が土に打たれている。日は頭上に昇り、頭部に水気をさそい、そんなに少なくはない髪が体温調節の結果起こる水滴の発生と滴りのせいで、熱い熱いと呻き声を上げる。慣れっこになり無感覚のはずな身体がそうではないことを告げ、貧弱な人間本体に怒りを覚える。そもそも、土と戯れる仕事に、楽しみや快楽などは感じたことはない。時間感覚など曖昧なものしか有していないのにもかかわらず、ちっぽけな人間の男に、この世界を支配する時間という完全無欠の絶対主義者は、一日のうちで一番つらい労働を課した。生暖かい地面が、意識を朦朧とさせる。突如として視界がゆらりふわりと揺れた。視機能の異常は今に始まったことではない。ふわりふわりと陽炎のように、土中から噴出した熱気が透明の膜を浮かび上がらせ、時折、球状の暑さの塊が目の中に飛び込んでくる、そんな視感覚を持たせる。地面から伝わる微妙な振動が、男の顔を後ろに向けさせた。あのこと、その娘がこちらへと歩いてきていた。男の数メートル先で、立ち止まっている。魔の干渉を受けた立体受像機のように身体を、揺らめかせている。白い布で覆われた箱状の荷を、おかっぱの幼い娘は、随分と真新しい白い歯を見せながら、「ごはん」 とやや分かりにくい発音で言いながら指差している。鍬を大きく振り上げ、地面に深くに打ち込だ。外に出てからは、見せていない笑顔を彼女達の前では自然につくる。汗ばんだ軍手に隠された荒れた手のひらを想像しながら、想像どおりに荒れたガサガサの両手を合わせて、片時も思考と行動に反映しないことは無い二人の家族に、向かって、「ありがとう」と言った。「ちょうど腹ペコだよ」息を大きく吸い込み、下腹部の筋肉を緊張させ、シャツを少しだけめくり上げて、へこんだ腹を見せた。「すごい汗」と無理やりへこまされた腹部には、気がつかない様子で、あのこは言った。「これ食べたら、もとにもどるかな。ねえ、お母さん」おかっぱ頭の幼い娘は、草むらでカマキリを発見した時の、おどろきとおそれのような表情を、心配そうに浮かべながら、ゆっくりゆっくりと、一文字一文字を発音した。「そうね、昨日の夜読んだご本の、魔法使いの見習いの少女みたいに、ジュモンをとなえて、その白い包みにくるまれた箱の中身を、おいしくできたら、だいじょうぶよ」あのこは、我が幼子に、本の中にしか存在するはずの無い魔法を、現実の世界に反映させ、優しい心を耕してゆく。それとともに、就寝前のうつろな記憶を今呼び起こさせ、記憶回路を鍛えている。それは漫然とした記憶の中で感覚というクレーンをあやつり答えを出す広大な宇宙で人類を生まれさせ育ませる複雑な環境を創造する奇蹟のような、閃きというものを、おかっぱ頭の愛娘に、正しく使いこなせる訳もない今は使わないようにひそかに知らせている。正しい閃きは自然とともに歩む習慣によって年月を経て生まれてくる。即物的な閃きを使うことを今はさせない。今教えておかないと、きらびやかな街を、人生の謳歌の最終地、最盛期のエネルギーを放出させる唯一の場所と錯覚してしまう。そして、世界に対して安易な女性へと変貌してしまう様になるだろう。自分の利のためだけに使う閃きというのは醜悪で愚かだ。私はあのこの考え方に、意見はしない。「ミソドレルヤンニ?」自信なさそうに、母を見ながら小さな子はつぶやく。あのこは笑顔で「そうだね。もっと自信を持って。ミソドレルヤンニ。ミソドレルヤンニ。ミソドレルヤンニ・・・ってやるの。お母さんと、鈴緑のジュモンで絶対、美味しくなったから、お父さんにお弁当を渡してごらんなさい。沢山食べてくれるよ。きっと。そしたら、お腹が羊を食べたオオカミさんくらい大きくなるよ」「こわいよ」小さな娘は母の背中に隠れながらおびえるような目で、私を見ている。「こわくないさ。鈴緑には見習い魔法使いのジュモンがあるじゃないか。それで大きくなったお腹を小さくしてくれれば良いだけだよ」「ミソドレルヤンニ」今度は大きな声ではっきりと私の目をジーッと見ながら悪者を退治するような様子でジュモンを唱えた。「もう大丈夫だよ。羊を食べたオオカミみたいにはならないよ」おとぎ話の悪者を演じなさいと促すようなあのこの発言を少し恨みがましく思った。中央が銀色、周りに白色の暑い光の中、首に掛けたタオルでまぶたの上の生ぬるい汗を拭う。「おとうさん。あついの」「あの木の陰に入ればすぐに涼しくなるよ」うすい茶色とうすい黒の陰をつくる一番大きい木の下に目を遣る。私はすぐにそこへ行こうと、小さな子の手を軽く取りゆっくり歩き出そうとした。しかし、小さな子は立ち止まり私の顔をジーッと見つめる。「木の陰にでも何か居たかな」「ううん、いないよ」私はとまどいあの子の顔を見る。微笑みながらその子が言うことをよく聞いてみなさいと何も言わず知らせた。「おとうさん。あついところじゃ、すずしくなれないの」「うん。そうだよ」「ミソドレルヤンニ。おとうさん。しゃがんでください」ジュモンを唱えたかと思うと、夏の花火大会の写真がプリントされた団扇で大きくあおいでくれた。小さな身体で大きく大きくあおぐせいか、本当に涼しい風が顔に当たる。「いいよいいよ。もういいよ鈴緑。疲れちゃうよ」「いいの」何も言えなくなってしまった。私は、まだまだ、あおぎ足りないと言う娘を無理矢理抱き上げて、大きな木陰へと歩いた。 あのこは、小気味の良い歩調で、ゆっくり木陰へとやってくる。木陰に入っても、あおぎ続けようとする娘に、私は「もう良いんだよ。お父さんは涼しいから」と言う。それでも娘はあおぎ続けようとする。あのこは、娘の持っている団扇をしばらく眺め、私を見つめる。「鈴緑、そのうちわはお気に入りなのかな」「うん、このうちわ、すずみが持ってるうちわの中でいちばんきれいなの」「はちみつ熊さんのうちわもかわいいからすきだって言っていたよね」「うん、はちみつ熊さんは、土曜日の夜に森のお友達にはちみつのいっぱい入ったジュースをあげるんだよ。かぜをひいたおともだちには毎日とどけるんだよ。けちんぼでいじわるのおおかみおばさんにも、元気がないから毎日とどけるよ」「大きな切り株に、森の動物がたくさん集まってるのは楽しいよね」「でもこのうちわの方が好きなの、はちみつ熊さんとお友達はおこるかな」「すずみ、何でそのうちわが好きなのか、ちゃんと言わないと、すずみが、森におじゃました時にはちみつジュースもらえないかもよ」あのこが、突然いじわるなことを言う。「うーん、このうちわは見たことのない色が、いっぱい暗い空をひからせてるからすきなの」「それだけなのかしら」いじわるな母親だ。「じつは鬼婆かもしれない」という言葉がぽつりと出てしまった。まだまだ、甘いと言うような目で一瞬私を見る。「うちわの裏にかわいい服を着ている子がいるの。すずみも着てみたい」「ゆかた、でしょ。ゆかた」「うん。ゆかた。ゆかたを着て、きれいな、お空を見たいなあ」あのこと娘がジーッと私を見る。「うちわをよく見せて」「いいよ」「今週の土曜日か。久しぶりに花火、見に行っても良いな。よし連れて行ってあげるよ」「ほんとに良いの」「いいよ。でも浴衣を着られるかどうかは、かあさんに聞いてみないと駄目だよ」「おかあさん。すずみ、ゆかた着られる」「だいじょうぶよ。すずみの好きな、みず色だよ」「どこにあるの。早くみたい」「あとでね。お昼を食べて、昼寝してからだよ」 あのこがゆかたを、いつ拵えたのか私には解らなかった。母親になるということは、そんなものなのかもしれない。そういえば一緒になる前にも後にも、あのこは良妻賢母になるなんて一度も言ったこともないし、わたしと約束したこともない。私は、一緒になったら良い夫で子供が生まれてきたら良い父親になると何度も言ったが、実際そうなると全然、駄目なのとは正反対だ。「よかったな。すずみ」「うん。よかった」飛び回る娘を見ていると、こっちまでうれしくなってくる。ふと、娘がうちわであおぐ気がもうなくなっているのを思い出し、うちわの所在を確かめると、あのこが自分をあおぎながら、涼しい顔をしているのが目に入ってきた。「ありがとう」「助けられたのか。さらに悪い状況になったかは、わかんないわよ」あのこが渡してくれた冷たい麦茶をごくりごくりと飲む。私は「確かに」と答えながら、鈴緑の父親役回りをさせてくれたことに感謝した。早く幸せな昼ご飯の時間を過ごしたい。「鈴緑。両手の手のひらを合わせて、いただきますをしよう」と私は別にお腹は減ってはいないんだよと思わせるような口調で言った。だけどむすめは、じっとして何かを待っているようだ。しばらくすると、何処からともなく美しく軽快なメロディーが鳴り始めた。「おとうさん。これ聞いたら、いただきます、する。いい」「いいよ。ところで鈴緑はこの曲の題名をしっているかな」「たやがすひと」「そうたがやす人だよ。じゃあその続きをしっているかな」「しらない。ねえお母さんしっている」あのこは微笑みながら「『昼の間に息吹が種をみたしますように』っていうのよ」 「ひるのまにいびきがねたをみましますように」「『昼の間に息吹が種をみたしますように』」「おかあさん。すずみ。きちんといえない」娘は悔しそうにいった。「いいのよ、すずみ。おくちでキチンと言葉に出来なくても。おみみでやさしく大事に聞いてれば」 あのこは余裕でわが子に優しく水をやる。「そうだよ。とうさんなんか未だにうまくなんか話せないんだから。焦ることはないよ」と私は、堂々と自分の弱点を娘の前でひけらかしてみた。「とうさんは大人だから駄目だよ」「そうだね。鈴緑の言うとおり」あのこが、娘の言葉に同調して、私を追い詰める。「でも、美明。前に比べると、うまくしゃべれるようになったよね」「どうなんでしょう」おどけてあのこは言う。「おかあさん、おとうさん。たがやすひとのおんがくおわっちゃうよ。」「そうだね」私は何気なく言った。「おとうさんやさしく聴くんだよ」「そうだね。とうさんの畑に今年も命がやどりますように」と言って私は手を合わす。娘もそれを見て、手を合わせる事を失念していた自分に残念な顔をしながら、ちいさい両の手の平を合わせる。日陰に居る彼女に分け隔ての無い太陽の、すがすがしい光がふりそそぐ。娘の横顔を見つめながら、「鈴緑。太陽はいつでも鈴緑の心へ、光におともしながら、喜びや優しさの本当の意味を教えるために、ありつづけるんだよ」「よくわからないけど、すずみのことだけはだめ。おとうさんやおかあさんにもそうしてくれないと。おとうさんもおかあさんもがんばってるんだから」「そうだね。きっと、教えてくれてると思うけど、このわからずやが、なんて怒ってるかもね」「おかあさんにはそんなこと言わないよね。おかあさん」「おかあさんには太陽さんはきっとそんなことは言わないよ。鈴緑のことをもっとおもいやりなさいって言ってるね」「鈴緑おかあさん、だいすき」私は失敗した。「鈴緑。おかあさんはやさしいね」「うん。でも、お父さんも優しいの。すずみ知ってる」「ありがとう」私は洗いたての黄色のタオルで額の汗を拭い。娘の言葉を心の深いところで受け止めてうれしく思った。娘の額にも小さな汗の粒が浮かび上がっているのに気づいた。私は黄色のタオルを見ながら呆然とした。「鈴緑ちゃんのお父さん、これをどうぞ」と言って、あのこは、イギリスの近衛兵みたいな格好をしたクマが、真剣な顔で森の宝を守っている様子の描かれた小さめのタオルを渡してくれた。それを受け取った私は娘の額の汗を拭う。「なんかお父さん。病院ていうところで、はたらいてる女の子みたい」「そうだね鈴緑。病院には男の人も働いてるのよ。お父さんには畑仕事より、その方が似合ってるかもね」「むりだよ。お父さんには」「そうね。細いわりには無骨だものね」軽い笑みを浮かべながらあのこは言う。「すずみ、ごちそうさまだよ」他愛のある会話と他愛のない会話をしているうちに、娘のご飯が終わったようだ。「じゃあ、ごちそうさまだね」「ごちそうさま」三人の声が揃う。「すずみ。暑いけどよく昼寝するんだよ」「はい」私は畑に戻り。揺れているかのような風景に溜息をつきながら、鍬を持ち上げる。胃袋を満たしすぎた自分に後悔しながらのそのそと畑に戻っていく。そして午前中のように畑で作業する。私は代々つづくような農家ではない。にわか仕込みで、代々つづいている農家とは技術が、違いすぎるのはよくわかっている。だからガムシャラな所があって、あのこには、もうすこし、土というものを労りながらやりなさいと言われる。確かにその通りだった。私が作る野菜は、あのこが育てている花のような優しさがないような気がする。あのこの育てた花を見ると、幾度もあのこへの想いの証として私が送ってきた花々が思い出される。店で売られている時は、文字どおり華々しい。お金を渡すことで個人的な所有物となり、単純に美しさだけ求められそのようにあろうとする。彼ら花々は人の営みとして当然なその行為にいずれ枯れてゆく運命を必要以上に感じてはいなかったか。か弱いものをそのようにあれという無神経な私の強制行為に、感受性が強い、あのこが何も感じないわけはなかった。でも喜んで受け取ってくれた。幸せな顔も見せてくれた。私は喜ばせることのできる自分に満足した。昔からやさしいと言われ自分でもそう思ってきた。あのこが、子を宿したときに、やさしいやさしいはず自分は、恐れた、不安になった。何故なのか。解らなかった。これから育っていく小さな子供と自分だけになってしまうことを想像するとこわい。あきらめ、恥ることを忘れてしまうことは。子供を持ってしまった大人には許されない。嘘はまずい。今花壇で咲く花はやさしい。それさえも許すと言ってくれる美しさと優しさを放っている。気づいたのなら良い。私は努力しているあのこの花壇に近づくように。気のせいか、太陽がきつく差してくるような気がする。私は太陽にも叱られているのだと、一人、苦笑いしながら、土に鍬を入れてゆく、本当に今年も沢山お恵みがありますように、先ほどの二人の笑顔が「そうなるよ」と、言っている気がした。

「すずみ寝ても大丈夫。おかあさん」「大丈夫だよ。どうしたの」「うーん。何でもない」「わかってますとも、大丈夫。おかあさん。嘘はつかないよ」「本当に」「どうかしらね」「良いから寝なさい。お昼寝は大切なのよ」「ごはん食べてすぐは寝ない方が良いっておかあさん。まえ、お父さんに言ってたよ」「おとうさんは、カバさんになっちゃうかもね」「それは、こまる」「こまるよね。鈴緑はカバさんになりそうな気がするのかな」「なりません、おみずのむ」「寝ながらはだめ」「そんなことしません」「じゃあ、お水とってくるね」水を飲んで落ち着いてきた様子の娘に「さあ、もうねなさい」とせかす。「お母さん、あのね」「わかってるよ。おはなしでしょ」「うん」



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