承諾の理由
〈尾を食む蛇の会〉がその晩のゲストとして招いた者の名はシルフェといった。螺旋を描いてねじれる一対の山羊角、横長の瞳孔を持つ金色の瞳が印象的な魔人の女性である。年に一度の会合では通例として一人のゲストを招く決まりであった。
ゲストを除く出席者の数は五名。人族、エルフ、ドワーフ、ノーム、そして竜人。異なる種族、スケールの違う寿命を持つ者たちが他に邪魔の入らないレストランに集って旧交を温め、誰に気兼ねすることもなく食事と会話を楽しむのだ。
ホストは交代制で、その晩は人族の老人ルーノスケが務めていた。彼は齢九十を数えながらも杖を突き一人で歩き、背筋はぴんと伸びていた。顔には人好きのする笑みを浮かべている。若々しい見た目のシルフェと並ぶと祖父と孫のようだ。
ルーノスケは給仕からグラスを受け取ると、しゃがれた声を張り上げて乾杯の音頭を取った。他の面々もそれに倣ってグラスを掲げる。
「可笑しくも懐かしい我らが旅の記憶に。我らは決して約束を違えず、困難の中にある者に手を差し伸べることを誓いし者なり。いつか訪れる別れの日まで、我らの友情は絶えず生まれ変わり、尾を食む蛇の如く永久に在り続ける。乾杯」
「乾杯」
一同が乾杯を唱和して席に着くと、音もなく現れた若い給仕が銘々の前に皿を並べていく。エルフの深森で採れた野菜を使ったマリネであった。
ひげもじゃに顔を埋めたドワーフの付与術士ドワルドゥがフォークでマリネを突きながらこれ見よがしなため息を吐いて見せる。彼は重厚なバリトンで嘆いた。
「やれやれ、最初に草を食む習慣だけはいつまで経っても理解に苦しむわ」
「大方、その見苦しいひげを一緒くたに食んだトラウマでもあるのでしょう」
すかさず嫌みを投げかけたのはエルフの弓師ヨルンであった。睨み合う彼らであったが、他の面々は気に留める様子もない。年経りた樫のような短軀のドワーフと若々しき杉のような長躯のエルフ、好対照の二人はそのまま互いに罵り合いを始める。
我関せずとばかりに黙々とマリネを口に運ぶのは竜人の戦士ルードラであった。いち早く空になった彼の皿はいつの間にか下げられ、代わりにスープの皿が目の前に現れている。若き人族の給仕レージロの仕事はいつもそのようにさりげなかった。
前任が高齢で引退したのをきっかけにレージロが会の給仕を専属で務めるようになった当初、彼の一挙手一投足には厳しい目が向けられた。長命種の会員からすれば赤子にも等しい人族の若者が何するものぞ、というわけだがそのような態度はすっかり氷解してしまった。レージロの水際だった手際は誰もが認めている。
「レージロ、干魃の大地のように乾き切った哀れなノームにお代わりを!」
「かしこまりました、ソイルーさま」
ノームの神官ソイルーは人族の子供のような外見と高い声の持ち主だが、優に一千歳を超える。食は細いが、誰よりも大酒飲みであった。この日もすでに何杯かのお代わりを重ね、その度にお決まりのセリフを口にして周囲を閉口させるのだ。
一同はとあるきっかけでこうして同じ卓を囲むことになって以来、七十年に渡って年に一度の会合に集まっている。発案者は人族の老人ルーノスケであった。
*
その日、二十歳を迎えたばかりのルーノスケは言った。
「お前たち、オレと同じ食卓を囲めるのがあと何度か数えてみたことはあるか」
いきなり呼び出しを受けたと思えば、またルーノスケが大仰なことを言い出したとでも言いたげな一同の不審げな視線を物ともせず、つい半年前に魔王を倒して人知れず世界を救った人族の若者はもったいぶった調子で語ったものだ。
「オレたちは長く辛い旅の末に目的を遂げ、それぞれの故郷に戻った。それはいい。だが、だ。なぜお前たちは、そのまま何となく日常に戻ろうとしているんだ。あり得ない! オレの誕生日だぞ! 手紙ひとつなしとか冷たいにも程があるだろう!」
大袈裟に嘆くルーノスケ。仲間たちは一様に首をかしげた。
「いつでも会えばいいだろう。現にワシらはお主に呼ばれて来たではないか」
代表して疑念を述べたドワルドゥに、ルーノスケはじれったそうに言う。
「でもお前ら、オレが招集かけるまで皆で集まろうなんて思わなかっただろ。長命種ってやつはこれだからダメなんだ。平気で何十年も音信不通になるくせに、ちょっと出てくればまた会えると思ってやがる。その調子だとこれが今生の別れだぞ!」
両手を振り回して演説するルーノスケだが、仲間の反応は鈍い。
「吾輩は魔王を倒すため汝に助力した。再び力を借りたいと申すなら吝かではないが、どうもそうではないと見える。ならば汝はなにゆえ吾輩を呼んだのか」
父祖伝来の鎧と大剣で固めた竜人の戦士ルードラが淡々と言う。そこでルーノスケは気付いた。ルードラのみならず、エルフの弓手ヨルン、ドワーフの付与術士ドワルドゥ、ノームの神官ソイルーもそれぞれ戦装束に身を固めていることを。
どうも空気が食事会のそれとは違うことに、ルーノスケはようやく気付いた。
「……お前らまさか、戦いに呼ばれたと思ったのか?」
当然、という面持ちでうなずく一同。
ついに堪えきれなくなったルーノスケは吹き出した。
「あっはは! お前ら、バカだろう! ただ誕生日だから一緒に飯を食おうってだけで、なんでそんな大袈裟な話になるんだよ! あはは、あっはははは!」
ひとしきり笑い、涙を拭いた後、そういえば手紙に集まりの趣旨を書くのを忘れたかも知れん、と独り言をぼそりと口にした勇者は唐突に宣言した。
「よし、飯を食おう。来年も、再来年も、オレたちが生きてる限りずっとだ。それぞれの歩む道は分かたれたが、お前らがどんな道を歩んでいるのか聞かせてくれ。もちろん俺も話す。魔王を倒したのがオレたちだってことは公表しないと決めたんだ。知ってるやつ同士、それくらいは許されたっていいだろ?」
人族の勇者ルーノスケが言い出したら聞かないことを知っている一同は、彼の真意は分からないながらもそれに同意したのだった。
*
以来、数十年。会合が開かれる場所は何度か変わったものの、最終的にはルーノスケの息子が経営するレストランに落ち着いた。高齢になった彼が遠出できなくなったためでもある。会の名称やゲストを招くしきたり、会合で話されたことは決して会の外で話してはならないというルールも主にルーノスケの発案で定められた。
この日ばかりは貸し切りのレストランに余人の目はない。レージロの手で次々に供される料理を口に運びながら、各々が近況を語り、それに触発されて話題は縦横に広がっていく。デザートとコーヒーが運ばれてくる頃には皆が満足そうだった。
「チョコケーキのベリーソースがけでございます」
「ありがとう。コーヒーには砂糖を頼むわ」
「かしこまりました、シルフェさま」
有能な給仕であるレージロは各人のコーヒーの好みを完全に把握している。
ルーノスケは砂糖、ソイルーはさらに倍の砂糖、ルードラはそこにミルクを加えるのが常だった。ブラックで飲むのはヨルンとドワルドゥで、その一点だけが彼らに共通する趣味であると言えた。香りと味を楽しむ静かな時間が訪れる。
「さて、そろそろ時間だね」
待ちきれない、という様子で言い出したのはソイルーだ。彼は気取った様子で咳払いすると、酔って赤く染めた頬で威儀を正し、改まって問いかける。
「シルフェさん。貴方は自身の生にいかなる天命を見出しますか?」
それはいつからかゲストに投げかけられるようになった、お決まりの問いだった。招かれた客人は美味なる料理と酒を引き換えに、隠し立てすることなく問いに答える義務があるとされ、それを承知した者のみが会に招かれるのである。
山羊角の魔人シルフェは軽くうなずき、流れた銀髪をかきあげて答えた。
「失われゆくものをこの世に留め、正しき形を探し当てることによって」
「どのような方法でそれを成し遂げられますか?」
「わたしは歴史学者をしております。大学で教鞭を執る傍ら、フィールドワークを通して人々の声を記録しますの。特に魔王軍との戦いに関わった人々から聞き取りを行い、先の戦いの実相をその一端なりとも後世に伝えたいと考えておりますわ」
「失礼ですが、貴方はその……外見上の特徴によって、相手から真実の話が聞き取れなかったり、悪意から偽りを述べられたりはしないのでしょうか?」
言葉を濁しながらも、尋ねにくいことをヨルンが聞いた。
シルフェは気分を害した風もなく、横長の瞳孔をさらに細めて言う。
「この角のことを指しておいででしたら、是とも否とも答えられましょう。魔王軍は魔人が多くを占めておりましたし、魔王本人もまた魔人でした。魔人に対する忌避感は、特に長命種の皆さんの中には根強く残っていらっしゃいます。ですが、人族の大半は終戦後に生まれたお若い方ですし、元魔王軍の魔人から話を聞く際にはこの角が役立っております。何でも、かの魔王を思い出させるのだとか」
「うむ。確かに魔王はねじくれた山羊角の持ち主であった――と伝えられておるな」
言葉の途中で顔をしかめ、ドワルドゥが言う。向かいのヨルンも同じような顔をしたのを、酒瓶が並ぶ棚の側で控えるレージロはもちろん見て見ぬ振りをした。
「ああ、当然ですが、わたしが生き残った魔王だなんてオチではありませんわ。山羊角の魔人そのものは珍しくもありませんもの。彼らにとって、栄光と挫折の時代を思い出させるのにこの角が一役買うこともある、という程度の話です」
かつて魔王は恐怖の象徴だった。当時を知る者なら誰もが同意するだろう。山羊角の悪魔、死なずの蛇、または尾を食む蛇。数々の二つ名が恐怖と共に語られた。
「ここにお集まりの皆さんも――若いレージロを除けば――魔王軍との戦いを知る方ですわね。よろしければお話を……ああ、この場で聞いてしまっては、外で本にできなくなってしまいますわね。場を改めて、お話を伺いたいものですわ」
会合で話されたことは決して会の外で話してはならない。シルフェもまた、彼女を連れてきたホストであるルーノスケからルールを聞いていた。
「待ってよ。話をするのは構わないけど、今は僕たちが質問する番だ」
話題を引き戻したのはソイルーだ。彼は早口で問いを投げる。改まった調子の最初の問いとは違い、普段通りの砕けた口調に戻っている。
「君も魔人である以上、長命種だ。シルフェは魔王軍との戦いを経験したの?」
「当時を生きていたという意味では是であり、本当に経験したかという意味では否ですわ。終戦時、わたしはまだ子供で戦争の意味を分かっていませんでしたの」
「じゃあ、なぜ歴史学者を志したの?」
「分からなかったから、ですわ。周囲の大人は誰もがそれを知っているのに、誰一人として容易には語り得ない。自分の体験としては語れても、全体像は誰にも把握できない。魔王軍の戦いとはそういうものでした。それを知ることが、そう……わたしが自身に課した天命だと言えば、そうなのでしょうね」
「把握できると思う? いや、これは嫌みじゃなく、純粋な疑問なんだけど」
誰もが魔王軍との戦いと無関係ではいられなかった。戦いの全貌を知るということは、世界の全貌を知るに等しいこととも考えられた。
「それを聞かれると痛いですわね。単純な物量はもちろん、個人の解釈を通した時点で真実のいくらかは捨象され、歪められることから逃れられない。そうした歴史学の宿痾からは逃れられません。けれど、わたしがやらなければ後世の歴史学者にはより困難であるという現実をもって、わたしは自身の仕事を正当としますわ」
「なるほど、よく理解できたよ」
ソイルーはわざとらしく眉を上げて、ブランデーのグラスを口に運んだ。彼が納得していないのは明らかだったが、毎度のことなので誰も指摘しなかった。
「ところで皆さん、こんなうわさをご存じですか?」
質問の切れ目を見計らって、シルフェが尋ねた。
「元魔王軍の間でまことしやかに囁かれているのです。魔王の子は生きている、と。もし魔王の子が生きているのなら、歴史学者としてはとても興味深い。魔王本人が殺される中、どうやって生き延びたのか。なぜ今になってそんなうわさが持ち上がったのか。魔王のいた時代を知る皆さんがどう思うのかにも興味がありますわ」
シルフェの発言で場に緊張が走るのを見て取って、ルーノスケが発した。
「すまない、オレは外させてもらうよ。構わず話を続けてくれ」
会のメンバーは誰も表だって口にはしないが、近年はルーノスケの衰弱が著しい。今日も本人のたっての希望でホスト役を任せたが、乾杯の挨拶を除けば黙って料理を口に運ぶばかりで、かつての快活な様子はなりを潜めている。助けを求められれば絶対に断らない、お願いされればどれほど困難な仕事でもやり遂げてしまう勇者も寄る年波には勝てないのかと、彼を見ていると思い知らされてしまう。
こうして食事中にトイレに立つ姿も昔なら見られなかった。
「ルーノスケは今となっては数少ない、魔王の生きた時代を知る人族なのですよね。彼にもぜひ意見を伺いたいものですわ」
何となくしんみりした空気が流れるのにも構わず、シルフェが続ける。湿っぽいのを嫌うドワルドゥが不器用にも話題を変えようと試みた。
「ところで、シルフェとルーノスケはどこで知り合ったんだ?」
「詳しくは知りませんが、父とルーノスケは古い知り合いなのだとか。早くに死んでしまった両親に代わってわたしを学問の道へ進ませてくれたのがルーノスケですの。実は皆さんの話も色々と伺っていました。初めてお目にかかる気がしませんわ」
「初耳だな」
ぼそりと言ったのはルードラだった。他の面々も同意する。
「まあ、そうですの……」
シルフェの表情がわずかに曇ったが、すぐに笑みで塗り隠された。
「無理もありませんわね。今でこそ落ち着きましたが、当時は魔王軍の残党狩りも激しかったと聞きます。わたしを匿うのはルーノスケにとっても負担だったはず」
魔王を倒したところで、配下が消え去るわけではない。世界各地で勢力圏を築いた残党軍との戦いは十数年にも及び、少なくない犠牲を出した。最後まで抵抗を続けた将軍の討伐をもって魔王との戦いが終結したとする見解や、未だに細々と活動を続ける残党軍が存在することから今なお終戦していないのだとする者もいる。
「話を戻しましょうか。魔王の子が生きているとのうわさが流れているのでしたね。そもそもの話ですが、そのような人物は存在したのですか?」
ヨルンが疑問を呈すと、気を取り直したようにシルフェが答える。
「魔王が子供に宛てた手紙が残っていますの。鑑定の結果、本物であるとの確証も取れていますわ。かつて魔王の子が存在したことに疑いはありません」
「なるほど、根も葉もないデタラメというわけでもない、と。実は私もうわさは耳にしています。何でも魔王の遺児を名乗る男が辺境で野盗をしているのだとか」
「実在するとなると剣呑じゃのう。昨今は残党軍もなりを潜めておるが、そやつを神輿に担いで一旗揚げようと企む輩がおってもワシは驚かんぞ」
腕組みして考えこむヨルンとドワルドゥに代わり、ソイルーが言う。
「待ちなよ。魔王に子供がいた事実と、辺境の野盗が魔王の遺児を名乗ってるって話は別に考えるべきだろ。大方、売名が目的の騙りに違いないさ」
「簡単に決めつけてしまってよいものでしょうか。ソイルー、貴方の決めつけでフレイムアントの群れに三日三晩追い回されたのを私は忘れていませんよ」
「何十年前のことを持ち出すつもりだよ、ヨルン。あんた三千年も生きてて、よくそんな細かいことをねちねちと憶えてられるよな。感心するよ」
「貴方が千年も生きていながら落ち着きがなさ過ぎるのですよ、ソイルー」
ルードラは言い争う二人にちらりと視線を向け、仲裁するべきか迷っている様子のシルフェに声をかけた。
「放置すればよい。吾輩も尋ねてよいか」
「え、ええ……もちろんですよ、ルードラさん」
「吾輩らに敬称は不要だ。汝はうわさをどこで知ったのか」
抑揚の少ない平板な喋り方だった。ぱちぱちと瞬いてからシルフェは答える。
「ではルードラ。ええ、元魔王軍の方からです。そういううわさがある、実際に会った者もいるという話で、突っこんで聞いてみたんですが答えてくれなくて」
「なぜ汝に話したのかを考えてみてはどうか」
「ああ……鋭いですね、ルードラ。ええ、きっとその人はわたしの口から広めてもらいたかったのではないかと。もちろん歴史学者として確証のないことをぺらぺら吹聴したりはしません。何度か会ってそうと分かると、口をつぐんでしまいました」
「つまり……どういうことなのだ?」
顔をしかめるドワルドゥに、ヨルンがため息を吐く。
「元魔王軍の中に、魔王の子が生きているという情報を巷間に広めたい人物がいる、ということです。分かりきったことを説明させないでくださいますか」
「なんだと、この耳長めが!」
「ルードラは魔王の子が本当に生きてると思うの?」
ソイルーの問いかけに、ルードラは端的に返した。
「本物か偽物かは問題ではない」
「そうか……有力な魔人が魔王の子を名乗って蜂起を企ててるって線もあるね。魔王の死から七十年余り、戦争を生き延びた子供が力を付けるには十分な時間だ」
七十年前の戦争は、長命種にとってはついこの前の記憶だ。終戦時は子供だったシルフェや生まれてもいないレージロと、その他のメンバーでは受け止め方が違う。思いがけず深刻な話題となり、場に沈黙が落ちた。
レージロが注ごうとしたブランデーのお代わりを断って、シルフェが言う。
「あの……ルーノスケが席を外しているこの機会にお尋ねしたいのですけれど、皆さんこそ魔王を倒した伝説の勇者の一行……なのですよね? 彼は言葉を濁して聞かせてくれませんが、やっぱりどう考えてもそうとしか思えませんわ」
先刻までとは別種の緊張が走る。
「お主、どこでそれを聞いた」
「バカ、このひげもじゃはどうしてこう……」
反射的に問い返したドワルドゥに、ソイルーが舌打ちする。
語るに落ちて口を押さえるドワーフを観察し、シルフェが微笑む。
「騙し討ちのような真似をしてごめんなさい。でも、どうしても興味を抑えきれなくて……なぜ、皆さんは魔王を倒した勇者であることを隠しているのか。ルーノスケから、この会ではお互いに隠し事はなしと聞いていますわ。どうかしら、実際にどんな戦いだったのか皆さんの口から聞かせてくれないかしら。ひょっとしたら、魔王の子に繋がる手がかりもそこに隠れているかも知れないわ」
一同は顔を見合わせ、代表してヨルンが答える。
「貴方がそこまで知っているのなら、話して聞かせるのも吝かではありません。しかしいいのですか? くどいようですが、この場で話された内容を外で話してはならないのが決まりです。聞いてしまえば本にはできなくなるのですよ?」
「魔王との戦い、その真実を本にしたい、という気持ちがないわけではありません。けれど、当事者である皆さんを差し置いてわたしが公表するわけにはいきませんもの。皆さんも、秘密が守られると確約されてこそ話せることもあるでしょう」
「……確かにそうですね。あれは世界のためではなく、各々の目的が重なったからこその旅の仲間であり、戦いでした。しかし、私たちでは残念ながら貴方の願いを叶えてあげることはできないのですよ、シルフェ」
「……どうしてですの?」
「ワシらも魔王との戦いの結末は知らんからじゃよ」
「魔王との戦いは熾烈だった。僕たちはそれぞれ強敵を引き受け、どうにかルーノスケだけを魔王の元に送りこんだんだ。だから魔王の最期はあいつしか知らない」
「彼奴が話さぬ以上、吾輩も聞かぬ。倒したという言葉を信じるのみ」
一同の言葉を聞いて、シルフェが難しい顔をする。
「では、やはりルーノスケに聞くしか……でも答えてくれるとは……」
思い悩んで首を振った彼女の視界に、ふと壁際に立つ人物の表情が目に入った。
「……レージロ、なにか言いたそうな顔に見えるけれど」
シルフェの指摘に、常に落ち着いた振る舞いの給仕が明らかな動揺を示した。
「いえ、その、わたくしが申し上げるべきことは……」
「なにか気付いたのでしょう? 伊達に人から話を聞くことを生業にしているわけではありません。言いたいことを胸に秘めた人間の顔くらい見分けられますわ」
恐縮して縮こまる若い給仕に、他の面々も声をかける。
「専属の給仕であるレージロも会の一員であることに異論がある者はいないでしょう。構いません、貴方の考えを私たちに聞かせていただけますか」
「ワシも同意しよう。なに、間違ったところで責める者はおりゃせん」
決め手となったのは、トイレから戻ってきたルーノスケの一言だった。
「おもしろそうな話をしているな。レージロが話をしてくれるのか?」
「ルーノスケさま、貴方まで……仕方ありません、皆さまがどうしてもとおっしゃるのならば、わたくしとしましても否やはありません」
観念したように、しかし控えめな態度は崩さずにレージロは話しだす。
「わたくしが皆さまのお話を伺っておりますと、ルーノスケさまとシルフェさまがあえて黙っておいでなのは明白なように思うのです。そして、伏せられた情報があるために聡明なる皆さまの頭脳をしても真実を見落としていらっしゃるのかと」
「ルーノスケはいいけど、シルフェも隠しごとを? どういうことだい」
素っ頓狂な声を上げるソイルーに軽くうなずき、給仕は続ける。
「シルフェさまのお話を伺っておりまして、わたくしどうにも違和感がございました。ご本人がおっしゃったように、確証のないことは吹聴しないという歴史学者としての倫理をお持ちでいらっしゃるがゆえかと思いましたが、話の運びを追っているうちに、どうもそれだけではないことに気付いたのでございます」
「回りくどいぞ、レージロ」
唸るドワルドゥにレージロは申し訳なさそうな顔を見せる。
「この先を述べる前に、皆さまに思い出していただきたい決まりがございます。すなわち、参加者の間での流血沙汰は厳禁である、という一文でございます」
「ああ、当然だな。オレも含め、誰も異論はないだろう」
「そんなことより先を聞かせてくれ、レージロ!」
ルーノスケとソイルーに促され、若き給仕は話を戻す。
「シルフェさまは細心の注意を払って事実を述べ、巧妙に嘘を避けておいででした。わたくしの方で整理させていただきますと、次のように述べておられました。もし記憶違いがございましたら、ご指摘いただきますようお願いしたく」
そう前置きして、レージロはシルフェの口にした内容を要約していく。
〝わたしは生き残った魔王ではない〟
〝魔王の子がどうやって生き延びたのか、なぜ今になって生存のうわさが流れたのかに歴史学者として興味がある〟
〝両親は早くに死んでしまい、ルーノスケに匿われて育った〟
〝魔王が子供に宛てた手紙が残っている〟
「これらが真実だと仮定して、質問させていただきたいと存じます」
一呼吸置いて、若き人族の給仕は山羊角の魔人に問うた。
「シルフェさま。貴方こそ生き延びた魔王の子、ご本人でいらっしゃるのでは?」
「その問いにはオレが答えよう。その通り、シルフェこそ魔王の子だ」
ルーノスケだった。あっさりと肯定した老勇者に誰もが瞠目する。
シルフェもまた、隣に座るルーノスケの顔をじっと見つめている。
「ルーノスケ」
固い声でヨルンが問う。
「シルフェを連れてきたのは貴方です。どういうことか説明していただきますよ」
「僕は信じられないね。魔王の子が生きてたことも、それを僕らにさえ隠していたこともだ。今日まで知られずにいたのは奇跡みたいなもんだ。一歩でも間違えば戦争になってても不思議じゃない。まったく冗談じゃないぞ」
「ヨルンさま、ソイルーさま」
ぴんと張り詰めた空気に、困ったような声でレージロが言う。
「こうなることが予想できましたので、口にするのをためらったのでございます。ですが思い出してくださいませ。参加者の間での流血は厳禁でございます」
「そうだぞ、二人とも。オレを問い詰める前に、まずはレージロがなぜその考えに至ったかを聞こうじゃないか。とりあえず魔法の準備はやめろ」
険悪な雰囲気もどこ吹く風で、ルーノスケはぐるりと目を回してみせた。飄々とした老勇者にひと睨みをくれると、ヨルンとソイルーも不承不承で座り直した。
一同に視線で促されると、レージロが説明を再開する。
「わたくしの問いに、ルーノスケさまが代わってお答えになったことで確信できました。皆さま、シルフェさまはこうもおっしゃっていたのを憶えておいででしょうか。歴史学者として確証のないことを吹聴はしない、と。おそらくシルフェさまご自身は自分が魔王の子であるという確証がなかったがゆえに、自らの職業倫理に基づいてそのことを口にはされなかったのでございます」
シルフェが同意を示すようにうなずくのを確認してレージロは続ける。
「ここからは想像になるのですが、ルーノスケさまは魔王本人から子供の行く末を託されたのでしょう。まだ幼く、ご自身が魔王の子であるとの自覚がなかったシルフェさまをただの魔人の子として育て、公表の時期を計っていらしたものかと」
「だが、なぜだ。なぜ魔王の子を生かして……」
唸るように言ったドワルドゥが、本人が目の前にいるのに気付いて口をつぐむ。
「理由については、皆さまの方がよくご存じかと思います。ルーノスケさまは、ただ頼まれたから引き受けたのでございましょう。そうではございませんか?」
「そうだな」
ルーノスケが軽くうなずくと、一同の間に苦い理解が広がっていく。
「忘れていましたが、そういう人でしたね貴方は……」
ため息と共にヨルンが呟くと、老勇者は黙って人の悪い笑みを浮かべる。
「皆さまが決まって口にされる乾杯の音頭にある通りでございます。決して約束を違えず、困難の中にある者に手を差し伸べることを誓う。ルーノスケさまは死に瀕した魔王の頼みを聞き届け、今日まで約束を守り続けていらしたのでしょう」
「いや、僕はまだ納得いかないな。だったらなぜこの場に連れてきた? 揉めることになるのは分かりきっているだろうに」
ソイルーの言葉に、給仕はわずかに目を伏せた。
「遠慮することはない。仲間の気持ちも汲めない薄情なやつらに言ってやれ」
他人事のように茶化した調子で、ルーノスケが先を促す。
食事中にずっと黙っていたのが嘘のような快活さだった。
「ルーノスケさまがそうおっしゃるのであれば……皆さまご存じの通り、ルーノスケさまは人族でございます。今年で九十歳を迎えられ、その……」
「余命いくばくもないってやつだな。レージロ、気を遣わなくてもいい。オレはよく生きたよ。いつ死んだって惜しくはないし、なにも今すぐ死ぬわけじゃねえ」
珍しく言い淀むレージロに代わって、気負った様子もなく老勇者は言う。
「で、オレが死にかけてるとどうなる?」
控えめながら咎めるような視線を勇者に向けてからレージロは続ける。
「ルーノスケさまは人族で、シルフェさまは魔人。一般に、数百年の寿命の差がございます。責任感の強いルーノスケさまのことですから、頼まれたことを途中で投げ出すのはよしとされないことでしょう。かつての仲間にシルフェさまを託すと同時に、秘密にしてきた生い立ちをシルフェさまに伝える。この会にゲストとしてお連れになった目的は左様なところにあったかと推察いたしました」
「ま、そんなとこだ。お前さんが睨んだ通り、シルフェは正真正銘の魔王の子だよ。隠してて悪かったなあ……父親を殺したって話をどうやって伝えたもんか、どうにも上手い方法を思いつかなくてな。ずるずると引き延ばしてる内に今日まで来ちまった。死にかけの老いぼれでよければ、遠慮なく敵討ちしてもらって構わないぜ」
頭を下げるルーノスケの背に、シルフェはそっと手を添えた。
「ルーノスケ、わたしは怒っています」
「ああ」
山羊角の魔人、その横長の瞳孔を老勇者はまっすぐに見つめる。
「何を言われたって構わない。いや、ちょいと堪えはするが……」
ぽりぽりと頭をかくルーノスケの姿に、シルフェはくすりと笑った。
「貴方はいつになってもわたしを子供扱いするんですから……貴方が九十歳なら、わたしも八十歳になるんですのよ。物の道理は一通り弁えています。わたしの父が討ち果たされても仕方のない存在であったこと、父とわたしは別個の存在であるとして慈しみ、かわいがってくださったことは厳然たる事実です。貴方にとっては頼まれたからという動機であっても、わたしは決して忘れたりしません」
「だがなあ……オレは……」
「ルーノスケ。貴方は、わたしのもう一人の父です」
山羊角の魔人は迷うことなく言い切った。
*
「さて……」
しばしの時を置いて、ヨルンが切り出した。
「過去の因縁はともかく、問題はシルフェの処遇です。私としても貴方とルーノスケの間にある情を否定する気はありませんが、我らは長命種であるがゆえに、過去をそう簡単に捨て去れはしない。貴方自身も分かっているはずです」
「ええ、そうですわね」
老いたルーノスケにシルフェを止める力はない。本人の口から彼女が魔王の子であるという証言も取れた以上、本人にその気が無いとしてもシルフェが残党軍を糾合して争乱を起こす火種となる可能性がないとは誰にも保証できない。
思い悩む一同に、レージロが声をかけた。
「差し出がましいとは思いましたが、わたくしから提案がございます」
「なんだい、レージロ。見事に真実を言い当ててくれた君の言葉なら、耳を貸さない者はいないだろうよ。まったく、給仕だけじゃなく推理の才能もあるとはね」
ソイルーの言葉に恐縮したように頭を下げてからレージロが言う。
「シルフェさまに〈尾を食む蛇の会〉へご加入いただいてはいかがでしょうか」
「というのは?」
「皆さまのご懸念は、シルフェさまが魔王の子であるという事実がどのような影響をもたらすかが読めない、という点にあるかと存じます。であれば、シルフェさまに会の一員になっていただくのが一番よい方策かと愚考するのでございます」
「話が見えないな。シルフェが会員になるとどうなるんだ?」
「わたくしが申し上げるまでもございませんが〈尾を食む蛇の会〉にはいくつかのルールがございます。そのひとつが、会合で話された内容は決して口外してはならない、というものでございます。つまり、シルフェさまが魔王の子であることはこの場限りの秘密でございます。皆さま、ゆめゆめお忘れなきよう念押しいたします」
レージロの言葉に、おそらく最初からそれを織りこんでいたのであろうルーノスケ以外の者が目を瞠り、見事に全員をはめた老勇者に注目が集まる。
あえてこの場で真実を話すことによって、シルフェ本人を含めた全員が〝シルフェは魔王の子である〟という事実を会の外で口外できなくなったのだ。
「流石はレージロだ。忘れているようならオレから言うところだったが」
「恐れ入ります」
「だが……ううむ……魔人の子を招き入れるのは……」
唸りを発しながらヒゲを捻るドワルドゥに給仕が言い添える。
「さようでございましょうか、ドワルドゥさま。わたくし、シルフェさまほど〈尾を食む蛇の会〉に名を連ねるにふさわしいお方は中々いらっしゃらないかと存じます。詰まるところ〈尾を食む蛇〉とは不老不死を誇った魔王の象徴でございます」
その名はヨルンの提案によるものであった。人知れず魔王を倒した勇者の一行、その偉業を記念して魔王を尾を呑む蛇になぞらえ、例会の名としたのだ。
理屈にはなっていない。だがなぜだか納得してしまいそうな給仕の言葉に一同が唸っていると、黙して成り行きを見守ってきたルードラが重々しく宣言した。
「吾輩は賛同する」
端的すぎる言葉に、説明を求めるような視線が向けられているのに気付くと、思慮深い竜人の戦士は考えをまとめるようにしばし目を閉じた後に口を開いた。
「シルフェが如何なる野心を抱こうとも、会員なれば年に一度の会合には単身で姿を現すが道理。魔王の子シルフェよ。真実を知る我らの前に寸鉄も帯びずに現れる一事を以て、汝に二心なきことは証されようぞ」
もし姿を見せなければ、斬る。
寡黙な竜人の覚悟に、誰もが言葉を失った。
しばしの間を置いて、山羊角の魔人は慎重に口を開いた。
「……初対面のわたしを皆さんが信用できないのは当然です。信用を得るために必要であれば、わたしは謹んで〈尾を食む蛇の会〉の末席に身を置かせていただきます。いえ、是非ともそうさせていただきたいですわ」
シルフェの言葉に、それ以上の否を唱える者はいなかった。
「決まりでございますね」
空になっていたシルフェのグラスにブランデーを注いで、給仕は微笑んだ。
「当会にようこそおいでくださいました、シルフェさま」