第八話 ニセ聖女騒動
皇歴1600年のカンブリア宮殿には
突如召喚された異世界人かいた。その名も
阿ノ間口カリス。
カンブリアと戦争中だった敵国の王を
呪術の力で討伐し、
見事カンブリアを勝利に導く。
16代皇帝ハルキゲニアの予定では
ここで彼女は異世界に帰還するはずであった。
が、阿ノ間口カリスは帰らない。
帰るどころか、皇帝の妃となって
居座る気満々であった。
皇帝ハルキゲニアは内心困惑していた。
独身であるという事が
周辺諸国に対する最大の外交カードだったからだ。
今もナーロッパ大陸中の国々から
縁談が降るほど有るが、
のらりくらりと交わしている。
結婚など考えられない。
しかし自分の都合で召喚した、
しかも救国の英雄に対し
帰って欲しいと言えるはずもなく
国賓として遇する日々が続いていた。
そんな中、カンブリア城下町の
スラム地区【奇跡の裏路地】では
新たな聖女が登場していた。
「カンブリア…私の国」
波打つ長い黒髪を背中に垂らした、
見るからに気の強そうな女だった。
余談だが髪は黒く染めている。
裏路地の聖女、ラガニア。
カンブリアを私の国と公言して憚らない、
気合いの入ったメンタルの者である。
真面目にコツコツと働くことが嫌いな彼女は、
今日も奇跡の裏路地の噴水のある広場に
座り込んでセッセと妄想に励んでいた。
この広場には不思議と
自称皇帝や亡国の姫君、果ては追放された寵姫などが
集まってくるので話し相手には事欠かないが
ラガニアが求めているのは電波友達ではなかった。
…彼女のことを聖女と崇め、
称え、担ぎ上げてくれる熱狂的信者が
ほしかったのだ。
ラガニアは思う。
―いまこの瞬間にも宮殿では
聖女カリスとかいう馬の骨が、
絹の服を着てダイヤを身につけはしゃいでいる。
こんな事が許されて良いのか。
私は噴水でニセ皇帝相手に
くだをまいているしかないと言うのに!
許せない!
聖女カリスとかいう魔女を元居た魔界に叩き返し、
私こそが宮殿で蝶よ花よと大事にされてやる!
裏路地の聖女ラガニアは早速行動した。
カンブリア宮殿の貴賓室では
聖女カリスがお気に入りのモード商と
ドレスの打ち合わせに夢中だった。
異世界の画家、ミュシ◯風のドレスを
もう30着も注文している。
ドレス自体は体に沿ってストンと落ちる様な
シンプルな作りのものだが、
凝った意匠の装飾品が髪や腕、
デコルテを飾るので価格は相当なものだった。
請求書は皇帝宛に送られる。
「聖女カリス様に面会を希望される方がお見えです」
女官が音もなく近付いてきて囁いた。
急な話にカリスは驚く。
いまはベルタン嬢と大事な打ち合わせの
最中だというのに!
その迷惑者は誰かしら?カリスが名前を訪ねると、
「お耳を拝借します。
その方は裏路地のラガニアと申し、
我こそは聖女なり、ニセ者である聖女カリスは
即刻立ち去れと息巻いております」
これには流石のカリスもあ然とした。
不眠不休の丑の刻参りで
敵国の王を討伐したのはこの私だ。
それなのにラガニアとかいう無礼者が
生意気にも、私の功績を奪おうとしている!
「この話には更に続きがございます。」
女官が言いにくそうに話す。
「聖女ラガニアとやらが申すには、
宮殿に聖女は2人いらない。
勝った方が残り、負けた方は処刑されるべきだと…」
カリスは怒りのあまり顔を朱に染め歯を食い縛る。
何と言う大胆さ!
ニセ者の分際で、自分が処刑されるとは思わないのか?
あるいは本当に聖女なのか。
何か策でもあるのか…
とりあえずラガニアとやらの実物を見てみなくては!
―地獄耳で一部始終を聞いていた
ベルタン嬢も身を乗り出す。
「衣装には力がございます。
聖女カリス様にはその身に相応しい、
最高に聖女らしくまた権威を感じさせる装いで
そのニセ者と対面すべきかと存じますわ。」
「そうします。ベルタン嬢!
私を完璧な聖女に仕立ててください。
振る舞い方のアドバイスもお願いします」
モード商の助言に勇気付けられたカリスは
慌てて準備を始めた。
…一時間後。
控えの間で待たされていたラガニアは
ようやく応接間に通された。
明るく天井の高い応接間には、
まるで天蓋付ベッドの様な巨大な輿が置かれている。
輿は薄いレースのカーテンが
外界と遮断する様に下ろされており、
中に黒髪の女が座っているのがボンヤリと見える。
輿の中で女は扇を広げ、顔を隠している。
神秘的な雰囲気が辺りに漂っていた。
輿の左右には女官とモード商が仁王立ちしている。
まず女官が口を開いた。
「こちらの御方が我が国の至宝、
聖女カリス様でございます。ご挨拶を」
…勿体ぶっちゃってまあ!何が聖女よ。
カンブリアの聖女はわたし1人で十分よ!
「奇跡の裏路地から参りました、本物の聖女
ラガニアと申します。
私のニセ者が宮殿で大威張りしていると聞き、
やむを得ず参りました。
ニセ聖女カリスさんにおかれましては
速やかに元居た世界にお帰りいただきたく
存じます」
挨拶はこんなものだろう。
以前、貴族の家に小間使いとして
雇われていた事がある。
そこで耳にした貴族達は確か
こんな喋り方をしていた。
…ラガニアの言葉に室内の空気は凍りついた。
女官達が青ざめた顔を見合わせる中、
ベルタン嬢がゆっくりと口を開く。
「んまあ…
卑しくも救国の聖女様に対し、
なんたる口の聞き方!
カリス様どうかお気を悪くなさらず。
下町育ちの小娘ゆえ、躾が足りないのでしょう。
如何なさいますか?
とりあえず首でもハネときますか?」
―実は帝国屈指の武装スラム育ちのベルタン嬢。
まるで魚でもさばくかの様にサラッと言った。
彼女は努力で出世した苦労人なのである。
それを聞いたラガニアは激高した。
「ふざけるなタマネギ婆ァー!
アタイを誰だと思って…ふごっ」
ベルタンのボディブローが
目にも止まらぬ速さでラガニアのみぞおちに入る。
ラガニアは膝を付いて涙目で呻く。
「お、お前は下町の喧嘩番長ベルタン!
お仕着せなんて着やがって、
何処の誰だかわからンかったわ!」
更に、ベルタンの有無を言わせぬ往復ビンタが
炸裂する。
ラガニアはあまりの痛さに頬を押さえ、
鼻血を流して静かになった。
その襟首をムンズと掴み、
ベルタンが恥ずかしそうに微笑む。
「カリス様、御前でお見苦しいものを失礼しました。
この猿めは私が責任を持って躾致しますので。
それでは今日はこのへんで…」
そのままラガニアを引き摺って部屋から出ていく。
ラガニアはされるがまま、
大人しく引きずられていった。
…廊下からベルタンの怒声が響く。
「オラッ!立つんだよ!
オマエは今日からワッチの店で下働きだ。
がっつりコキ使ってヤッからな!」
ドゲシ、と何かを蹴る音。
廊下から響く喧騒は段々と遠ざかっていき、
やがて室内に静寂が戻った。
「…人は誰でも、心の中に野獣が潜んでいるものです」
物静かで普段は自発的にものなど言わぬ女官が
ポツリとつぶやいた。
ベルタン嬢の電光石火の攻撃は
確かに素晴らしかった。
そのあまりの速さと剛力ぶりには
戦闘訓練を受けた女官さえ感銘を受けるほどであった。
床に落ちた鼻血を見ながらカリスもつぶやく。
「私が…
あまりにも親しみやすくて質素で謙虚だから
あの様な女が現れたのでしょう。
気は進みませんが、
二度とこの様な事態が起こらない様に
これからはもっと聖女らしく、
高貴で侵しがたい雰囲気を放つよう心がけます。
愛され系であるというのも考えものですね!」
この事件を境に、
聖女カリスは移動の際
輿に乗って出掛ける様になった。
ドレスの色に合わせられるよう
色とりどりの輿を作らせ、
担ぎ手は選び抜いた貴族の子息達かつ
容姿端麗な美男ばかり。
さらには神秘性を高める為にと
細工を凝らした扇を持つ様になったので
皇帝の元には輿と担ぎ手の人件費、
扇代まで請求されるようになった。
この頃から聖女カリスにかかる費用が
一気にハネ上がったとされている。
なお、ベルタン嬢の店に
下働きとして雇われたラガニアは、
主の鉄拳で我にかえったのか
バカな妄想を口にすることもなくなり
真面目に働いている。
また、ベルタンの発案で
丑の刻参り用の出陣衣装「特効服」が生まれ、
男女問わずカンブリア帝国内・
特に裏通り地区の
武闘派オラオラ系住民に絶大な人気を得ている。
聖女カリスの御用達であった
シー・ベルタンは、かくして押しも押されもせぬ
国一番のモード商に成り上がったのであった。