第七話 ダイヤのブローチ事件
カンブリア帝国には、
先代皇帝より伝わる一粒の宝石があった。
その名も「宰相のダイヤ」である。
その輝きと大きさは並ぶものなく、
ナーロッパ大陸で最も美しい宝石とされている。
先代皇帝の代に
宝石商より持ち込まれたダイヤモンドであったが、
そのあまりの高額さに予算が下りず、
購入はいったん見送られた。
15代皇帝は当時5才だった。
側近達は幼い皇帝に対し、
孫をネコ可愛がりする祖父のような心境で接していた。
どうしてもあのダイヤが欲しい。
可愛い皇帝の七五三を綺羅に飾りたい!
そんな一心で節約に励み、どうにか費用を捻出した。
ダイヤモンドはブローチにされ、
宰相のダイヤと呼ばれる国宝となった。
―時は流れ、第16代皇帝の時代。
タマネギヘアのモード商と出会い、
着飾る事に目覚めた
異世界人・阿ノ間口カリスは
宰相のダイヤの輝きに心奪われた。
宝石に興味がある彼女に
女官達が語って聞かせたのは、
カンブリア帝国国宝のひとつである、宰相のダイヤ。
その大きさと美しさは世界一とも言われている。
話を聞くだけでは辛抱出来なくなった彼女は
皇帝に見学を願い出た。
聖女カリスはいわば皇帝が自ら召喚し、
国を救った英雄でもあるので
現在、国賓クラスの超VIP待遇を受けている。
そんな彼女の頼みが断られるはずもない。
実物のダイヤの輝きと美しさに
目が眩んだカリスが、皇帝に頼みこむと
1日だけ借りる事を許された。
早速レースのショールにつけて宮殿中を練り歩いた。
が…
フト気付くと、ダイヤが無くなっている…
カリスは青ざめた。
いつ落としたのか解らない。
もし誰かが拾ったとしても
100パーセント猫ババするだろう。
国宝級ダイヤなのだ。
不注意で無くしたと知れたら、
10000パーセント国外追放ものだ!
それだけは絶対に避けなくてはならぬ!
彼女はすかさず行動した。
「まあ、聖女カリス様ようこそ。
こちらにお掛けになってお待ち下さいませ」
皇弟オレノイデス公の居住区を訪ねると女官が言った。
「いえ、どうぞお構い無く。
先日の舞踏会のお礼を
殿下に差し上げたくて参りました。
どうぞ受け取って下さい」
カリスは綺麗に包まれた箱を
女官に押し付ける様に渡すと、
脇目もふらずに帰っていった。
「聖女カリス様から殿下に贈り物が届きました」
女官の呼び掛けに、ぼんやりとお茶を
飲んでいたオレノイデスはゆっくり顔をあげた。
まだ先日の舞踏会の二日酔いから覚めていないのだ。
「はて、カリス殿が私に何を…私は何も」
呟きながら贈り物を開封する。
「もし食べ物でございましたら、
しきたり通りまず私めが毒味いたします。
よろしゅうございますね」
忠実な毒味係が覚悟を決めて進み出る。
「むっ!?これはまさか!おお…何てことだ!」
箱を開け、中を見たオレノイデスは絶句した。
二日酔いが一瞬で消し飛ぶ。
その尋常ならざる様子を見た取り巻き達が
シズシズと歩み寄る。
「殿下、どうなさいましたか。ぐは!これは…」
それは国宝・宰相のダイヤの箱だった。
中身は空で、メッセージカードが一枚入っている。
【親愛なるオレノイデス殿。
先日は舞踏会へお招き頂き有難うございました。
陛下が素敵なブローチを1日限定で
貸して下さったので、
せめてものお礼に残り半日は殿下にお貸しします。
明日お返しくださいませ】
返すもなにも、中身は空っぽである。
オレノイデスは念のため箱を逆さに振ってみるが、
ブローチは出てこない。
…不気味な静寂が室内を包んだ。
事態を把握した女官も取り巻きも青ざめ、
一言も発しない。
いつも賑やかなパリピ軍団は沈黙の集団と化した。
…殿下は恐ろしい陰謀に巻き込まれたのだ。
「誰か、なにか良い知恵はないか」
オレノイデスは青ざめながら呼び掛ける。
誰からも返事は無かった。
他に相談する事は出来なかった。
宮殿には至るところに
ルーリシャニア宰相の密偵が放たれている。
宰相の耳に入ったら身の破滅だ。
祖父の代、第14代カンブリア皇帝の時代には
数多くの寵姫達が毎日のように事件を起こし、
ワイドショーは連日連夜のスクープで
いつも大盛り上がりだったと言われている。
数多の寵姫、臣下達が
悪手を打って追放されていった。
その時代の喧騒を羨ましく思いながら
オレノイデスは決意する。
自分は追放されてなるものか!
「この件については、一切を他言無用とする。
もし誰かにバレたら、全てをそなた達の責任とする。
よいな?」
瞬間、全員が死人のように青ざめた。
―いまこの時から、
自分達は単なる傍観者では無くなった。
恐ろしい陰謀に強制的に巻き込まれてしまったのだ!
…ただ単にオレノイデスの取り巻きであったがゆえに。
国宝を紛失した罪で家が取り潰しになる未来が浮かぶ。
静まり返った室内にオレノイデスの声が響く。
「ダイヤのブローチはここには無い。
私にできることはただひとつ。
ブローチを失くしておらず、
キチンと箱の中にあるものとして
この窮地を乗り切ることだ。」
言いながら室内の取り巻き集団を見回す。
「誰かなにか策はないか。
私をこの窮地から救ってくれる忠義者はいないのか!」
オレノイデスの必死の呼び掛けに、
室内は如何なる生体反応も
探知出来ぬ程の静寂に包まれた。
誰ひとり声を発しない。
宮中とは一寸先は闇である。
加えて王族というものは気まぐれな性質なので、
例え僅かばかりの寵を得ても
それがいつまで続くかも解らないのだ。
「殿下。私に策がございます」
取り巻きの1人が血の気の失せた顔で進み出る。
「おお…!有難い。そなたこそ忠義の者。
恩に着るぞ!さぁ話してくれ。
窮地の時ほど人の本音が露になると言うものだな」
喜色を露わにしたオレノイデスは
他の取り巻き達を
ギッと睨み付けながら言った。
「殿下。攻撃は最大の防御です。
宰相のダイヤは殿下の胸元にしっかりと
輝いております」
「な、何だと。そなた気でも触れたのか?」
取り巻きAは蒼白となった顔で震えながら話す。
「宰相のダイヤはカンブリア帝国の国宝です。
24時間警備のもと厳重に管理されており、
通常は皇帝陛下以外、見ることも触ることも
許可される事はありません」
オレノイデスは頷く。
この私でさえも、兄皇帝の許しが無くては
見学すら許されないのだ。
「現在の皇帝、ハルキゲニア陛下は
質素倹約がモットーであらせられます。
国民からも賢王と名高く…痛!」
「つい、ムッとしてしまったのだ。続けてくれ」
怒りで取り巻きAの足を踏んだオレノイデスが促す。
取り巻き軍団はたがいに顔を見合わせながら頷きあう。
恐ろしい…。
やはりここは空気となってやり過ごすべきだ。
「はい。質素倹約ハルキゲニア陛下は
宰相のダイヤを今まで1度も着用しておられません。
おそらく趣味ではないのでしょう。
先帝の団塊世代ならいざ知らず、
我々ゆとり世代の者達は誰ひとり
宰相のダイヤの実物を見た事がありません」
全員が一斉に頷く。
学生時代に教科書でチラッと絵を見たくらいだ。
「そこで我々が、宰相のダイヤというのは実は
【バカには見えないダイヤである】と噂を流します。
私達が全員でダイヤのブローチが見える
演技をしますので、
殿下はさもご自分がダイヤのブローチを
身に着けているかの様に振る舞って下さい。
皆、自分がバカだと思われたくないはず。
集団心理で必死に見えているフリをするでしょう。
皆してダイヤが見えると言うのですから、
そこにダイヤがあるのと同じことです」
降って湧いたこのアイデアに、
オレノイデスの顔が輝いた。
なんという面白い発想なのか。
さてはこの者、天才に違いない。
善は急げだ。すぐ始めよう!
つい先程まで絶滅したかの様に
静まり返っていたオレノイデスの陣は、
急に活気を取り戻しワイワイと騒ぎながら
御輿の準備をした。
「ゼニまくど!ゼニまくど!」
「帝国秘蔵!
バカには見えないブローチのお通りだー!」
「ウワ~!
オレノイデス殿下が胸に着けておられるブローチ、
なんと美しいのだろう!」
「アッ!あれは宰相のダイヤだ!
バカには見えないダイヤのブローチだーっ」
御輿に乗ったオレノイデスは
取り巻き達にかつがれながら宮殿内を練り歩いた。
取り巻き達が大声で棒読み台詞を喚き散らすので、
驚いた人々が何事かと集まってくる。
オレノイデスはそんな彼らに
気品溢れる仕草で手をふり、
あ然と見上げる観衆に微笑を向けた。
ブローチを着けている体で胸に手まで当てている。
…ザワ…ザワ…
「何だ今のは。″帝国秘蔵のバカ″のお通りだと…?」
「しっ!私には″バカにしか見えないブローチ″と
聞こえましたわ」
「静かに!不敬罪で捕まりますぞ。」
「いくら本当の事とはいえ、ね。」
御輿が通過した後で貴族達は
いましがた目にした光景について囁きあった。
その騒ぎは瞬く間に宮殿中に広がり、
ルーリシャニア宰相にも一瞬で伝わった。
報告を受けた宰相は
「殿下は、陰謀を好むクセに陰謀に向かぬな…」
呆れとも諦めともつかぬため息を漏らした。
その手にはブローチが握られている。
先程、聖女カリスの落とし物として
部下から届けられたのだ。
本物の宰相のダイヤはここにある。
…この件について後世に伝わる資料は少なく、
カンブリア史の謎のひとつとされている。
この日の皇帝の日記には
【オレノイデスの乱】と記されている。
内容はオレノイデスが突如乱心し、
意味不明な言動をしたが
宰相が何やら見せると急に大人しくなり
シオシオと自室に引っ込んでいった、
というものだ。
…元はと言えば聖女カリスが原因なのだが、
真相を知る者はオレノイデスとその配下たち。
この件に関し、彼らは生涯一言も語る事はなかった。