第八十七話 誠実で性善な正義
設定資料:種族その一 人間
人間という種族は他の種族と比べて肉体はかなり脆弱で、魔力にも適合しにくい。
実際ミシェル達がいた世界の人間は魔力に適合せず、魔力が自然界に満ちる天界や魔界(地獄)、果ての空や遠き大地、遥かな海(境海)から隔離されている。
この隔離を超えるためには生身では辿り着けず、死後ようやく踏み込むことができる。
しかし転移後の世界では人間は魔力に適合しており、一定の確率で権能を持って生まれることもある。
また、天使や悪魔、精霊や妖精などの霊的で果てしない寿命を持つ種は長い時をかけて強大な力を得るが、人間は短命の代わりに短い期間での成長率が非常に高く、才能や努力の量にもよるが、僅か十数、数十年でミシェル達と同等クラスの力を得ることもあるし、それを遥かに上回るだけの力を手に入れる者もいる。
「答えによっては───君達の旅はここで終わりだよ」
命とは何か?
命の天秤、フィロスティアさんの質問に答えた私達は、続けて正義の天秤、アウリルから質問を投げかけられた。
『正義とは何か?』
…どう答えろっていうんだ、こんな質問。
命はまだある程度定義があるし、自分なりの価値観を言えればそれで良いらしい。
だが、正義なんて曖昧なもの、アウリルにはどんな答えであろうと悪と断ずることができるだろう。
何故ならば、誰かにとっての正義とは誰かにとっての悪なのだから。
つまりはいくらでもイチャモンをつけられるのだ。
勿論正義の天秤なんていう特別な資質を持つというアウリルがそんなしょうもない人間だとは思わない。
だが、明確に答えることなど不可能だし、これについては自分でもこの価値観を明確に定めていない。
今それを決定付けるしかないのだ。
「私にとっての正義…」
「私の考える正義ねぇ…」
アウリルは私達の前に立ち、答えを静かに待っている。
私達を見る目に籠っているのは警戒、期待…そして哀れみ。
正解の無い問に、それでも私は答えを出した。
───それは、フィリアが答えるのと同時だった。
「この子に幸せになってもらうこと」
「こいつが自由になれること」
「!」
二人は同時に答えを出した。
その答えは似通ったものに聞こえて…しかしある意味対極にあるようなものだ。
声が揃ったことで天使と悪魔は互いに顔を見合わせ、はにかんで笑った。
…互いの真意も知らずに。
「そっかそっか…なら、それに反するものを君達は悪と断ずるのかな?」
「そうだね」
「私は時と場合によるわよ?」
「ふぅん、つまり?」
「フィリアの幸せを奪おうとする奴を許さない」
「ミシェルに自由になってもらう…その過程を善として、それを邪魔することを許さない」
「…フィリアのそれはどういうこと?」
「さあ?あんたには関係ないわよ」
「…頭が痛いね」
───こいつらは、いつか必ず災厄を引き起こす。
危ういのは天使の方だけかと思っていたが、こうしてみると悪魔の方も中々闇を抱えてる。
でも…それでも、私は正義を司る天秤だ。
ならば、人の善性を信じる必要がある。
勿論ただで見逃すことはしない。
「…リリエンタで出会った時から違和感があったんだよね」
「「?」」
「当然君達が世界の異物としての違和感がその一部を持っているとして、残りは正義の天秤としての勘に引っかかったんだよね───なんで、君達は自分のことを罰してるの?」
「!…」
「何を…」
天使は一瞬目を見開き、表情に陰を落として俯き、悪魔は怒りの宿る目で私を睨んだ。
その怒りは…私には向いていない。
「つくづく君達は奇妙だね。互いのことを想いあって、互いにそれを理解して…互いに互いを傷付けてる」
「君に、何が分かるのさ?」
「何も分からないし興味もない。君達の想いも業も罪も罰も。私はただ自分の使命に準じるだけ。だから君達みたいな複雑で判断基準が難しいのは単に私の仕事が増えるだけなんだよ」
「おいシャロン…そんな言い方…」
しばらく傍観していたティアが私を宥めようと肩を掴んだ。
ティアは優しいし思いやりの念は一癖も二癖もある天秤の中ではかなりマシな方で、そこが魅力ではあるが、これは私の仕事だ。
だから心苦しくはあるが、ティアの制止を無視して言葉を紡ぐ。
「君たちはさぁ、存在しているだけでこの世界の歪みが加速するんだ。ノワールは君達を利用したいって言ってたけど、私はテラスに賛成したんだ。ヒントを見つけてくれただけでも上々、創世神に呼び込まれたのは気の毒だけど、別に世界は君達を必要としていないんだ」
「…創世神がどうとか知らないけど、私達は世界なんて知ったこっちゃない」
「私には君達の思いなんて関係ない。なんなら今ここで君達を叩き切っても構わないんだよ?」
「…っ!」
剣の柄に手をかけると、天使は歯を食いしばって言葉をつまらせた。
…所詮、その程度なのか?
私が軽く脅しただけで文句の一つも言えなくなるようなら、いよいよ本当に利用価値があるとは思えない。
並の”黒い獣”ならともかく、厄害やウロはただ実力があるだけではどうにもならないのだ。
「はぁ…思想はそれなりに危険を孕んでいて、軽い威圧にも直ぐ怯む。駄目だね君達。残念だよ」
「…なんで貴方は私達の考えを悪と断ずることができるのよ?」
「…は?」
失望感を持って剣を抜こうとすると、暫く黙り込んでいた悪魔が口を開いた。
天使の方も驚いたように悪魔を見る。
ティアに至っては「えっ?」とだらしない声を出しながら目線が右往左往しているくらいだ。
「だから、なんで貴方はミシェルが『私に幸せになって欲しい』って思いと私の『ミシェル二自由になって欲しい』って思いを正義の天秤とやらに反するとして私達に剣を向けようとしたのよ?」
「そんなの、君達のその考え方が傲慢だからだよ。それを妨げようとする人を許さない?その相手に君達はどんな仕打ちをする気なのかな?」
「貴方は悪を許さないの?」
「勿論だよ。それが私の仕事だから」
「…ならハッキリ言わせてもらうわ。私達は罪もない相手を望んで害さない。だってそれが回り回って私達に因果応報として帰ってきたら、本末転倒じゃない。なら手を出すとしたら先にこっちが手を出された時だけど…何もしてないのに先に手を出してくる奴なんて、正義を持っていると思えるのかしら?」
「…分からない。人を傷付ける理由に必ずしも悪意があるとは限らない。もしかしたら善意で君達を引き離そうとすることだって、何があるか分からないこの世界ではあるかもしれない」
「かもしれないわね。でも、よく言うじゃない?喧嘩は先に手を出した方が悪いって」
こいつ…滅茶苦茶だ。
心根は優しいのだろうが、根は悪魔か。
「その原理がこの世界でも通用するなら、悪は手を出してきた方…貴方はその悪を許すの?」
「そんな屁理屈で悪だと断定することは私はしない!」
「じゃあ明確に悪いことするような考えはないんだから、貴方の屁理屈で私達を悪とすることも出来ないわよね?」
「っ!」
…なんだ、何が起きた?
なんで私が言いくるめられてる?
「…ふふっ、ははは!なんとも雑に繋げた、粗の多い殺し文句だな。だが、先に言質を取られたのはお前のようだぞ、シャロン」
「ちょっ、冷やかさないでよ…」
こんな古典的な誘導尋問に引っかかったことに大笑いするティアは私の背中をバシバシと叩いてくる。
一応人間なんだからティアの膂力で叩かれると普通に痛いのだが…
「ん?フィリア今どうゆう話?」
「…え?今の話聞いてなかったの?この状況で?嘘でしょ?」
「いや、一触即発かな〜って思っていざとなったら光皇使う準備してた」
「絶対やめておきなさいよ!?」
天使の方は普通に戦う気だったのか…
じゃあ、脅されて怯えてたんじゃなくて気を伺ってただけ?
あの状況の中、諦めるでもなくどんな精神力をしていたらそんな考えに至るのか。
こちらを放置して天使に説教していた悪魔は、事が済んだのかこちらに向き直って小さく笑った。
「さて、正義の天秤さんはまさか一度断言したことを撤回したりはしないわよね?勿論嘘を吐くことが悪だとは思わない。だからそれは貴方が容認するか否か、に寄るけど」
「…君達は互いに互いを傷付けて、そして互いにそれを罰してる。私はその過程に興味は無いけど、既に罰を受けているなら、私は正義の天秤としてそれをひとまずは君達の思想に対する罰と認めるよ。それに、断言をしたのは君達もだ。『罪もない相手を望んで害さない』それを違えるのなら、その時改めて罰は下される」
「なら尚更反することはないわよ。だって守るために失うなんて…馬鹿みたいじゃない」
「あ〜…怖かったぁ…」
「フィリア大丈夫?」
「ぶっちゃけ、向こうが素直に引いてくれて助かったわ。あんな屁理屈、あっちの立場ならどうとでも切り捨てることが出来るはずだし」
それぞれの質問に答え、二人を納得(?)させてみせた事でようやく私達が聞きたかった事を聞くことが出来た。
その後は特に問題もなく見送られ、天樹の空洞の入口までレクトとペチュニアに送られる。
「しっかし、危うい感じが俺達が控えてた所まで来てたが…やばかった感じか?」
「アウリル…本当に十数そこらの人間なのかってくらい得体の知れない雰囲気があったのよね」
「アウリル様ですか。フィロスティア様といる時はごく普通の女の子なんですよ?」
「最初の方はそれをありありと感じたよ。フィロスティアさんの方もだけど」
「あぁ、あの人無駄に生きた年数だけは凄まじいが、意外と精神年齢が成長してないんだよな」
確かに、質問の際は冷たく重厚な威圧感を纏っていたが、最初の方と後半は柔らかく結構はしゃいでる雰囲気だった。
アウリルも、フィロスティアさんを相手にしている時は思春期の明るい女の子みたいに…
「ねぇ、あの二人ってさ…もしかしてそういう?」
「ふっ」
「ハッ」
何故かペチュニアが鼻で笑った。
続いてレクトも心底うんざりしたように乾いた笑みを浮かべる。
「信じられるか?…お互い無意識なんだぜ?あれで」
「「あっ…」」
私達でも割と互いの事をある程度理解しているのに…
それ以降、この話題には触れないようにレクト達に口止めされ、私達は自分の足で月の出る夜の中帰路に着くのだった。
「はぁ、結構疲れたな…」
「お疲れ様〜。私も追い詰めたりしたから、ピリピリしちゃうのはまあ仕方なかったってことで、ね?」
天秤としての仕事…選定を終わらせ、天使と悪魔が来た目的の一つでもある質問に答えた後、水明竜の気にかからない高度まで飛んで二人は勝手に帰って行った。
それを見送ったティアは先程見せていた気丈な雰囲気が見る影も無くなり、自室の大きなベッドに仰向けになって倒れ込んだ。
「…お前は帰らないのか?あと普通に部屋に入ってくるのはなんなんだ?お前だって拠点くらい持ってるだろ」
「ティアの部屋が私にとっての拠点だよ」
「…え?住むのか?」
「…え?住んでいいの?」
「いや…この空間一人で使うにはちょっと広すぎて持て余してるし…」
「あれ?天樹の中の空洞ってティアが操れる訳じゃないんだっけ?」
「通路は作れるが、所々にある空洞は天然だぞ?」
「そうなんだ…え?本当に住んでいいの?」
「め、迷惑がかからないなら…構わない…けど…」
「そう、なんだ。い、いやぁ、私の拠点ちょっと大陸から遠いから、一々宿とか、取ってたんだよね!ティアが良いなら…あ、他の空洞とかある?」
「いや…ほとんど物置とか団員の寮になってるから…」
「じゃあ、ティアの部屋に泊まっても良いよね…仕方ないよね!」
「そ、そうだな…」
何かすっごい恥ずかしくなってきた。
初めてティアと会ったあの時から、ただ淡々と仕事をこなしてきた私の世界が色付いた。
この感情をなんて言うのかは分からないけど…どこか、あの天使と悪魔が互いに感じている感情に近い気がする。
ただ…私だって、あんなのを簡単に見過ごすようなことはしない。
それなのに何故押し通すことが出来なかったのか…
(共感…?私が?彼女達に?)
何故か湧き出た親近感。
どこか繋がりを感じて、それを絶ってしまったら、二度と私は変われない。
そんな気がしたのだ。
「…今はいいか」
「?」
私の呟きにベッドに座り直したティアが首を傾げ上目遣いで私の目を覗き込んだ。
…可愛い。
いつもの後ろで纏めた髪型も似合うし、こうして髪を下ろした時の髪のボリューム感も愛くるしい。
ほぼ普段着扱いの教団の制服も格好いいし、寝る時のこの薄地のネグリジェもティアの可愛さを引き立てている。
「…夜も遅いし、今日は寝よっか?」
「ああ…その、どうぞ…」
ベッドに潜り込んだティアは端に寄って布団を捲りあげ、私が入れる空間を作った。
そこにすっぽり入った私は、ベッド脇のランプに灯る火を吹き消した。
明かりが消えてティアの顔は見えにくくなったが、その温もりは確かに隣りに感じる。
「と言っても…」
「ん…」
布団の中でティアの手を握るが、冷たいとも暖かいとも言えないような微妙な体温。
精霊だからこんなものか。
だが、肌は確かに柔らかで、すべすべしてて、自然と撫でていたくなる。
「…おやすみ、また仕事の時付き合ってよ」
「あぁ、親友だものな。どこまでも…」
世界の守護者として…天秤として生まれその使命に準じてきたが…
こういう時くらいは、普通の女の子として…
使命に縛られる審判者にも、人の心は温もりは───




