第八十五話 命の天秤
レクトに呼ばれ教団のリーダーさんと会うために彼に着いて行った私達。
一旦レクトの娘、サタナエルと合流するために聖国に行ったりしたが、その後直ぐに皇国西側の海岸にやって来た私達の前に泊まるのは、木材をベースに所々金属で補強された中型の船で、甲板には舵輪が取り付けてある。
かなりコンパクトにした客船っぽいが、これが教団の本拠地である天樹の島と大陸を行き来するための船らしい。
「船…飛んで行った方が早くない?」
「それで勘違いされてアスティに攻撃されたんだろ?黙って正規ルートを使え」
「ハハッ、噂の天使と悪魔の嬢ちゃん達かい?まあ空を飛ぶほど快適ではないと思うが、船旅も楽しいもんだから乗ってきな」
「あ、どうも…今日はよろしくお願いします…」
「おう、気楽にな〜」
事前に待っていた乗組員であろう獅子系の獣人の男性が気さくに話しかけてくる。
他にも二人、多毛系の獣人の男性と…よく分からない種族の女性が船のメンテナンスをしているようで、獣人の方は舵輪を、女性の方は船の後方に着いている何かの装置をチェックしているようだった。
しかし、実の所船とか乗った経験がほとんどないので、結構不安だ。
まず足元が揺れるのが落ち着かない。
船内は二部屋に別れてていて、両方三人分位が住めそうな間取りだが、宿等の同じ間取りの部屋と比べると何故か少し窮屈に感じる。
そんな中フィリアは興味深そうに甲板や船内を探索していた。
「へぇ〜…動力とか操縦はどうなってるのかしら?」
「前進だけなら船の後ろに着いてる魔力で駆動するポンプを動かして推進力に出来るが、操舵は手動でやらないといけないんだよな。と、言うわけで俺は操縦してくる。途中ポンプの魔力供給のために何度か止まるが、今は…日が傾き始めたくらいか…なら日没には着くからお前達は適当に休んでてくれ」
「了解したわ。ありがとうね」
「お父さん、私も何か手伝おうか?」
「ん?じゃあ船の周りの確認を頼む」
「はーい!」
サタナエルが元気に手を挙げ、船の周りを飛び回った。
そしてレクトは点検をしていた獣人と代わり舵輪を掴むと、その足元に設置されたハンドルを回し、レバーを引き、ペダルを踏んで…という複雑な手順を行っていると、やがて大きな揺れとともに船が動き出した。
「揺れるから気を付けろよー」
「もう遅いんだけど…」
「いや、いいから離れなさい…」
お陰様でそんなベタな、とツッコミ入ること間違いなしにフィリアを壁ドン状態に追い込む結果に。
そんな事になったフィリアは赤面するかと思いきや、さっきの事の方が気恥しさの度合いが上なのか遠い目で向き合う私の顔の遥か先を眺めてる気がする。
「若いね〜、青春してるね〜。お兄さんほっこりしちゃうよ」
「お前別にお兄さんって歳じゃねーだろうが」
「あ?オメーよりは若々しいわ。十二も年下だぞ?」
「獣人の平均寿命知った上で言ってんのかコノヤロウ!十二歳年下だぁ?この歳になったらたかが十二年誤差だこのもふもふが!」
「はぁ?それを言うならお前も一丁前に鬣整えてんじゃねえよこの若作りジジィ!」
「…お二人は、船内後方の部屋を使ってください。その際サタナエルちゃんを同室させますが、構いませんでしょうか?」
「あ、はい」
後ろで繰り広げられている獣人二人の言い争うに一切視線を向けることなくスルーし、私達に説明を始める女性。
その淡々としたペースに今更壁ドン状態をやめた私達は姿勢を正して話を聞き入れる体勢を取った。
「ふふっ、自然体でいて構いませんよー?」
「あれが私達の自然体だと…?」
「…え、違うんですか?」
「さっきも見たわよこの反応!」
「嘘でしょ…?」という風に呟いた女性にレクトの時の既視感が拭えないが、厚意に甘えてフィリアの腕に抱きつくことに。
「いやおかしい…そうなるのは絶対おかしい…」
「…そう言えば、お姉さんって種族…人間じゃ、ないですよね?」
「はい、教団員は全員人外種ですからね」
この女性、獣人特有の動物系の耳や毛並みは見えないし、精霊や妖精のような霊的な雰囲気もない。
勿論翼がないので悪魔ではないだろう。
天使なら翼をしまえば普通に人間にも見えるが…
権能を使えば読み取れるが、腹芸をしてる訳でもないのに良くしてもらってる相手に勝手に情報を読み取るのは流石に抵抗がある。
とはいえ気になって仕方がない。
この女性の特徴は透き通るような白い肌と銀色のセミロングの髪、そして真っ赤な瞳…
「…あ!もしかして吸血鬼?」
「お、正解です。大変珍しい筈ですが…よく分かりましたね。ではこの際自己紹介も…改めて、私は吸血鬼、『ペチュニア』と申します」
そう名乗った吸血鬼の女性…ペチュニアさんは吸血鬼特有の鋭い牙を覗かせて妖艶に微笑んだ。
「そして、あちらで喧嘩しているのはもふもふの方がクドルさん、鬣の方がオズさんです」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。私は見ての通り天使のミシェルで…」
「悪魔のフィリアよ…ミシェル、あんた今日珍しく丁寧語使えてるわね?」
「いやね、セレナ相手なら私達も一応王様やってたから世間体を気にしなくてもいい所なら普通に喋れちゃうけど…教団のリーダーさんって多分地位とかじゃない意味で”格”が高い人だと思うんだよね。だから今のうちに下手に出れる準備しとこうかなって」
「そう…まあ何も考えてない訳じゃなくて安心したわ。対策はしょうもないけど」
「一言余計だよ」
流石に私でも気楽に対応する相手は選ぶ。
教団のリーダーはレクトから『精霊』だと聞いた
基本的に竜や霊的な種族は生きてきた時が長いほど強力になる。
ならば何万年も昔からあるらしい天樹、本体が既に凄まじい魔力を内包するあの樹から生まれた精霊ならば、その力は計り知れない。
今の所良くしてもらっているが、フロウみたいに利用される可能性も考えて慎重に対処する必要がある。
「大丈夫、私が守るから!」
「…あんたのそういう所、嫌いよ?」
「…?」
私の言葉からやけに間を置いて答えたフィリア。
こちらから顔を逸らして言った言葉には、何処か呆れや軽蔑が混じっている気がした。
…何故か、胸が痛くなった気がした。
なんだろう、嫌いと言われたからだろうか?
私は別にフィリアが幸せになれるなら彼女に嫌われても良いと思ってる。
だから嫌いと言われても気にしないし、そもそもフィリアは本心から私を拒絶することは無い。
今の言葉も、その根幹に拒絶の念は無かった。
なんで、フィリアが幸せになれさえすれば…
「なるほど、レクトさんから聞いた通りですね…」
「「?」」
そう言うペチュニアに私達は揃って首を傾げ、顔を見合わせた。
「…いや、もう面倒くさい…拗れてるのに仲良いのなんなんですか…」
「えぇ…」
「そうは言われても…」
困惑する私達を見て、ペチュニアが頭を抱え、操舵をしていたレクトがため息を吐き、船の周りを飛んでいたサタナエルが手を振っているのが視界に入ったのだった。
その後勧められ船内で二人で昼寝していると、目が覚めた時には遠目に天樹が見えていた。
水明竜を避けて遠回りしたらしく日は既に沈んでいたが、予定の時間からはあまりズレることなく、もう間もなく到着するから準備してくださいとペチュニアさんに言われ、着崩れていた服を整える。
その後クドルさんとオズさんに見送られ、レクトとペチュニア、ついでにサタナエルの案内で天樹内の空洞に踏み込んだ。
蟻の巣状の通路と空洞を幾つか経過すると、昇降の感覚的に天樹の下部あたりにあるのだろう一つの空洞に通され、その先に置かれたソファに座らせられる。
…目的の人物が来るまでの緊張感と気まずさを感じながら、刻々と時間が過ぎていく。
今回天樹に入った時から感じていたが、以前来た時とは比べ物にならないほど巨大な圧迫感がある。
重厚で、大自然的に包み込むような魔力。
実際ほとんど時間は経っていないのだろうが、引き伸ばされたように感じ緊張感が膨れ上がっていた時、私達が通ってきた道から気配が近付いてくる。
私達は席を立ち、やって来た相手を出迎える。
「やぁ、緊張するなとは言わない。ただリラックスしてくれないか?私も話しにくい。取り敢えず座りなさい」
「は、はい…」
「失礼…します…」
フィリアも思わず丁寧語になっている。
こんな重圧を感じるのは超大型特級蛇以来だ。
相手は美しい女性。
凛とした、それでいて愛嬌のある顔立ちで、先にかけてグラデーションのかかる長く伸ばされた綺麗な黄緑色の髪をポニーテールにしていて、教団の白いロングコートのような制服は不思議と印象に合っていた。
「お、来たんだね。赤の他人の手紙じゃなかったぽくて安心したよ」
と、そこにもう一人近づく者がいた。
軽い足取りで歩いてきたと思ったら、後ろから教団のリーダーと思われる女性に抱きつくフード付きの黒いマントを羽織る少女。
「…シャロン、わざわざ絡みに来るな。お前多分良い印象持たれてないだろ?」
「別にいいじゃん。私だってこの場に立ち会う権利はあるよ?」
女性は抱きつかれた事には特に文句を言わず、別のことに注意をしながらもその表情は柔らかい。
少女…アウリルは女性に抱き着きながら仲睦まじげに話すと、こちらを見て目を細める。
「今日は…私なりに最後の審判をしに来たんだ」
「…下手なことはするなよ?」
アウリルに釘を刺す女性は私達の前のソファに座り、アウリルもしれっと上機嫌にその隣に座り女性に寄り添う。
そして女性は腕を組んで自己紹介を始めた。
「さて…私が教団のリーダーこと”フィロスティア”…そして、『命の天秤』も担っている。今日は、わざわざ御足労感謝する、異邦の旅人達よ」
命の審判、その均衡を支えし調停者───
 




