第八十三話 普通の少女が夢見た”特別”
2022-2-5 十五話『光皇』一部加筆
そうだな…時は八年程前に遡る。
アタシは聖国の辺境で生まれたごく普通の娘だった。
聖国は皇国と神教国との戦争に対して中立の姿勢を取っていたため、当時は国庫も余裕があり、国は文明の発展に力を入れていた時期だ。
単純な文明水準なら皇国よりも聖国の方が上だな。
…話が逸れたが、アタシが生まれた街は首都からは遠からず近くもないという立地ではあったが、神教国方面にある街だったから国も念の為相応の戦力…皇国で言う黄道十二将星に匹敵する聖国の将軍を置いて神教国の警戒と監視を行っていたんだ。
その街に泊まっていた将は人望が厚く、街の者達にも人気があって、人柄の良い男だった。
あの時は、アタシも彼に憧れていたのだよ。
平凡な街娘の他愛ない幼稚な憧れさ。
それくらいの時期から彼と同じ舞台に立ちたいと思って魔法の勉強をしたり武道を学んだりもし始めたな。
周りには才能がないからやめておけと揶揄われたが。
だが…そんなある日、破滅は突然訪れた。
竜は知っているだろう?
最も強い生き物、悠久の寿命を持ち長く生きる程力の増す強大な存在。
皇国の山脈に住まう霊峰竜は穏やかな種のようだが、聖国の『彼岸』に縄張りを持つあの竜…次元の果てから現れたという”亡界竜”が、空間を引き裂きながら突如として街を襲った。
後で聞いた話だが、亡界竜は極端に縄張り意識が強く、立ち入ったものを追いかけてその者が住む地域ごと滅ぼすという生態を持っているらしい。
おそらく、街の住人の誰かが彼岸に立ち入ったのだろうな。
そんな執念深い亡界竜はたった一度の羽ばたきだけで辺りの建物郡を更地に変える風圧を生み出し、街を守る衛兵達も、先程言った将軍も、尽くを蹂躙して街を壊滅させた。
戦いとも言えぬ蹂躙に家族も友も巻き込まれ、元から存在しなかったかのように消えていく。
あれだけ強かった彼でも、亡界竜の前では塵芥に過ぎない。
避難しながら遠巻きに繰り広げられる蹂躙を見ていたアタシは、一体何を目指していたんだと、その高みに絶望したものだ。
フィリア嬢には言ったが、アタシは承認欲求が強い。
悪く言えば目立ちたがりとも取れるな。
だから、アタシもあんなふうにその内呆気なくこの世界から消えていくのかと思うと、怖かった。
あれだけ人に思われ憧れられる者ですら本当に特別な存在にとっては道端の埃程度にも思われていないのだから、アタシは誰の心にも残らないのではないか。
そんなの、認めたくはなかった。
これだけなら、アタシはきっとただ承認欲求を満たすためだけに他所様の迷惑も厭わないただのテロリストにでもなっていたかもしれないな。
だが、この話はここで終わらなかった。
奇跡的に巻き添えを喰らわなかった…アタシ含めた避難者達を追撃しようとした亡界竜の前に立ちはだかる者が現れた。
それは、せいぜいアタシより三つ程度歳上の緋色の剣を携えた幼い少女だった。
時系列からして、当時は彼女も十歳がいい所ではないだろうか?
彼女は、それなのに圧倒的な力を持っていた。
亡界竜が近衛兵達を鎧袖一触にした吐息をその剣で切り裂き、触れただけで建物が一切の抵抗もなく切断されていた鋭利な爪を受け止め、幾万年の時によって育てられてきたのであろう、あらゆる抵抗をも虚しく無に帰してきた分厚く強靭な竜鱗や甲殻を砕いて亡界竜の肉まで刃を通した。
背に乗り首を落とそうと駆け上がる少女を亡界竜は空中に飛び上がり回転を交えた飛翔で振り落とす。
少女は落下しながらも権能と思われる力で世界をズラした。
そのズレに巻き込まれた亡界竜の尾は綺麗に切断され、地に落ちる。
怒る亡界竜は地に降りた少女へ向かい、その巨大な顎を開き口内に光を収束させた。
そして放たれた咆哮が大地に直撃すると───爆発、遅れて轟音。
その破壊的なエネルギーの奔流により地表は融解、広範囲に渡って辺りの地盤も捲りあげ、元々アタシの住む場所だった街はその一撃によって文字通り丸ごと消滅したのだ。
残ったのは巨大なクレーター。
しかしその中央に少女は無傷で立ち尽くしていた。
しかも、エネルギーの爆発の直前街を取り囲むように世界が再びズレていた。
それが結界の役割を果たし、お陰で街の外まで避難していたアタシ達にまで爆発の被害が及ばなかったようだ。
少女は、亡界竜を相手にしながらも避難者達をも守っていたのだ。
とはいえ、とはいえだ。
如何にそれだけの力ある少女と言えど、相手は最強種族であり、その中でも特に強力な竜の一体。
少なくとも当時の少女ではまだ亡界竜には力及ばず、亡界竜が青白い炎を纏わせて再生した尾に弾き飛ばされ、羽ばたきによった生じる風圧に吹き飛ばされ、振りまかれる青白い炎に焼かれ、少しずつ押されていた。
それでも、亡界竜は少女を殺しきれないでいた。
そしてついに、傷も増えてきた亡界竜は少女に勝つことに意味は無いと悟ったのだろう、威嚇のように一吠えすると、爪で切り開いた次元の裂け目に去っていった。
少女は少なからずも生き残った者達を守り切って見せたのだ。
その戦いを見て思い知らされた。
あれが本当に特別な人間なのだと。
気付けば、他がその場から一目散に離れようとしている中最早逃げることも忘れ、なんならこちらから近寄ってその戦いを眺めていた。
戦いも終わり傷だらけでボロボロになった少女は何も言わず立ち去ろうとした。
が、服もボロボロでほとんど素肌が露出している状態だったため見ていられず、アタシは少女に駆け寄ってその時来ていた上着を渡したんだ。
受け取った少女は優しく微笑み、ただ一言。
『ありがと』
その時の少女の瞳は、アタシを見ていなかった。
少女がアタシ達を守ったのは、今思えばきっとそれが使命…正義の天秤にとっての”仕事”だったからだ。
ただ仕事をこなしただけ、アタシ達が無事なのを確認してはいたが、内実本当はどうでもよかったのかもしれない。
その時のアタシはまだ幼かったから、少女の思いを感じ取れていた訳ではない。
それでも、少なくともアタシを見てくれてなかったのは確かだ。
当然だ。
亡界竜とも渡り合えるような特別な人間が、ただの街娘に過ぎないアタシに、何もしていなかったアタシに、目をかけてくれる筈がない。
だから、その時フッと心に湧いたんだ。
誰の心にも残らず消えたくない、平凡なまま生涯を終えたくない、いつかあの少女にも見てもらえるようになりたいと。
何の脈絡もないことだとは分かっている。
くだらない、薄っぺらい、幼稚な思いだと言うのも分かってる。
それでも、この世界で最も特別な者にもっと見てもらいたい、話したい、そして心に刻んで欲しい。
そのために、アタシはその日の自分を大切にすることにした。
見ては貰えなかったが、言葉をかけられた自分、服が破れ痴態を晒しそうになっている少女に上着を渡せるような自分。
こういうのを紳士というのだと父は言っていた。
礼儀正しい子になれと母は言っていた。
ならばその時のアタシを形造るに至った両親にも感謝の意を込めて、礼儀正しい紳士になろう。
そして、あの少女の心に留まることを成して見せよう。
その日からアタシの崇敬の対象は人々に愛され思われてきた今は名も覚えていない『彼』から、得体の知れない、それでも何よりも特別な『少女』になった。
こうして、歪で身勝手な理想を掲げる”怪盗 フレンツェ”が生まれのだ。
「────余談だが、怪盗になる事を決めたのは少女について必死に調べて、彼女が正義の天秤であると知った後だな。ならば私の理念に反しない程度に悪事を働こうと、彼女に裁かれるような悪になろうと、この道を辿ったという訳だ」
「…壮絶そうで、その実元から君が狂っていたってだけの話だね」
「ちょっとミシェル…」
「はははっ!間違っていないさ。まともな思考の人間が思い至る考えではないとは百も承知さ。ただそれでもアタシの承認欲求は彼女に認めてもらうことを諦めさせてはくれなかった。だからいつか彼女に追われれば取り敢えず人生の目標は達成したと言えるな」
私の我ながら失礼な言も笑って肯定するフレンツェの顔は、年相応に無邪気で、しかしどこか狂気を孕んでいた。
家族や友達を無くしたという下りはともかく、それ以外はまるで共感できるようなものでもなく、その歪んだ価値基準をそんな幼い頃から抱えていたことに戦慄するばかりだ。
「まあ、誰の心にも残らず消えたくないって言うのは、今の私には少し理解は出来るけどね」
「ふむ、ミシェル嬢も目立ちたい質か?」
「強いて言えば、私が目立ちたいのはフィリアに対してだけだけどね」
「なんであんたは恥ずかしげもなくそんなこと言えんのよ…」
「…そうかそうか。なるほどなるほど…アタシがフィリア嬢をファンにするために心を奪おうと言うのは野暮ということか」
「ちょっと!?」
一人納得したように腕を組んで一頻り頷いたフレンツェは、微笑ましいものを見るような目で私達に交互に視線を向けると、そんなことを言い出した。
まあ、確かに実の所フレンツェの話の最中も私はフィリアが口説かれた話で頭が一杯だったから、こうして手を引いてくれるのなら私も敵意を仕舞おうと思った。
フィリアはどこか納得していないようだが。
「…そうだ、せっかく相談に乗ってくれると言ってくれたのだから問おうか。アタシは、どうすればもっと特別になれると思う?」
「…まあ答えるって言った手前、その質問を無下には出来ないわよねぇ…」
「フィリア頑張って〜」
「ええ、別にあんたには最初から期待してなかったわよ」
「酷い」
さらっと毒を吐かれ、ちょっと傷付いたのは事実だが、心からそう思って…いない筈、うん。
優しい子だもん…きっと…
それはさておき、フィリアはこめかみに手を当て、瞳を閉じて真剣に質問の答えを模索しているようだった。
余程フレンツェにとって為になる答えを聞かせたかったのだろう、いよいよ私が静寂に耐えられなくなり騒いでやろうかと思った時それを察したのか丁度その時思いついたのか、フィリアが私を手で制してゆっくりと瞳を開いた。
「…あなたは、正義の天秤以外に…もしかしたら試しに、っていうつもりだったのかもしれないけど…自分を特別に思ってくれる人を探していたみたいだったけど、あながちそれは悪くないと思うわよ?」
「…ほう?それは如何様な理由故かな?」
「それに答える前に、その話の先を言っておくと、あなたはその人のことを特別に思えるようになりなさい。そして、お互いを特別に思えるような関係になりなさい」
「…つまり?」
「私にとって、ミシェルみたいな人を作りなさい」
「…ふぇっ!?」
突然フィリアがそんなことを言い出したので変な声が漏れ、途端に顔が熱くなる。
フレンツェはフィリアの言葉にポカンたしながらも私の反応にこっちを見てきたが、フィリアは分かっていたのか無視して話を続けた。
「あなたは私達を見て微笑んでたわね?だったら、今度はあんたが周りから微笑まれるような関係の人を作れば良いのよ。特別に拘るあんたが、特別だと思える人と。そうしたら────あなたはきっと、正義の天秤の事なんてどうでも良くなるわよ?きっとその人にとって一番特別になろうとすることができる。その人の為に生きようとすることができる。承認欲求はその人からの思いだけで満たされるようになる」
フィリアは一心に語った。
フレンツェの歪んだ幼さを持った心を突き動かすために、既に形を決め固まってしまった心を解きほぐすために、優しい声色で。
だが私が何よりも気になったのは、その引き合いに私を出したこと。
フィリアにとって────私はそんな人になれたのだろうか?
その言葉の何がツボにハマったのか、フレンツェはくつくつと笑うと目元を拭きながら天を仰いだ。
 
「ふふっ…まさかそんな答えとは思わなかったよ。てっきりこの思いを否定されるのかと思った。諦めろと言われるのかと思った。でも…フィリア嬢は肯定してくれるのかい?その上で、アタシを救おうとしているのかい?」
「そうね。アンタが決めた生き方だもの。好きにすればいいわ。ただ…私はこんな生き方もあるって提案しただけよ。まあこんな子供がこんな歪んだ思いを抱いてる…って話になると後味が悪いのは確かだけど」
「ふん…そんなことを言うなら、今のアタシにとって正義の天秤が”その人”だということが分からない訳でもないだろうに」
「あら、いくら人間の生が短いと言っても、十年もあれば人間関係変わってくるものよ?あなたもこの先色んな人に出会ってれば、自分にとって特別な人くらい何度か見つかるわよ」
「それで一々特別な人が増えるのは節操無いとは思うがな」
「同感ね。だから私は一人しか選ばなかった。一応大切な友人…というか、なんというかは他にもいるけど、結局一人を選んで他を置いてきちゃったのよね」
「…奇特な悪魔だな、フィリア嬢。一般常識に当てはめれば悪魔が天使と仲良くすることはほとんどありえないと定義されているというのに。勿論、ミシェル嬢にも言えることだが」
フレンツェの言葉にフィリアはチラッと一瞬私を見ると、不敵に笑って私の肩に腕を回し、抱き寄せてきた。
「そりゃあ、私情で世界を変えた仲だからね」
「フィリア…」
「…羨ましいものだ、ミシェル嬢。君は、とうの昔に特別に思ってくれる人に出会えてたのだな」
「…うん、自慢の…親友だからね」
「さて、今日は押しかけて悪かったな」
「もうフィリアには手を出さないでよ?」
「ははっ、君達を見て尚同じことを宣うようではアタシは紳士、淑女にはなれない。アタシは自分の理念に反することはしない主義なんだ」
「そう、良かった。ありがと」
「ん…」
私が素直に感謝の言葉を送ると、フレンツェは僅かに呆けたように見えた。
次の瞬間には元通り堂々とした態度に戻っていたが…
「そうか、君も特別なのだな…」
「?」
「さて、フィリア嬢。わざわざ相談に乗ってもらった上で言うことを申し訳なく思うが、アタシは変わらないぞ。これからも盗みは続けるし、特別になる努力は怠らない。未だアタシの目標は正義の天秤だ。ただ…もし、これから生きていく時の中でアタシが特別だと思える人物に出会えたのなら…その時は、フィリア嬢の言葉を思い出そう」
「ふ〜ん…天使や悪魔みたいに無駄に長生きして、特別な出会いの日が来るまで虚無的な日常を過ごすよりは、程よく生きて程よい時期で死ねる人間は正直羨ましく思うわ。だからこそ、その生涯を大切にね?」
「ああ、人間というちっぽけな生き物でありながら竜にも匹敵するような特別な人間を目指しているのだ。この命、最大限有意義に使わせて貰うさ」
大切に…とは言わなかった。
それがフレンツェにとって有意義なことならば、その時きっと彼女は命を投げ打てるのだろう。
それ以上の言葉は続けることなく、フレンツェはどこかから取り出した大きな帽子を深く被り、長時間座っていたことで着いた背広の皺を伸ばして整え、背を向けて歩き出してからは振り返ることなく道の先に消えていった。
こんな少女にここまでの思いを抱かせ生まれさせるこの世界は、今の夕焼けもあってより昏く見える。
何故あんなものが産まれてくるのか、なんであんな思いが存在しているのか。
この世界に産まれてくる命は、どこか全て不完全だ。
大昔の者の手が加わっているとはいえ魂の根幹に消えぬ意志を縫い付けられた神教国の民、主の為にそれが望まぬとしても背中を無理矢理推し続ける寒がりな将軍、特別に偏執を向け理解されない信念を貫く淑女の怪盗。
他にも、私達が出会ってきた人々は皆何か不完全といえる何かを抱えているのかもしれない。
それは、本人が語らなければ、或いは必死に探究しようとする熱意ある者がいなければ誰も知ることはできないのだ。
「…寒い」
「ん?…今日、なんやかんや心配かけさせてたし…一緒に寝てあげても良いわよ?」
フィリアが微かに頬を赤らめながら手を握り言ってきた。
まさか私が物理的に冷えていると思って心配してくれるのだろうか。
「…ふふっ、そう言ってくれるなら、お言葉に甘えようかな」
そうだ、この世界がどれだけ昏くても、彼女を翳らせる訳にはいかないのだ。
だから、私は笑うことにした。
…懐かしい感覚だ。
「君が添い寝してくれるなら、私にとってはそこが一番暖かい場所だからね」
「ふっ…私は湯たんぽか何かかってのよ」
不完全な世界でも、思い描く笑顔は尊くて───
 




