第八十二話 特別に縋る狂気
「〜♪ティ〜ア♪」
「うわっ…なんだ、シャロンか…」
フード付きの黒いマントを羽織る少女は、上機嫌に鼻歌を歌いながら一人がけのソファに座っている女性に背後から近付くと、女性の首に腕を回して抱き着いた。
抱き着かれた女性は一瞬驚いた反応を見せるも、すぐ真横に近付けられた下手人の顔を見て柔らかく微笑む。
「いや、私バリバリ鼻歌歌ってたんだけど…こうするまで気付かないって…」
「まあ、最近神教国の連中がいよいよきな臭くなってきていそがしいんだ」
「そう…あんまり仕事し過ぎちゃダメだよ?たまには休暇を挟まないとね」
「シャロンが言うことか?」
それもそうだね、とクスクス笑う少女は、そういえばと懐から一つの箱を取り出し、女性に渡した。
「…これは?」
「この前知り合いの店で買ってきたんだ。特注でこっちの要望を上手いこと反映してくれるから、デザインは私が考えたのを上手い具合に落とし込んでくれたんだよ」
「ん…そう、か。一体何が…」
女性は放送を開き箱を開けて中身を取り出す。
出てきたのは、幾重に重なる葉のような飾りのついたペンダントだった。
「これを…私に?」
「うん、いつもお世話になってるから…その…お礼に、ね?」
「ん…」
恥じらうように言う少女に女性も言葉が詰まり、頬を朱に染める。
この焦れったい雰囲気を変えたいと思ったのか、女性はペンダントを器用に着けて未だ抱きついている少女に作業机の棚から取り出した手鏡越しに見せてみせた。
「ん、どう…だ?」
「あ…うん。すっごい似合ってる」
「ふっ…そうか。ありがとう、大切にするよ」
優しく笑う女性の顔を間近で見てしまった少女はさっと顔を背け、視線が泳ぐ。
自分で種を巻いておいて恥ずかしくなってしまったので話を逸らしたくなったのでそのネタを探していると、女性の作業机の上に置かれた封を開けられた封筒と折りたたまれている手紙が目に付いた。
「ん?何それ?」
「?…あぁ、夜雲会を通して私宛に手紙が来たんだが…」
「ん…え?何…どこの地方の文字?」
女性が広げた紙に少女は抱き着いたままの状態で前のめりになってそれを覗き込む。
そして女性の方はと言えば耳が触れ合うほど近付いた少女から顔を背けていた。
「私も読めないが…以前皇国の連中から件の異邦人とその内あって欲しいと頼まれてたからな。多分その異邦人からの手紙じゃないかと思うんだ」
「あー、あの子達ね。私が念押ししたからやっと会ってくれる気になったんだね」
「…おい、それ何時の話だ?」
「え?あー…何日か前にちょっとね…」
「…」
少女は抱き着いていた手を離し数歩下がる。
女性は頭を抱え、ため息を吐いた。
「はぁ…なんでわざわざ急かすんだ。さっきも言ったが、ただでさえ最近神教国関係で忙しいのに…一日時間を開けるのも楽じゃないんだからな?」
「そうだよねー…ティアって偉いんだもんねー…そりゃ責任くらい背負ってるよね〜…」
「…もういい、後でペチュニアと予定を擦り合わせてくる。シャロンは責任持って一応この手紙をネプラリネラの所に持ってけ。解読くらいしてくれる筈だ」
「はーい…」
「そんな道端に捨てられた子犬みたいな声を出すな…」
シュンと肩を落とす少女を見た女性は年相応にあどけない少女の様子に何故か罪悪感を覚えてしまい、頬を引き攣らせる。
絶対に私が悪いわけじゃない筈なのに、なのに何かしてあげたい欲求が溢れてくる。
「…その…もう夜も遅いし私は寝るつもりなのだが…泊まっていくか?」
「うん!さあ添い寝してあげるからベッドへゴー!」
「お前いい加減にしろよ!?」
「じゃあ…寝ないの?」
「───っ!!か、勝手にしろ!」
顔を赤くして勢いよく席を立った女性は乱暴な足取りで自室に戻って行った。
「えへへ…か〜わいいなぁ〜」
その背を見送る少女は、愛玩動物を愛でるように微笑むと、軽い足取りで追いかけていくのであった。
「…」
「…」
「…」
ソファに横に並んで腰掛ける私とミシェル。
そしてその向かいにテーブルを挟んで客人用に出した椅子に座るのは、私のネックレスを盗んで一騒動起こした少女。
隣に座るミシェルは私の腕に抱き着き、少女を凄まじい剣幕で睨んでいる。
多分『ゴゴゴゴゴ…』というオノマトペが出ているだろう。
「ふむ…紳士…失礼、淑女の嗜みとして紅茶類はよく飲むが、これは初めての風味だ。世渡りしてきた異邦人だという噂は聞いたが、真だったのかね?」
「ねぇ、なんでコイツにお茶出したの?」
「いや、つい…」
沈黙が続く耐えきれない空気の中、それを和ませようとしたのかこの中で明らかに浮いている小さな少女は問いを投げかけてきた。
しかしあからさまに不機嫌そうなミシェルはそれを無視し私の肩を掴み少女を指さしてこっちに問い詰めてくる。
そして私はなんでここに居るんだと少女を睨むも、お茶を啜りながら視線を済ました顔で流される。
疑問と無視のトライアングル。
これが俗に言う三角関係か。やかましいわ。
何が悲しくて脳内で一人ツッコミまで始めてしまうような状況になったのかと言えば、暫く時を遡る。
”怪盗 フレンツェ”から盗まれたネックレスを取り返したは良いものの、かなり派手に街中で魔法を使ったり屋根の上での追跡戦で建物内の住人から苦情が来たり屋根瓦等を荒らしたりでジェスト達お国の公務員からこっ酷く叱られた後、保護者扱いで連絡が行ったミシェルに引き取られ、帰ってきて説教の第二ラウンドが始まるという二重苦を味わった私。
かの邪智暴虐な小さな少女の皮を被った怪盗にいつか仕返しをしようと思った矢先、まさか日の沈まぬうちに再開するとは思わなんだ。
なんなら向こうから家の戸を叩いてきたのだが。
出迎えたミシェルは即座に怒髪天。
私が最後にフレンツェに言われたことを聞いていたからか『ユグル・ハ』まで持ち出そうとしたのをなんとか宥め、とりあえず全員席に着かせることに。
そして気付いたら紅茶を出していた。
で、今に至る。
なんで今日こんな一人語りが激しいのかと言えば二連続の説教でテンションが変なことになってるからだ。
誰に言ってるんだ私は。
「…フィリアは渡さないからね?」
そう言いながら抱き着いてくるミシェル。
いつもの事だがいつから私はミシェルのものになったのか。
「別に身体が欲しいわけでは無いが」
「心もあげない、君にはフィリアを直視するのもおこがましいくらいだよ。ほら、視線退けな。石になるよ」
「誰がメデューサよ」
「安心したまえ。君から奪うつもりはないさ。ただアタシは特別に見てもらいたいだけなんだ。これまで指名手配されてみたりと大衆の目につくようなことをしてアタシという特別を広めていたのだが」
「その倫理観がもうよく分からないよ」
「だが彼女は一心にアタシに言ってくれたんだ。『私はあなたを賞賛する』と。そしてアタシは思ったんだ────深い関心を持ってくれる、いわゆる”ファン”がいても良いんじゃないかと!」
「駄目だフィリア。コイツ実は馬鹿だわ」
得意げに語るフレンツェに冷たい視線を向けるミシェル。
ミシェルは言はまあ肯定するが、別にそこまでこき下ろすようなものでは無いと個人的には思ってる。
「言っても、自分に対して深い理解者がいるっていうのは大切なことよ?理解してくれる人がいるからその思いを原動力に出来ることもあるし、言い方はちょっとあれだけど自分を正当化できるし」
「分かるかねご令嬢!いや、フィリア嬢と言うのか!」
「そんな軽々しくフィリアの名前呼ばないでくれる?話しかけないでくれる?」
「そんなこと言って、ミシェル嬢はフィリア嬢の事をちゃんと理解して言を発しているのかね?」
なんか束縛してくる彼氏みたいなこと言ってるミシェルとその思い違いを正そうとする恋敵みたいなフレンツェ。
二人の視線の中間に火花が散っているのが見える。
これあれだ、アルカディア時代の王宮仕えになんかやたらと現世から娯楽を持ち込んでくるエンファという天使の子がいたのだが、あの子が広めて一時期流行した現世の作家が描いたラブコメで見たことのある絵面だ。
「…私がフィリアの事を理解出来ていないとでも?そんなことを会って数時間如きの君が言うかな?」
「これでも心理学に心得があるのでね。それが天使や悪魔にも通じたとなると、またアタシは特別に一歩近付いてしまうな!」
「通じてないしそんなことで特別になれないから!」
「…勿論、知っているさ。アタシは、本当の特別というものを知っている」
「「…?」」
突如、冷めたように神妙な面持ちでそう言うフレンツェに、私達は顔を見合わせて困惑した。
ミシェルも不機嫌な気分が少し落ち着いているように見える。
「フィリア嬢は、ただの人間のアタシがこの若さでここまで力を付けたことを褒めてくれたが…アイツと比べれば、アタシなんか比べるのもおこがましい…足元にも及ばないゴミに過ぎない。いや、アイツと比べれば人間なんか黄道十二将星だろうが聖騎士だろうが皆同じだ」
「…丁度、私もとんでもない力を持ってる人間には心当たりがあるんだよね」
「ほう、奇遇だな。ならアタシの心理学でその人物を当てて見せよう」
「…互いに心当たりのある人言うだけなら心理学関係なくない?」
「ははっ、そうだな………『正義の天秤』だろう?」
その名前を出したフレンツェの表情は、ここまで自信に満ちたような表情だったのが嘘のように翳り、現実を見たような諦めの念が混じる瞳をしていた。
「アタシは、最終的にはアイツに認めてもらいたい。正義の天秤は悪を裁く勧善懲悪の権化だ。ならば、アタシが悪事を犯し続けていればその内向こうから会いに来るんじゃないか────
──────そしてその時に殺してくれるんじゃないか、とな」
「…君、何がしたいの?」
「ふん、言った筈だ。アタシは特別になりたいんだ。人々にとって、ファンにとって、そしてその終着点として、この世界で最も特別な者にとって。世界一特別な者に特別だと思って貰えたのなら、それはもう世界一特別と言っても過言ではないのではないか?だからアタシは力をつけて、アイツの記憶に残りたい。できるだけ翻弄して見せて、アイツの心にアタシを刻みたいんだ」
「…私、前も聞いたわよね?何があなたをそこまで突き動かすのよ?」
ミシェルの質問に打って変わって高らかに語るフレンツェ。
そこにはもはや狂気すら滲み、何がこの若き少女をここまで変えたのか、それを知るための私の言葉。
「溜め込んでるものがあるのなら言ってみなさい。これも前に言ったけど、人生経験なら私達は豊富なのよ?できる限り相談に乗ってあげるから」
「…え?私も聞く流れになってる?」
「あんたは黙ってなさい」
「どっちなのさ」
「…ふふっ、まさかこの期に及んで学び舎で教師と学徒がするようなやり取りをすることになるとは。人生何があるか分からないものだな」
「若いうちに出来るだけ経験はした方がいいわよ?ただでさえ人間は長生きできないんだから」
そう言うと、フレンツェはテーブルに両肘を着き、顔の前で組んだ手に顎を乗せた。
「では少し聞いてもらおうか。ちょっとした昔話、しかしご令嬢達からすればほんの少し前に過ぎないかもしれないが─────」
少女は語る…特別に囚われたいつかの話───




