第八十一話 彼女はとんでもないものを盗んでいきました
「ん〜…やっぱりフィリアが居ないと暇だなぁ〜…にしてもそれだけでこんな気力無くなるなんて…私こんなに情けなかったっけ〜…?」
今日はフィリアが一人でお出かけしに行くらしく、留守番となった私はただ暇を持て余していた。
仕方なく色々本に目を通したりしているが、ページをめくる手がまるで進まず、ソファの背にもたれかかって本を顔に乗せたまま目を閉じる。
(…帰ってくるまでお昼寝するか………ん?フィリアの魔力…帰って…来たわけじゃないか…何かあったのかな…)
しかし体は既に脱力し、完全に寝る準備を終えている。
危害が及び、それを回避するために魔力を使ったのなら虫の知らせ的な勘で察せられるが、そういう訳ではなさそうなので多分落し物か何かをしてそれを見つけようとしているのだろう。
だとしたらもう暫くは帰ってこないかなと思い、ぼんやりとした思考の中そのまま意識を手放した。
オルターヴの街の屋根上を飛び跳ねながら逃走する少女…フレンツェに肉薄して追撃を繰り返すも、尽く捌かれ逃げる足を止められない。
初手で街の外周ではなく内側に逃げたので追いかけやすいと思うかもしれないが、むしろ街中ではフレンツェの機敏な動きをゴリ押しで捉えられるような大規模な魔法は使えないので、出来れば街の外に逃げて欲しかったのだが…
「このっ…待ちなさい!」
「おっと…まるで手品のような魔法だな。私達の追跡劇を彩る演出かね?」
「巫山戯た奴ね…!」
指を鳴らしてフレンツェの進行方向に小さな爆発を起こすも、一瞬ひるませる程度の効果はあれその逃げ足を失速させることも叶わない。
翼で飛べる以上、建物の屋根を跳び回っている彼女よりは機動力は上の筈なのに、接近して斬りかかっても届きはしない。
(ミシェルと一緒なら、あんな奴…!)
暫くの間長いこと荒事はミシェルとこなしてきた為か、単独でこういった手練を相手するのがかなり久しぶりなのも響いているかもしれない。
それも魔法の仕様に制限がある環境でだ。
少なくとも今の私では止められる相手ではない。
それでも…
「返しなさい!許さないわよ!」
「ふっ、諦めの悪いご令嬢だ。それに、淑女がそんなに声を張り上げるものじゃあないよ?」
「どうでもいいわよ!私の思い入れのある物を盗るって事がどういうことか、思い知らせてやるわ!」
持っていた剣を魔力に還し、代わりに一尺程の指揮棒のような杖を錬成し、空中に円を描くようにそれでなぞると、その軌跡に紫色の光が尾を引き同色の光の輪が現れる。
輪の中にさらに紋様が現れ内側を満たすと魔法陣と成し、中心の紋様に光が集まった。
「『魔女の庭』」
鍵言を唱えれば、魔法陣から茨のような蔦が無数に伸びてフレンツェを追跡する。
彼女がどれだけ逃げても蔦は正確に誘導され、彼女の得物であるあのステッキでは触れれば抜け出すことは出来ないだろう。
「ほう、棘のある植物か。花でも咲かせていればより舞台を豪華にするには向いていただろうが、まあ仕方あるまい」
「逃がさないわよ!」
魔法として伸びる蔦の速度は圧倒的で、蔦そのものをどうにかしなければ凌げるような性質の魔法ではないのだが、フレンツェは蜘蛛の巣のように宙に張り巡らされた蔦の隙間をアクロバティックに掻い潜る。
だが蔦の包囲網に入った時点でこれ以上の回避は不可能、籠目にフレンツェの周囲を覆った蔦を収縮させ、絡めとる───
「健闘悪いがご令嬢…名乗った筈だ。アタシは怪盗だと。即ち…あらゆる状況から逃げる備えくらいはしているとも」
しかし、フレンツェがマントを翻したと思えばどこからともなく取り出した四本の小瓶をそれぞれ指で挟み、周囲に放り投げた。
蓋が緩められていたのか、小瓶の蓋は勝手に開き中の液体を零し───直後に燃焼した。
それはその小瓶に入っているであろう量からは想像できないほど大きな火炎を起こし、フレンツェを取り囲む蔦をまとめて焼き払ったのだ。
「ちっ…まだ!───」
「おいお前達何をしている!…って、お前は…」
「!」
また別の魔法を使おうとした時、眼下から声がかかる。
視線を向けると声の主は見知った男…以前異形との戦いで協力したこの街の駐屯兵の隊長さん、ジェストだ。
よく見ると下の通りでは野次馬が集まっていたり、兵士達がそれを避難させたりと割と騒ぎになっている。
まあよく考えなくてもそりゃそうなるだろうが。
「こんな街中でそんな魔法を使うんじゃない!いくら恩があれど、勝手な真似は…」
「丁度良いわ!アイツ捕まえるの手伝いなさいよ!」
「はぁ!?何を勝手に…」
「先回りでもさせて囲みなさい!アイツかなりの手練だから注意しなさいよ!」
「ちょっ、何を勝手に…待て!どう考えてもお前も捕縛対象だろう!?くっそ…おい、取り敢えずあの悪魔と娘を追え!娘の方は捕縛しろ!悪魔の方もきっちり事情聴取だ!」
「「「はっ!」」」
自分も割と暴れてる自覚はあるし今回の件が終わったら捕まるかもしれないが、その時はその時、ミシェルに引取りに来てもらうとして、今はフレンツェを追うことに集中する。
先程ジェストと話していた間にかなり距離を離されたが、ただ追いつくだけなら難しくはない。
翼をはためかせ急加速し、フレンツェの前方に回り込むと空中を杖で突く。
すると、そこに波紋のような振動が広がり、空中に飛び上がっていたフレンツェが真上から圧力をかけられたように地に叩き落とされた。
「むぅっ…と、先程の魔法と系統がまるで違うな。君も引き出しが多いタチかね?…いや、悪魔なら当然か」
「お生憎様、アンタとは年季の差が違うのよ!」
「ほう、つまりご令嬢はご老女と呼んだ方がいいのかね?」
「誰がご老女よ!悪魔としてはピチピチの若者よこれでも!」
「それは失礼、ご令嬢!」
杖を魔力に還し、再び剣を錬成してフレンツェに斬り掛かる。
叩き落としたのは道の真ん中とはいえ、人が少ない通りだったおかげで遠慮なく剣を振り回せる。
が、それでも道は狭くあまり大振りの攻撃は出来ない上に白兵戦では向こうが遥かに上手。
私一人では追い詰められない。
「そろそろ、諦めてもいいのではないか?」
「嫌よ!よくもまあ人の大切な物を盗って淑女を名乗れるわね!」
「怪盗とはそういうものだ!それに言っただろう?アタシは特別になりたいのだと。このネックレスが特別なのもそうだが…知っているぞ、ご令嬢。君は…君達はきっと特別な存在だ!そんな者達を出し抜いたのなら…アタシはより特別になれる!」
「何がアンタをそこまでさせるのよ!」
「特別に『憧れた』からだ!それ以上の言葉がいるのかね!?」
「…そうね、とっても分かりやすいし納得したわ!」
剣とステッキがぶつかり合う幾多の金属音が鳴り響く最中、交された言葉はめちゃくちゃに思えて、私からすればそうでもない。
憧れ、渇望…それは欲ある生き物をどこまでも突き動かすあらゆる原動力になりうる。
あのネックレスを盗んだことは許さないが、フレンツェの意志は理解出来る。
「じゃあぶっ倒されてお縄につきなさい!」
「ははっ、丁重に断らせて貰うさ!」
また建物の屋根に上がろうとしたところに指を鳴らし跳躍方向への小さな爆発で妨害、小規模と言えど衝撃波に煽られたフレンツェはバク宙を織り交ぜながら着地しつつ後方に下がり距離を取ってくる。
「なるほど…中々器用だな。さっきから無詠唱で鍵言も無しに行っている辺り感服するよ」
「こっちの台詞よ。この世界はアンタみたいに十数、数十年そこらしか生きていないのに私達並みの力がある人間が多くて羨ましいわよ!」
「ふむ、ありがたい言葉だ。君のその羨望が、アタシに対して向けてくれる嫉妬が、アタシのこれまでを肯定してくれる。アタシの行いが報われたのだと、アタシは特別に思われているのだと、実感できる!」
「ハッ、別にそんなのアンタだけじゃないけどね?丁度この国の黄道十二将星とかそんなのばっかよ?」
「ならば今度は彼らを標的にするまでさ。アタシも当然特別になるための道が簡単なものだとは思っていないさ」
「誰もアンタが特別を軽んじてるなんて思ってないわよ!フレンツェ!アンタとここまでやり合って分かったわ。アンタの努力は本物よ。どれくらいの時期から特別を目指したのかは知らないけど、少なくともアンタの強さは一朝一夕で手に入るものじゃない。才能に任せたようにも見えない。だから…その若さでそこまで心も体も強くなったアンタを、私は賞賛するわ!」
「!」
私の言葉にフレンツェが目を見開く。
「だけどネックレスは返してもらうわ。抵抗はやめて大人しく返してくれるのなら悩み相談でもしてあげるわよ。人生経験はアンタより遥かに豊富だしね」
「…ふっふふ、そうかそうか。君は認めてくれるのだね、アタシを。たかが盗人と蔑まれてきた。お前に才能は無いと哀れまれてきた。何が特別だと、お前は特別になれないと馬鹿にされてきた…けれど───」
「───そこまでだ!」
近くの屋根を通ってきたのか、上から降ってきたジェストがその勢いのままフレンツェに剣を振り下ろすも、彼女はステッキで受け止め、受け流して飛び退いた。
そこにさらに追ってきた兵士達が通りの反対から挟み込むも、それらを気にする素振りすら見せずに私を真っ直ぐに見据えた。
「…ふふっ、流石にこの国の優秀な兵士達をまとめて相手するのはアタシでも分が悪いな」
「貴様…その出で立ちを見て思い出したぞ。聖国、後は神教国にも出没するという噂は聞いたが…ここ最近度々耳に入る盗人だな?」
「その通り、つい先日遂に天下の皇国への進出を決めての初仕事をしに来たのだよ。それと訂正だが、アタシは怪盗だ。そこの所間違えないように」
「そんなことどうでもいいだろ!知る限り聖国では指名手配されているようだが、国際的なものではない。よって皇国ではまだ貴様を罪に問えるような現状にない。だから出頭しろ、そうしたら騒ぎを起こしたことの厳重注意で済むぞ?お前もだ悪魔!」
「うっ…悪かったわよ…」
「出頭、ねぇ。確かにそれが一番平和な解決方法かもしれないが、アタシにそんな平凡な選択肢は初めから存在していない」
「…!」
フレンツェの言葉に、そして同時に溢れた気迫に、ジェストや兵士達は緊張感を持って構えた。
私もまた剣を魔力に還して杖を錬成し持ち変え、その先をフレンツェに向ける。
「だがしかし、君達を相手にするのが面倒なのも事実。ここは押し通って逃げさせてもらうとするよ」
「させると、思うか!」
ジェストはこの道が狭いのを利用して一歩目で壁へ跳躍、続けて壁を蹴りフレンツェの真横から襲いかかるという変則的な動きを取った。
アレクやワズベール程ではないとはいえ、都市一つの防衛の指揮を任されているだけあって彼もかなりの実力者だ。
それに対して、フレンツェは持っていた銀色のステッキを固く握り締め、それを掲げた。
「欺き騙せ!『奇杖 イムニール』!」
「何っ…!?」
フレンツェの宣言とともに彼女の姿が揺らぎ、ジェストの振るった剣はフレンツェの体をすり抜ける。
私も咄嗟に杖を振って全身の筋肉を麻痺させる程度の雷撃を放つが、それも彼女に干渉することなく通り抜けてしまう。
「…それは、神器?」
「その通り、二年程前に国境線に陣を敷いていた神教国の聖騎士からくすねた物だ。神器を持たされていたということは、四席以上の者のだったのだろうな」
「なんだと?貴様…」
「あぁ、触れようとしても無駄だ。この神器は発動すれば使用者とそれが触れているものは外部からあらゆる干渉も受けなくなる。ただし、アタシ自身も他に対して一切干渉することが出来なくなるが」
フレンツェは建物の壁に、手を押し当て…それがすり抜ける様を実演して見せた。
「ちなみに空中に浮いている時に使うと地面もすり抜けてしまうから詰むな。割と取扱が難しい神器でもあるのだよ」
「…それは今はどうでも良いけど、そのまま逃げるってんならタダじゃ置かないわよ?」
「君は今アタシに何も出来ないのに?」
「うぅ…」
「…ふぅ、やれやれ。しょうがないな」
「…!」
フレンツェは懐から出した私のネックレスをこちらへ放って寄越した。
それを受け止めてギュッと握ると、フレンツェを見る。
「何故?という顔だな。君は私を認めてくれた。それが何よりも嬉しいのでね。今は君に嫌われたくないから、また別の機会に君の特別を頂きに来るよ」
「…二度と来ないで欲しいし、だいたいなんなのよそのよく分からない理論は」
「さあ、私とて自分の気持ちがよく分かっていないな。ただ一つ言えるのは───
───次があれば、今度は君を貰いに来るよ」
「…は?」
「ふふっ、ではさらばだ!」
フレンツェは私が暫く硬直するような言葉を残し、意気揚々とマントを翻してどこかへ去っていった。
建物も人もすり抜け、ジェスト達も追うことは不可能だと判断し、とりあえず私へのお説教が行われたところで、今回の事件は幕を閉じるのだった。
盗んだのは小さな怪盗か、或いは───




