第七十話 一心に迫る黄昏
積もる雪が深みを増してきた頃、単位として天体の公転周期的に一年の巡りが近づいているらしい。
春夏秋冬はあるが暦の概念が無いこの世界で昼夜の巡りの回数を一々記録して時系列が管理されているというのだから大変そうなものだ。
七万年前とかの話はよく聞くが、これに関してはどうやって記録しているのかはわからないが。
そんな中でも私達は路銀稼ぎからオルターヴのマイホームに帰ってきていつもと変わらない日々を過ごしていた。
「ねー、フィーリアー」
「この前の大穴に埋めてこれば証拠も残らないわよ」
「うん、私まだ何も聞いてないんだけど。あと私がどういう話をする想定で答えたらそんな返しが来るのかな?私時々君が怖いよ」
「…で?何よ」
「あぁ、えっと。ちょっと運動に付き合ってくんない?」
「運動?」
「うん、今日は体を動かしたい気分なんだよね」
「また藪から棒に…」
人それぞれだろうが、私は定期的に体を動かさないと落ち着かないタチだし、たまには色々発散したい。
アルカディアにいた頃もフィリアは丁度いい加減で付き合ってくれたので、適任だろう。
フリージアもたまに誘ったが…まあ、うん。
「どうするの?普通に体動かす?それとも魔力の方?」
「んー、今回は普通に体かな」
「しょうがないわねぇ…丁度私も最近鈍くなってきてる気がするし…」
「本当だよー、ハナユクラに殴られたりアステリエルのあれに不意打ちされそうになったりで、私も気が気じゃないからね?」
「…その節は心配かけてごめんなさいね」
割と大戦終結運動してた頃とかも何かと危険な目に会いやすかったからいまさらちょっとやそっとじゃどうってことないが、すっかり馴染んでいるとはいえここは遥かな空の先の知らない世界。
「”おどみ”とか”異質”とか訳わかんない力がある世界なんだから、もうちょっと慎重になってよね」
「…」
「うん、人の事言うなって目やめようか。私だって分かってるよ!」
「はあ…もういいわよ。気が変わる前に行くわよ」
「はーい」
そうと決まれば家の中庭に出て、フィリアが自室から持ってきた幾つもの柱のようなものを庭に突き立てていく。
「なにそれ」
「空間を拡張する結界を作るための魔道具。私単独で作るのはちょっとね…」
「ん?空間系統の魔法得意じゃなかったっけ?」
「実はそこまででもないのよね。使えると便利だから勉強しただけで、一筋で研究してる連中と比べるとあまり遠い距離転移できないし、空間の操作とか隔壁とか程度しか出来ないし」
「ふ〜ん、そうなんだー」
「…あんまり興味無いのに聞くのやめてくれない?真面目に解説しただけ損じゃない」
「そんな事ないよ。フィリアが何かを語ってるとこ、私好きだよ?」
「…ほ、ほら!設置できたから始めるわよ!」
「おおう、これまた露骨な」
しかし勢いに押され庭に正八角形を形作るように突き立てられた一メートル程の柱の中心に入ると、頂点の柱を繋いで地面に線が走り、魔法陣が描かれた。
「えー…『箱庭』」
そこにフィリアが鍵言を唱えると、視点が大きく揺れながら一回転するような感覚に襲われた後、気が付くと遠くに巨大な柱が見える空間に迷い込んだ。
「…これ、どっちかって言うと私達が小さくなってる感じ?」
「そうね。柱の内側の質量を小さくする、っていうだけだから魔法とか使って柱を超えると元の質量に戻ってそのまま飛んでくから気を付けてね」
「なるほど」
辺りを見回し確認して見た感じ、この空間の広さは体感半キロ平方メートルくらいだろうか。
しかし私達が小さくなった、という表現はしたが、元々あった方角…というか柱の外側は全て晴天の空が広がり、雪の積もる地面が地平線まで続いているように見える。
「外側の景色はどうなってるのこれ」
「なんにもしてなかったら建物が馬鹿でかい壁に見えたり庭の草がジャングルみたいになって圧迫感が凄いじゃない。ストレスよ」
「ああそういう…なるほどなるほど、じゃあ準備はいいかな?」
「久しぶりだしねぇ…ま、お手柔らかに」
私は携えていた碑之政峰を鞘から引き抜き、鞘を右手に、剣を左手に持つ。
対してフィリアは空中に描いた魔法陣から召喚した細身の剣を両手で持った。
ついでにフィリアがブーツのつま先で地面をトントンと叩くと、柱の内側の雪が一気に溶け足場を整え、空間内の気温も上がった気がした。
こうして向かい合ってみると昔魔法の勉強してもらう代わりに剣の扱いを教えていた頃を思い出す。
「んじゃ、行くよ?」
「いつでもどうぞ」
フィリアが剣先を手前にクイと動かしたのを皮切りに、ゆっくりと歩み、二歩、三歩と進んだ所で一気に踏み込み距離を詰める。
真横に薙いだ刀身はフィリアが上に振り上げた剣で叩き上げられるも、その勢いを殺さずに腕を回すように再び横薙ぎに剣を払う。
剣を振り上げた体勢のまま防御が出来ないと判断したフィリアはトンッとバックステップでそれを避けると、牽制に突きを入れてきた。
右手に持つ鞘でそれを弾き、こちらも一歩下がって身を引く。
「っと、思ってたよりまだまだ動けるね」
「お陰様でね。でもやっぱりこっちはしっくり来ないのよね」
「…ごめん」
「…あー!やめやめ!この話すると直ぐ通夜みたいになる!ほら、歯食いしばりなさい!」
「えぇ!?ちょっ!?」
空気感に耐えられなくなったのかフィリアは美しい動作で剣を振るうと、剣先をこちらに向けて突撃してきた。
横跳びで後ろに流すと、一泊置く暇もなく振り返って流れるような所作で両手片手と剣を持ち替えながら身軽に攻め立ててくる。
剣筋は美しく、かつ無駄のない動きで、昔教えた成果が出ていてこんな状況でも嬉しく感じる。
それを真っ向から打ち払い、叩き落とし、刀身を滑らせ鍔で止める。
鍔迫り合いになり腕力の勝負となるが、こうなると分が悪い。
「いや!魔力で強化積むのありなの!?」
「ずるいと思うならあんたもやればいいじゃない!」
「魔力の差考えよう!?絶対量違うんだから平等になるわけない!」
「己の未熟を恨みなさい!」
「なんなの!?悪役なの!?」
普通に押し負けそうなので敢えて力を抜いて前屈みに力を込めていたフィリアの体勢を崩し、右手の鞘を叩きつけるように振るうが、片足を軸に踏みとどまり一転し、掌で受け止められる。
が、それは狙い通り、フィリアが咄嗟に掴んでしまった鞘をぐいと引っ張るとフィリアも引っ張られてくる。
それに反応して先制して切りつけてくる瞬発力は見事だが、流れも無くタメも無く、崩れた姿勢から振るわれた剣に力が乗るはずもなく、思いっきりフィリアの剣を弾き上げ、剣はフィリアの手元をすっぽ抜けて明後日の方へ飛んでいく。
そして───こっちに引っ張られた勢いのままのフィリアを胸に受け止め、抱きしめた。
「わぷっ…ちょっ…」
「ふふーん、私の勝ち〜!」
「分かったから離しなさいよ!」
胸元で藻掻くフィリアを離すと、顔を赤くしてそっぽを向いて弾かれた剣を拾いに行った。
「どうさ、割といい運動になったよね」
「…まあ流石に年季の差があるしね…」
「そんな頬を染められながら言われても」
「最近あんたスキンシップ多いのよ自重しなさい!」
「生きがいが無くなる」
「…今度一緒に趣味探してあげるわね」
「憐れまないでー!」
なんだろう、勝った筈なのにフィリアからは同情の微笑みを向けられ、涙が溢れてきた。
「どうする?まだやる?」
「…いや、割と今ので満足かな。これくらいのを定期的にやるくらいが丁度いいや」
なにはともあれ、時間こそ短いが足さばきや切り込むための細かい身のこなしを求められる試合は普通に良い刺激になるし戦闘の感覚も損なわれずに済むので、これを時々やっていれば何か会った時に直ぐ反応出来るようになるだろう。多分。
「だったらそのうち私の魔法の実験も手伝ってよ?この前アステリエルに教わった二律背反術式も試したいし」
「あれって原理としては白黒と同じじゃない?」
「あれはあれで二人じゃないと出来ない奴でしょ?一人で出来るようになればロマンじゃない?」
「マロン?」
「栗の話はしてないわよ」
目を輝かせてそのロマンを楽しそうに語りながらフィリアは地面をトントンとブーツのつま先で叩くと、魔法陣が砕け、歪められた空間が元に修正されていく。
そして視界が大きく揺れながら一転するような感覚に襲われると、次の瞬間には元の庭の真ん中に立っており、辺りを囲んでいた巨大な柱も元の大きさに見えるようになっていた。
「にしても、これ凄いね」
「ん?ああ、『天打つ楔』は空間系統の魔法の補助に便利なのよね。ただ一つ一つが大きいし重いし設置も大変だから持ち運びには不便だけど。無限鞄から出すのも一苦労よ」
「んで、フィリアはそういうものの改良もやっていたと」
「そゆこと。でも今は本体だけあって資料とか資材を元の世界に置いてきちゃってるからもうこれ以上の改良は無理そうだけどね」
「それは残念─────何?」
「?…!何この気持ち悪い感じ…」
不意に、全身が粟立つような悪寒が走った。
言葉に言い表せないような気持ち悪い敵意、執念と憎悪が滅茶苦茶に詰め込まれたようなおぞましい気配。
それはなんの前触れもなく近づいていた。
まるで罪を具現化したような混沌は、空を穢しながらオルターヴの街に魔手を伸ばした。
許されざるもの、忌むべきもの。そして人の罪───
 




