第六十九話 止まった噴水の前で
「流石にこんな寒い時期に大道芸人は来てないか」
「とはいえ結構人で賑わってるのね。祭りでもやってるのかしら?」
何でも屋の仕事…もとい臨時アルバイトとも言える商隊の荷物の輸送代行をした足で一度帰ってからやってきた帝都より南東の都市、ネクトロフィル。
暑い時期に来た時は大道芸やら露店で賑わい、帝都周辺の都市の中でも特に栄えていた印象のこの街は、雪の降り風も冷たい今でも以前来た時とあまり変わらず大通りの人通りが多い。
単純にこの街の人口が帝都、オルターヴに続いて三番目に多い街というのもあるだろうが、どうやら所々屋台が出ているようだった。
大道芸の代わりに店を出すとは中々商売根性逞しいようだ。
「お、スープ売ってるじゃん。買って買って」
「何で子供みたいなこと言い出してんのよ…別に私がお金の管理してる訳じゃないわよ?」
「ノリだよノリ。これくらい付き合ってよ」
「知らんわ」
すげなく流され不貞腐れるも、ため息を吐いたフィリアは私の手を引くとスープを販売している屋台まで歩くと、屋台のお姉さんに声をかけた。
「すいません、二人分下さい」
「おや?可愛いお嬢さん達だね。サービスするよー?」
「ありがとうございます」
お姉さんは気前よく紙のカップに湯気が立つスープを鍋から並々注いだ。
逆に飲みにくそうにも思えるが、それを指摘するのは野暮だろう。
スープを受け取り支払いを済ませると、街の中央にある今は凍結防止の為に止まっている噴水まで行くと、その縁に腰掛けた。
「…暖かい」
「寒い日に外で飲むスープは美味しいわよー?って言ってたわね」
「この国の人達って、軒並み良い人だよね」
「心に余裕がある証拠でしょ。戦時中なのに、気楽な人達ね」
それが良いのか悪いのか、と付け足したフィリアはカップに並々注がれたスープを零さないように両手で握り込むように持ち、お茶を飲むようにゆっくりと口に流した。
それに習い私も飲むと、少し塩味が強めだが一緒に入っている山菜のお陰で割とさっぱりした味わいが広がる。
他に何かの肉も具として入っていて、長く煮込んでいるのか肉質はかなり柔らかく、軽く噛んだだけでほぐれるように噛み切れる。
「…美味しい」
「もうちょっと香辛料入れても良いわね」
「なんでも辛くしようとするのやめようか」
「そんなに辛くしようとしたことないでしょうが」
先程不貞腐れたのが嘘のように和気あいあいとした空気が流れ、体の芯までホッコリとした感覚になったのはスープのお陰だけではないだろう。
が、それ以降は話は続かずただ互いに自分のスープを食すだけの時間となった。
ただ隣合うだけで沈黙が流れていく時間も好きではあるが、今は何故かそれが寂しく感じる。
話す話題は探せばある筈なのに、一向に思いつかずただ道を行く人々の喧騒にスープを啜る音が混ざるだけ。
なんか気まずくなってきたので物理的にちょっかいをかけようと思った時、丁度そこに見知った人物が歩いてきた。
「およ?ミシェルさんとフィリアさんじゃないですか。奇遇ですね」
「あ、サリエラ」
「ん…リエナは…いないのね」
「まあ私は一人旅の方が楽しめるので」
黒いトレンチコートに黒いソフト帽、下は黒のロングブーツと黒ずくめの割とダンディな格好で現れた白雪の舞うこの景色に目立つサリエラ。
いつもはほわほわしてる雰囲気な分、今はクールで格好良く見えるからお洒落とは不思議だ。
片手には皮の手提げ鞄、もう片手には何かを包んだ風呂敷を持っている。
「…それ、本?」
「あ、はい。著名なものはどこの街の図書館でも買えますが、マイナーな作家さんが書いているものは一部の街でしか手に入らないんですよね」
「そうなんだ…」
「あなたってどういう本読んでるのかしら?」
「お、興味ありますか?私が普段読むのは芸術関連のものですが、他の人に読んで欲しいお勧めと言うならば”エース”さんという方の日記ですね」
「”エース”?」
「はい。何でも作家さん…というか、著者さん自身が色々な地方を渡る旅人で、その過程で書いた日記を他者向けに読みやすくしたのを図書館に寄付しているそうです。まあ、何冊か写本したのを寄付しているそうですが、図書館側は要望がなければ新しく刷ったりはしないので、本当に私がマイブームにしているだけですけどね」
「日記を寄付?それはまた変わった人だね」
「…内容の構成は『古期五人衆紀行文』に似てるんですよね」
「古期…ああ、あれか」
古期五人衆紀行文は七万年前に実在した人物が書いた日記を元に書かれた神教国の図書館にも置かれていた本だが、私やフィリアもそこそこ気に入って読みこんでいる。
特に人物の感情描写とかは無く、本当に日記をそのまま売り出したようなものだったが、それ故にシンプルで、余計な雑感が入らないので自分なりに内容を考察できるのも面白かった。
「そっか…じゃあ、そこまで言うなら後で私も買ってみようかな?」
「そうですか!良かったら今度感想聞かせて下さいね」
「…そういえば、あなた店の方は良いの?」
「え?ああ、この時期は皆さん手袋とか帽子とか厚着しますし、髪飾りとか指輪とかのお洒落用の品の売れ行きが悪いんですよね。社交場とかの礼装用に求める人が偶に来る、って所ですねー」
「てことはリエナの方は繁盛してるんじゃないの?あの子どうせ冬用に可愛いもの沢山作るでしょ」
「あはは…まあその通りですね。妹の店は特に若い女性から人気がたかいですから。あ、ミシェルさん達にも似合うの作ったって言ってましたよ?」
「だってさフィリア」
「こっち見ないでよ、何で私が当然のように着せ替え人形にされなきゃいけないのよ!」
「ふふっ、相変わらず仲良いですねー」
「でしょー?」
「…」
何か言いたげなフィリアだが、諦めたようにスープを一気に飲み干し、一息ついた。
サリエラは苦笑いすると、本を包んだ風呂敷を手提げ鞄に詰め、別れの挨拶をして去って行った。
突然の遭遇だったが、会話が無く気まずくなっていた時に丁度来てくれたから結構有難かったのも事実、お礼代わりに先程勧められた本の感想でも聞かせてあげようと決めるのだった。
「…フィリアもダンディな格好してみない?格好良い女性ってああいうのも似合うんだね」
「トレンチコート?私じゃ似合わないわよ」
「そうか…まあフィリアは可愛い系だしね」
「…じゃああんたが着てみたら?」
「…似合うかな?」
私の問いかけに手を頬に当ててしばらく考える素振りを見せると、やがて穏やかに微笑んだ。
「ミシェルなら何着ても似合うわよ。可愛いんだし」
「…ふっ、なら私もあんな格好良いの似合わないよ」
「そこは色合いの問題でしょ?サリエラの黒いのじゃなくて、茶色とかだと柔らかい雰囲気出てあんたの能天気で頭空っぽな感じにも合うんじゃない?」
「あれ、もしかして今ディスられた?」
「気のせいよ」
なんだ気のせいか。
そこからは再び会話が弾み、食し終わったスープのカップを買った屋台の横のゴミ捨て場に捨て、ネクトロフィルを歩き回った。
途中屋台を巡って食べ歩いたりと普通に旅行を満喫し、目的のこの街の図書館へ。
図書館は結構大きく、中を覗いただけで大きな本棚がいくつもあり、あの中から探すと思うと億劫になってくる。
そこで、司書をしているおばさんに本の場所を聞くことにした。
「すいませーん、”エース”っていうペンネームの人の本置いてますか?」
「”エース”…あの変わったお嬢ちゃんの本かい?」
「多分それですけど…変わったお嬢ちゃん?」
「ああ、フードのついた黒いのマントを羽織ってるお嬢ちゃんだよ。背丈とか歳はお嬢ちゃん達と同じ位で、綺麗な子だったね。どうにも不思議な雰囲気だったけど…」
「へ〜…」
「あ、そうそう。あの子の本だったね。しかし、さっき来た子以外にあれを買おうとする子がいるとはね」
「ん?そんなにその本売れてないのかしら?」
「売れてないというか、埋もれてるってところだね。見ての通りここは蔵書が多いから、隅に置かれて数も本の数冊しかないから、わざわざあれ目当てでここに来るのがあの子しかいないんだよ」
そう言いながら司書さんは頼んだ本を探しに本棚へ向かった。
それにしても、わざわざそんなマニアックな物を買うためにオルターヴからネクトロフィルにまで来てるとなると、相当お気に入りなんだなぁ、と思う。
趣味が突き抜けている人の行動力は侮れないと、チラリと横の子を見た。
「…何よ?」
「いや、ここにもいたなって」
「どういうことよ!?」
「はっはっは、こんな若い子の溌剌とした姿見せられると、おばさんも若い頃を思い出すよ。はい、これ。場所を忘れてなくて良かったよ」
「あ、ありがとうございます。司書さんも健康には気を付けて下さいね」
「はい、ありがとう。またいつでもおいで」
司書さんにぺこりとお辞儀をし、私達は図書館を後にするのだった。
そんな平穏も、所詮は泡沫。
永遠に続くと思われた安寧など、砂上の楼閣に過ぎないのだ。
「グレン様ー、試作体ですけど、一体動かせる段階まで進みましたよー」
神教国のとある地下研究機関にて、掴みどころのない雰囲気の青年が、上司に当たる男に報告をした。
それを聞いた男は、目の前の蕾のような物をじっと見つめると、引き抜いた剣で蕾の表面を切り裂いた。
「…やっとか。ならまずは戦線から近いオルターヴにでも放ってみるか────
────『造霊』、起動」
理に反した命が産声を上げる。
世界の天変はいつも突然やってくる。
何の前触れもなく、気が付けば日常に忍び寄ってくる。
それに理由を付けるとしたら、この表し方が最適だろう。
世界は理不尽なのだから。
均衡が軋み、脅威が牙を剥く───




